見出し画像

皇室典範改正で伊勢の祭主はどうなる

斎王(斎宮)は、原則として未婚の内親王・女王が伊勢神宮に奉仕する制度であり、南北朝時代に途絶した。一方、祭主は古代以来、中臣氏・大中臣氏(藤波家)が世襲する神職で、性別による法的要件は設けられていなかった。明治維新後には皇族祭主制度が創設され、久邇宮朝彦親王のような現役の男性皇族が祭主を務めた例がある。戦後は神宮制度の変更に伴い、「皇族又は皇族であった者」が祭主の資格となり、慣例として婚姻や皇籍離脱によって皇族の身分を離れた女性(元皇族)が歴代祭主に選ばれてきた。

経過措置による元皇族女性、当面、佳子内親王・愛子内親王世代(降嫁した場合)が伊勢の祭主を務める可能性。

さらに、現役皇族のまま就任の可能性、資格要件「皇族又は皇族であった者」の前段部分に該当。法的障壁なし。←謎配慮で今まで降嫁した女性皇族が務めていただけ、現役皇族でも本当は問題ない。

供給が細った段階で、旧宮家子孫(男性、本人は皇族だったことがない世代も含む)への資格拡大解釈。

確率的には、旧宮家の子孫(本人は皇族だったことがない者)が祭主の拡大解釈候補。


近代以前皇族は、役職としての祭主には関わっていないが、制度全体としては皇族が中核を担っていた。

近代以前、代々中臣氏(大中臣氏)、特に二門の者が祭主に任じられていた。皇族ではなく、特定の世襲神職家系(中臣・大中臣氏)が独占していたポスト。近代以降、社家の世襲が廃止されて初めて華族・皇族が任じられるようになった。つまり祭主という具体的な役職名で見れば、皇族の関与は明治以降の話で正しい。
しかし「斎王」という別ルートで皇族は制度の中核にいた
祭主とは別に、未婚の内親王・女王が斎王として伊勢に常駐し、天皇の名代として天照大神に仕える制度が飛鳥〜南北朝時代まで約660年間続いた。むしろこちらこそが近代以前の皇族と伊勢の直接的なつながりの本流であり、祭主(中臣氏の世襲神職)とは並存する別系統だった。

天皇自身が伊勢神宮を訪れたのは、明治天皇以前では持統天皇だけだったが。天皇は八咫鏡に宿る天照大御神を畏れ多いものとし、自ら参拝せず勅使(代理の使者)を派遣する形式を取り続けた。明治天皇が参拝したこと自体が、当時「画期的な出来事」として扱われている。

近代以前、天皇自身は伊勢への参拝を直接しなかったが、四方拝という遥拝が実際に存在した
元日早朝、天皇は神嘉殿の南庭で伊勢神宮の皇大神宮・豊受大神宮の両宮に向かって拝礼する四方拝を行っていた。始まりは平安時代初期(宇多天皇の頃、寛平2年の記録が最古)とされ、明治以前から続く宮中儀式

整理すると
天皇本人:直接参拝は基本的にせず、勅使を派遣(持統天皇を除き明治天皇まで不参拝)四方拝で伊勢の方角に拝礼
斎王(未婚内親王・女王):伊勢に常駐し祭祀を担う、皇族の直接関与の本流(南北朝で途絶)
祭主:中臣・大中臣氏の世襲神職、皇族とは無関係(近代に華族→皇族に切り替え)
大宮司:同じく中臣氏など特定家系の世襲(近代以降、旧皇族・旧華族が就任するようになる)
つまり近代以前、皇族は「祭主」という役職経由ではなく、斎王という全く別の制度を通じて伊勢と結びついていた。今回の議論で祭主の「皇族による継承」を近代以前からの伝統であるかのように扱ってきたが、正確には明治以降にできた比較的新しい慣行であり、伊勢と皇族の本来的な結びつきは(すでに廃絶した)斎王制度の方にあった、という点は重要な訂正になる。

明治以前には「祭主は皇族または元皇族でなければならない」という規定はありませんでした。
歴史をたどると、祭主の資格は時代によって変化しています。
古代~中世:『延喜式』などでは、祭主は大中臣氏から任じられるとされ、朝廷と伊勢神宮をつなぐ役割を担っていました。皇族限定ではありませんでした。

中世~江戸時代:祭主職は大中臣氏(藤波家)が世襲するようになり、明治維新まで約1000年近く続きました。やはり皇族限定ではありませんでした。

明治4年(1871年)以降:神宮制度改革により藤波家の世襲が廃止され、皇族祭主制度が創設されました。その後、明治8年に久邇宮朝彦親王が祭主となり、皇族祭主体制が確立しました。規定上は「皇族(必要により公爵でも可)」とされました。
戦後:神宮は宗教法人となり、現在は「皇族または皇族であった者」から祭主を選ぶ制度となっています。

つまり、「祭主は皇族か元皇族」という資格要件は明治以降に成立した制度であり、それ以前には存在していません。

したがって、「典範改正=祭主が必ず現役皇族や旧宮家出身者になる」とまでは言えませんが、改正内容によっては候補者の選択肢が広がる可能性はあります。

いいなと思ったら応援しよう!