700〜 イスラム教の勢力拡大とバクティ思想とタントリズム

※◯は人の名前になります
※人物像はイメージしやすくするための参考程度に見てください

700
イスラム教興起


700-1300
ラージプート時代

(解説)
ラージプートと言われる地域的諸王朝の抗争時代。結束すること無く内部抗争が続き、イスラム化が進む。

800
イスラム教徒インド侵入

900
イスラム教神秘主義(スーフィズム)

(南インドにはアーリア人の侵入により追いやられた先住民のトラヴィタ人が多く、カースト否定のバクティ運動が起こり、ヒンドゥー文化も浸透してきた。)

1000
ラーマーヌジャ(ヴィシシュタドヴァイタ哲学)

(解説)
インドの哲学者、神学者。ヴェーダーンタ学派の一つ(有別不二一元論)を打ちたてた。シャンカラがバラモンのための哲学を説いたのに対し、ラーマーヌジャは当時盛んであったバクティ(信愛)を取り入れて、庶民のための哲学を説いた。


1203(仏教滅亡の年)
イスラムによる仏教寺院焼き払い

1206-1290(奴隷王朝 又はマムルーク朝)
インドにはじめてのイスラム王朝

(解説)
ここでの奴隷は古来の奴隷とは異なり、文武両道に優れた「宮廷奴隷」のこと。その出身者が建国したので奴隷王朝と言われているが、実際には奴隷出身者は数名しかいないので正しくないと言う意見でマムルーク朝、クトゥブ朝という言い方もある。

1300
ゴーラクシャナータ

(解説)
ハタヨーガの創始者。

1400
ラーマーナンダ

(解説)
カーストを否定した宗教改革者。ラーマ信仰を布教。

カビール

(解説)
宗教詩人、神秘家、そして改革者。ヒンドゥー教のバクティ思想とイスラム教の神秘主義の融合を図った宗教家。カーストの否定と人間の平等を説いた。
※神秘家とは神秘主義的な世界観や体験をもつ、またはそのような考え方を実践する人こと

ナーナク(シク教徒開祖)

(解説)
インドでヒンドゥー教を改革し、シク教徒を創設した宗教家。ヒンドゥー教とイスラム教の融合を図ったカビールの影響を受け、一神教信仰、偶像崇拝の否定などを説いた。

チャイタニヤ

(解説)
バクタの代表格でありインドの聖人。クリシュナをキルタンと踊りで崇拝し、ハレ・クリシュナのマントラを広げた。

1498
ポルトガルの探検家バスコ・ダ・ガマがインド見つける


1600
ハタヨーガプラディピカー

(解説)
ヨーガの一流派であるハタヨーガの根本経典である。スヴァートマーラーマによって書かれた。

1600-1700
ゲーランダサンヒター

(解説)
ヒンドゥー教ヨガの古典的な経典の一つでチャクラの概念を説明している。

シヴァサンヒター

(解説)
ハタヨガの3大聖典の一つ。※3大聖典はハタヨーガプラディピカー、ゲーランダサンヒター、シヴァサンヒター

【時代の流れ】----------------------------------------------------------
イスラム教がインドに与えた影響は大きい。とくに、イスラムの平等思想はヒンドゥー教ビシュヌ派のバクティと結びつき、バクティヨーガが広まる大きな要因となった。バクティ思想をヴェーダ学派と結びつけたラーマーヌジャ、その後もラーマーナンダ、カビールと受け継がれていった。一方、シヴァ派からはヴェーダ学派が嫌った土着的要素の強いタントリズムが興った。仏教からは密教ができ、ヨーガもタントリズムの影響を受けたハタヨーガができた。
※ヒンドゥー教は主に4つの宗派がある。
·ビシュヌ派·シヴァ派(·シャクティ派)·スマルタ派

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