ちょっと気持ちがわかってしまった
わたしだけだろうか。
からだとこころの調子によって、読む本が変わってくる。
もっと正確に言うと、調子が悪いときには読めない本がある、特に小説。
本の熱量に圧倒されてしまって、自分の足でしっかり立っていられなくなるのだ。
自分で文章を書くようになって、「そもそも『文章を書く』とはどういうことなんだろう?」が気になってしまうのが、わたしである。
というわけで、最近読んだのが、古賀史健さんの『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』と『20歳の自分に受けさせたい文章講義』、丸谷才一さんの『思考のレッスン』だった。
見事に圧倒されてしまった。
なんだかもう「『書くこと』をナメんな」と、終始怒られているような気分になってしまったのである。
プロのライターや作家が、自分の仕事について語るのだから当然の熱量と言えば当然だけど。
そりゃそうですよねぇ、わたしに、「伝えたいこと」なんてないんだもの。
特に夢や希望ややりたいことがあるわけじゃない。
桜は見たいけれど近所で満足、特にグルメでもないから、レシピを見て自分で作った料理をおいしいおいしいと言いながら食べて満足、家族で他愛もない話をしているのがいちばん幸せである。凡庸のお手本である。
あれっ、これ、わたしが仕事のときにクライアントさんに感じる熱量のギャップと一緒じゃないの。
「伝える」側のあふれるほどの熱量と、それほどでもない「受け取る」側の熱量の、ギャップ。
わたしが「伝える」側にいる時、ともすれば「やる気ないなら聞いてくるなよ」と感じてしまうことがあった。
だけど、今「書くこと」に関して、いろんな本を読んだわたしは「受け取る」側にいる。
重すぎる熱意は、受け取れない。
受け取れないには受け取れないなりの理由があって、決して「やる気」の問題だけではなさそうだ。
タイミングの問題かもしれないし、受け取る側の許容量の問題かもしれない。
とにかく「今は」、受け取れない。受け止めきれない。
そしてそれは、悪いことじゃない。
ということがわかっただけでも、今日のところはよしとする。
