動悸ってワクワクなんじゃないの?
12月28日(日)晴れ
これまでの自分からは想像できない行動をするとき、私は動悸がおきる。
夜は眠れず、朝ごはんもかまずに飲み込む、理由もなくドキドキしている。
その振動は私の意識の輪郭をくっきりみせてくれる、
今年の3月20日の春分を境に、
「誰かに委ねていた自分の人生を自分のもとへ返す」
ことを決めた。
これは多くの決断、行動、軌道修正の繰り返しだった。
37年間自分の感情を麻痺させて周りを優先してきた名残は、
ふとしたときに浮かび上がってくる。
大雨がふったあとの水辺で、濁った泥水がまぜっかえされていくような。
どの濁流に身を任せるのではなく、そこにいる自分をじっと見つめていた。

今日は愛宕山医王院の護摩行の日。
前回の参加から、絶対に行こうと決めていた日。
今日はいろいろ身辺のいろいろなことが重なって、
気持ちがとても散らかっていた。
考えると動悸がするし、
どうにかなるさと思ってもやっぱり緊張するし、
大丈夫だとわかっているのに体がこわばっていた。
でも、護摩行だけは絶対に行くと決めていた。
薬師如来の前で、護摩木をくべるご住職。
燃えさかる炎、こだまする真言。
ともに祈ることは、わかちあうこと。
雑念だらけの私にふと浮かんだ言葉
「祈りはみんなのためのもの。
過去、現在、未来すべてを抱いて広がるのが祈りの輪。」
そうだ、私の祈りは私だけのものではない。
過去に放たれた、現在に放たれた、未来から放たれた、
時間を自在に行き来するものが祈りなんだ。
生きるのだってほんとうは一人じゃない、
みんなどことなくお互いの生を支え合って生きている。
ふと浮かんでくるこういう言葉ってどこからやってくるんだろう?
さっきまではなかったのに、ふわっと浮いてくるんだもの。
不思議。
護摩行のあとの、ご住職のお話
「私もお勤めのときは雑念の存在をどうしても感じます。無意識のなかにあるものが意識されるとそれが雑念となります。私たちのからだは言ってしまえば道具のようなもの、本当はその中にある宇宙エネルギーが本質です。
お大師様は自分の中の宇宙とつながることが即身成仏とおっしゃいました。真言をひたすらとなえ、お勤めすることで宇宙存在としての本来の自分に出あえる、という教えが真言密教です。」
まさに、私の状況にマッチしたことを言っておられた。
ご住職は思い付きでお話されるそうだけど、直感で出た言葉は思わぬところでだれかの光となる。
2026年は、この一年かけて積み重ねてきた自分の在り方をしっかり根をはるように現実の世界に下ろしていきたいと思う。
ついついドキドキしちゃう自分を愛しながら、
恐れず表現していきたいと思う。
この世界に生きる人たちは誰もが唯一無二の「今世」を生きている。
みんな「今世」の現実を目の当たりにしている。
「今世」は最初で最後、次生まれてきたら違う世界が広がっているだろう。
これまで出会ってきた人たちはみな、「今世」を生きる仲間。
「今世」を魂の御旅所の自分と、仲間たちとともに味わっていこう。
その決意のさきで起きる動悸は「魂のワクワク」。
今世2025年に心から感謝を。

