第一章:連行──教室を囲んだスーツの男たち
平成十一年十二月一日。 私は高校三年生だった。
クラスでは級長を務め、進学に向けて勉強を続けていた。もともと所属していた陸上部を体調不良で退部してからは、地域のボランティア活動に参加するなど、ごくありふれた、けれど平穏で充実した日々を送っていた。
まさかその日常が、ある日突然、国家権力によって一瞬で踏みにじられるとは、夢にも思っていなかった。
*
その日は、授業の途中だった。
廊下の方で、足音が聞こえた。 ふと見ると、スーツ姿の大人たちが何人も、教室の入り口や廊下側の窓際を囲むように立っていた。明らかに異様な雰囲気に、教室内の空気が重く沈んだ。
教壇に立った男の一人が、私の名を呼んだ。
何のことか分からないまま、「私ですが」と答えて立ち上がると、間髪入れずに両脇を二人にはさまれた。
「逃げようとするなよ。荷物はこれだけか」
低い声でそう言われ、私はクラスメイトたちの全視線を浴びながら、校長室へと連れ出された。悪いことなど何ひとつしていない。それなのに、まるで極悪人でも捕まえるかのような扱いに、頭の中が真っ白になった。
校長室に入ると、そこには見知らぬ大人たちが待ち構えていた。
「少年Bは知っているか」 「知りません」 「嘘をつくな。ナイフはどこにやった」 「知りません」
——少年B。ここでは仮にそう呼んでおく。警察の口から出たのは、聞いたこともない人物の名前だった。その少年Bが、私の名前を挙げたのだという。
理由も状況も説明されないまま、問答無用で詰問が続いた。
*
その後、私は警察車両に乗せられ、自宅まで連行された。 昼間だったため、両親は仕事に出ており、家には誰もいなかった。
「鍵を開けろ。お前の部屋はどこだ」
男たちは自宅に入り込むと、私の部屋のドアを強引に開け、土足で踏み込むかのように捜索を始めた。引き出しが開けられ、物が荒らされていく。
「ナイフをどこにやったか、白状しないと大変なことになるぞ」
背後から突きつけられる威圧的な声。しかし、知らないものは知らない。 「知りません、分かりません」としか答えようがなかった。
ナイフも見つからないまま、私はそのまま警察署へと連れて行かれた。
取調室の硬い椅子に座らされると、今度は怒号が飛んだ。
「少年Bを恐喝しただろう。ナイフはどこだ!」 「知りません」 「相手はお前の住所も電話番号も知っているんだぞ! 知らないわけがないだろうが!」
机を叩く音と怒鳴り声が、狭い部屋に跳ね返る。自分が何疑われているのか、どんなナイフの話をしているのかさえ教えてもらえない。ただ「お前がやったんだ」という決めつけだけが、私を押しつぶそうとしていた。
どれほどの時間が流れただろうか。 連絡を受けた両親が、警察署へ駆けつけてくれた。
だが、警察が両親に放った言葉は、冷淡な一言だけだったという。
「今日のところは、お引き取りください」
何が起きたのか、なぜ息子が捕まりかけているのか。両親にも、何の説明もなされなかった。
*
——平成十一年十二月六日。
十二月一日の連行から数日。何事もなく時間が過ぎ、「何かの間違いだったのだろう」と自分に言い聞かせていた。何もしていないのだから、警察も理解してくれたはずだと。
しかし、本当の絶望は、突然やってきた。
朝七時頃。 まだ暗さの残る自分の部屋で眠っていた私は、突然の荒々しい音で目を覚ました。 大勢の男たちが、私の部屋へ雪崩れ込んできたのだ。
「逮捕状だ!」
頭が追いつかない。何が起きている?
「逃げるぞ!」
誰かがそう叫ぶと、私は布団から強引に引き起こされた。逃げる理由も、逃げようとする素振りすら見せていない。それなのに、目の前で金属の冷たい感触が手に伝わり、ガチャンと音が響いた。
手錠を掛けられたのだ。
五、六人の大人たちに取り囲まれ、私はそのまま家の外へ連れ出された。朝の静かな住宅街。近所の人に見られていないだろうか、両親は今どんな思いでこれを見ているのだろうか。そんなことを考える余裕すら奪われたまま、車に押し込まれた。
「何かの間違いだ」
警察署へ向かう車の中で、私は必死に自分に言い聞かせていた。 自分は何もしていない。取り調べでちゃんと説明すれば、すぐに誤解は解けて家に帰れる。
そう信じて疑わなかった。 しかし、その思いがどれほど甘いものだったかを、私はこのあと知ることになる。
(第一章・おわり)
【次回予告】 次回、**第二章「37日間の檻──警察の留置場と少年鑑別所」**へ続きます。 取調室での激しい怒号、手錠と腰縄をつけられた移送、そして暗い鑑別所の部屋で通信教育の課題を解き続けた日々。
※第二章以降は単品200円(全章をお得に読める1,000円のまとめマガジンもご用意しています)にて公開予定です。アカウントのフォローをしてお待ちいただけると幸いです。
