インドのシルク屋で組体操した話⑨ バラナシからデリーへ。ガンジスの裁きを受け、Kのスマホは盗まれた
ガンジス川での交流
朝、ガートへ向かった。
ラウールがいないだけで、ガンジス川がずいぶん神聖に見えた。
ガンジス川での沐浴のために、あえてガート付近のホテルを取っていた。沐浴後すぐにシャワーを浴びられるようにするためだ。ガンジス川の水はとんでもなく汚染されているという話を聞いていた。入ったらすぐ流す。それだけを心がけた。
日の丸の鉢巻きを巻いた。大胸筋矯正ベストも着た。ゴーグルとシュノーケルも装備した。
鉢巻きは日本人アピールのためだ。沐浴の手順が多少違っても大目に見てもらえるかもしれないという作戦だった。大胸筋矯正ベストは、インドでは肌の露出や性に厳しい場面もあると聞いていたので、乳首が見えてしまうと良くないと思っての配慮だった。ただ現地のインド人たちは全員乳首を出していた。配慮は不要だった。ゴーグルとシュノーケルは粘膜から菌が入ると大変らしいので装着した。これは正解だったと思っている。
この出で立ちでガートに現れた我々は、インド人に奇異の目で見られた。当然だった。
インド人たちは普通に沐浴していた。ガンジス川が汚染されているなら彼らはなぜ大丈夫なのかと思いながら、恐る恐る川に入った。朝の光がガンジス川に差し込んでいた。対岸は砂地が広がり、遠くに木々のシルエットが見えた。川幅は思ったより広く、静かだった。浅瀬は思ったより濁っていなかったが、奥に進むにつれて濁りが増した。底は見えなくなった。Kはシュノーケルセットを装着して川底を覗き込み、魚を探し始めた。必死だった。見つからなかった。がっかりしていた。諦めたKは近くにいた子供にシュノーケルセットを貸してあげた。子供は川に顔を突っ込んで「なにも見えないよ」と言った。道具のせいではない。川が濁っているせいだ。

インド人の親子と写真を撮った。最初は少年がパパにしがみついて我々を恐れていたが、慣れてくると沐浴道具や日の丸に興味津々になった。通りかかったインド人に「素敵だね」と褒められた。何が素敵なのかはわからなかったが、悪い気はしなかった。


満足して帰った。ホテルに戻り、すぐシャワーを浴びた。ガンジスで清めた身体を清め直した。
これで問題ないと思った。が、甘かった。シャワー如きでガンジスの裁きから逃れられるはずはなかった。ただその時はまだそれを知らなかった。
マクドナルドと人質になったスマホ
シャワーを浴びたあと、マクドナルドへ向かった。
ドアマンがいた。マクドナルドにドアマンがいた。外国人や富裕層しか入れない店らしかった。恐るべしマクドナルドだった。
インド限定のマハラジャマックを注文した。ベジとノンベジがあったので、Kはベジを、私はノンベジを注文した。ノンベジの肉はヒンドゥー教徒によく食べられる鶏肉で、ベジはひよこ豆のコロッケだった。基本スパイシーでカレーを思わせる味だったが、マクドナルド感も強くてうまかった。
久しぶりに慣れ親しんだ味だった。店も清潔だった。牛もいなかった。当たり前だがインドで牛がいないというのがこんなに安心感を与えるものなのかと思った。
マクドナルドを出た後、バラナシのショッピングモールへ行くことにした。
リキシャで向かった。Kはリキシャに乗り込みながら、いつの間にかカバンを後ろに回していた。マックの安心感がまだ残っているのか、表情が完全に緩んでいた。注意しようかと思ったが、自分もタスキがけのバッグを触る回数がこの旅で一番少ない気がしていた。ここまで来たらもう大丈夫だろうという気持ちが、どこかにあった。到着してみると日本のアウトレットモールに近い雰囲気でブランド品が多く並んでいた。外国人観光客向けではなかった。しばらくうろうろしていた。
Kが「スマホがない」と言い出した。
いつの間にかなくなっていた。Kはふとした拍子にカバンを後ろに向けてしまっていた。おそらくやられた。マックや道中を探したが見つからなかった。
私にはモロッコでスマホをハサミで切られた経験がある。以来貴重品は必ずタスキがけのバッグで体の前に抱えていた。モロッコで学んだ教訓だ。その教訓がここで活きた。ただ活きたのは私だけだった。
諦めて空港へ向かう車に乗り込んだ。
するとなぜか私のスマホにKの姉から電話がかかってきた。どうやらKのスマホを盗んだインド人が電話帳の上から片っ端に電話をかけているらしかった。Kの姉にも電話があり、返してほしければお金を払えという要求があったとのことだった。
Kに伝えた。Kは少し考えてから言った。
「まあそうだよね」
怒っていなかった。
ツアーの緊急連絡先のインド人に電話した。「こういったケースはあきらめるほかない」とのことだった。
最後に気を抜いた結果、大ダメージのKだった。ただ帰国後、保険申請でスマホ代は戻ってきたらしい。モロッコの教訓を「わかった」と言いながら守らなかった男が、保険だけはしっかりかけていた。
値札付き土産屋
バラナシからデリーへは飛行機で戻った。デリーの空港でクマーと再合流した。アグラへ向かう列車を乗り間違えさせた件を問い詰めた。クマーは首を横にフリフリして流した。謝らなかった。エリートが最後まで謝らなかった。
最終日はデリーで過ごした。日本人宿に再び宿泊した。お土産を探しに街へ出た。インドでは国外にルピーを持ち出すことが禁じられている。国外に出ても両替できないので、残ったルピーはインドで使い切る必要があった。まだ財布にルピーが残っていた。
7日間、ずっと身構えていた。誰かが近づけば警戒し、値段を聞けば戦闘態勢に入り、親切にされれば裏を読んだ。それがこの旅の基本姿勢だった。悪くはなかった。ただ疲れた。
地球の歩き方に、値札がついていて交渉不要のお土産屋が載っていた。行ってみた。
値札がついていた。
それだけで感動した。値段が最初から書いてある。交渉しなくていい。この旅で値札がついた商品を見たのはマクドナルドのメニュー以来だった。デリーに来てからずっと、値段を見るたびに戦闘態勢に入っていた。その緊張が、値札ひとつで溶けた。
店員が話しかけてこなかった。
近づいてきた。だが何も言わなかった。ただそこにいた。この旅で店員に話しかけられなかったのは初めてだった。なんだこれは。普通だ。普通の店だ。普通がこんなにありがたいものなのかと思った。思わず店員に話しかけた。
「ここは安心できますね」
店員は言った。
「外は詐欺師ばかりだ。ここでゆっくり買い物するといい」
しばらく何も言えなかった。
鼻水が出そうになった。7日間のインドが一気に頭に戻ってきた。3分でスリスリしてきたクマー、インド系埼玉人との大理石3時間、ラウールの下ネタ。それが全部この一言に集約された気がした。ただ騙されてばかりではなかった。本物だと思えることもあった。チップを断った店員の少年のことを思い出した。何も求めずに儀式に誘ってくれたガートの少年のことも。シルク屋で組体操が成立した瞬間のことも。
横を見るとKも黙っていた。しばらくしてKが言った。
「この店、ぼったくりしなくて大丈夫なの?」
心配していた。感動した次の瞬間に心配していた。7日間のインドがKにも染み付いていた。
Kとおそろいの謎の聖杯や謎のネックレスを買った。最後にクセで値段交渉を試みた。
「そういうのやってないから」
あしらわれた。そもそもお土産屋で戦う必要はないのだ。
インド土産屋四番勝負、最終戦績。
第1戦 クルタパジャマ 勝利
第2戦 大理石 敗北
第3戦 シルク屋 勝利
第4戦 値札つき土産屋 不戦勝
日本人宿とガンジスの裁き
日本人宿に戻ると、他の観光客や沈没者たちと交流した。各々の旅のエピソードを話し合った。今日来たばかりという青年が「不安でいっぱいだ」と言っていた。外にも出ずに沈没者たちとトランプをしていた。インドまで来て外にも出ずにトランプとはアホかと思った。
ただ7日前の自分も、たぶんあんな顔をしていた。がんばれよ、と思った。
そんなことを考えているうちに私の手が震え始めた。額に触れると熱があった。明らかに体調がおかしくなってきた。
「ガンジスの裁きが来るの早すぎないか!?」
もう限界だったので部屋に戻って休んだ。これが下痢地獄の始まりだった。
私が倒れている間、Kはしっかり大富豪になっていた。
帰国後、下痢地獄を乗り越えて、私は思った。
インドなんて二度と行くか。でも忘れられない。あの友情の組体操が。
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