かごめかごめの不思議な世界と上森社長との不思議なご縁…
■かごめかごめの不思議な世界…
わたしは日本にプロサッカーリーグのJリーグが誕生した1993年当初に横浜フリューゲルスに在籍し、その後、1995年に誕生したヴィッセル神戸でプレーしていた元Jリーガーのサッカー選手…。
その人生前半戦の若かりし日々を“サッカー人”として過ごしたわたしでしたが、そんなサッカーに明け暮れ、そんなサッカーのことしか考えていなかったわたしが、なぜかいつの間にか“不思議な不思議なかごめの世界”に関わることになろうとは夢にも思っていませんでした…。
その“かごめかごめの不思議な世界”…。
それは…
『世の終わり』とも言えるような混沌を極める世界とそんな世の中となる時代に、その“解決策”となるべき“道しるべ”…。
そして今まさにそのような時代のその世の中となっているこの混迷を極める世界のために、日本の国づくりに携わりそれを護り継承して来た、かつての日本の先人たちの遺した『世界平和』のための“日本の切り札”であるとわたしは思っています…。
その“日本の切り札”として日本の先人たちによって護り継承され遺されたものが、『日本の隠された歴史の本当の真実』であり、それが“かごめかごめの世界”…。
そしてその不思議な不思議なかごめかごめの世界であり『日本の隠された歴史の本当の真実』の“謎解き役”であり、その“立証役”であり、また“実行役”としての主人公と言える人物が、今わたしが大いにお世話になっている上森社長こと上森三郎さん…。
その上森社長との出会いから…
わたしの人生も大きく変わり、今となってはサッカー選手だったとは思えない不思議な人生となり、今こうして、その不思議な不思議なかごめかごめの世界のもっとも重要な場所と言える兵庫県神崎郡「神河町」という“聖地”に移住し暮らして8年目を迎えています…。
そんな上森社長との出会いから…
不思議な不思議なかごめかごめの世界に入り込んだわたしの人生の後半戦…。
わたしなりにそこを振り返ってみたいと思います…
■震災が大きなターニングポイント…
わたしが関西の地“神戸”にご縁を頂き引っ越して来たのは1995年1月16日のこと…。
そう、あの阪神淡路大震災の前日のことでした…。
当時、Jリーグの横浜フリューゲルスでプレーしていたわたしは、あまり思わしい活躍ができず移籍を希望しその新天地を探しているところでした…。
そこでそのJリーグ人気の波の流れから神戸にも新しいチームが誕生することとなり、そのヴィッセル神戸の初代メンバーの一人として、神戸の地にやって来た矢先のことでした…。
『もうあとはない!!』
と覚悟を決めて…
その移籍に最後の望みをかけて準備していたわたしでしたが、またもその出鼻をくじかれた思いでした…。
でも反面…
『サッカーをしていてイイのだろうか…』
という気持ちにもなりました…。
神戸の街が物凄い事になっていて、神戸の人たちが大変な思いをしている最中に、のうのうとサッカーなんかしていても良いのだろうか…。
ただ、当時のわたしに出来る最大の貢献というのは、サッカーを通して「がんばろう神戸」と励ますことしかありませんでした…。
そうして翌年にはサッカーJリーグ昇格を決め、その翌々年の1997年には念願のJリーグの舞台に返り咲きプレーすることが出来ました…。
でも…
そのシーズン終了後に戦力外通告を受け、あえなくチームを去り、また同時に現役引退も決断することに…。
ただ…
そこにもわたしなりの理由が…。
まだ他のチームでプレー現役を続けることは出来たと思います…。
わたしの周りの人間のほとんど全てはそうわたしを説得しようとしました…。
そんなとき、唯一黙って理解を示してくれたのはわたしの両親だけ…。
おそらく、それまでの道筋の決断もわたしの意思で全て決めて進んで来たわたしを見て来た両親は、そこに何らかの意図があることを理解してくれたのだと思います…。
そのわたしがそこで現役を引退した理由…。
それは『神戸の地に残ること』でした…。
わたしが現役を続行するということは、すなわちどこか別の土地の別の場所に移籍してプレーを続けるということ…。
わたしがなぜそれだけこの神戸の地にこだわったのか…。
おそらく…
それは阪神淡路大震災のタイミングでこの神戸の地にやって来たという出来事が大きかったです…。
そしてその大きな揺れを体ごと体験することによって、おそらくその時に、実はもうすでにわたしの心の中では、その神戸でサッカー以外の別の事にその興味と意識のベクトルが大きく変えられていたのではないかと今では思っています…。
何者かに図られたように…
■第二の人生…
そうして現役引退後に約1年間いろんな場所に行ったり、いろんな本を読んだり、いろんな仕事を体験させてもらいながら、わたしの第二の人生を模索する時間を過ごしました…。
その時間を経て得た答えというのが…
『人の役に立ちたい』
というただその一言…。
そしてそこで考えたのが…
いろんな仕事がある中で、「今の自分そのままで直ぐにでも少しでも役に立てるものと言ったらやっぱりサッカーしかない」という答えに行き着きました…。
そうしてサッカー以外の仕事にと思っていたわたしが、またサッカーに関わりのあるフットサル場を始めるきっかけとなりました…。
そうと決めて…
そこからいろんな方の協力を得て、そして行動に移し、それも何者かに図られたようなトントン拍子で、そのフットサル場を立ち上げ運営する運びとなりました…。
1999年7月20日の海の日…。
晴れて“フットランド”こと「ハーバーランドフットサルスタジアム」が神戸ハーバーランドのモザイクの北隣りにオープンする運びとなりました…。
当時わたしがハーバーランドに企画提案していたのが“2002年日韓ワールドカップへの盛り上がり”というのを、その神戸の主要観光地であるハーバーランドで盛り上げて行くというもの…。
それに賛同してくださった当時の三菱の子会社の社長さんの協力で、それが実現するだけでなく、その後2013年のUmie誕生まで、そのフットサル場にてホントにたくさんのサッカーファミリーとの交流をサポートすることが出来ました…。
そんなフットランドを運営する最中にも、ヴィッセル神戸の応援番組のパーソナリティを務めたり、2003年にはそのフットサルコートの直ぐそばにカフェレストランも立ち上げ、またこだわり野菜などの食材卸業や加工食品の製造販売にデパート食品売り場での店舗展開などを展開する会社の経営者としての経験もさせてもらいました…。
そんな現役引退後のハーバーランドという地との出会い…。
それも偶然のようで偶然ではない、何者かによる采配であったように思います…。
■不思議なシンクロ…
ここでいくつかその神戸そしてハーバーランドの地との不思議なエピソードをご紹介したいと思います…。
すでにフットサルコートを立ち上げ運営してから4年が経ったある日のこと、当時の三菱子会社の社長さんから、フットサルコートのあるまさにその場所に、かつて厳島神社にあるような大きな赤い鳥居がその海の上に立っていたことを知らされます…。
その鳥居は、かつて平清盛が神戸の港を造るときに、その宮島の弁天神社の分家としてその今のハーバーランドの海に建設したものだったという…。
その鳥居と神社は、その後、ハーバーランド建設のための埋め立ての際に、今の神戸花隈に移設されて、今もそこで健在しています…。
そしてそのかつて鳥居が立っていたそのフットサルコートの場所は、ちょうど宇治川が海に流れ出る河口となっていて、その宇治川の上流を遡って行った上流に、その再度山大龍寺があります…。
この再度山大龍寺…。
そう、この大龍寺というのは上森社長が“かごめかごめの世界”に導かれて行くその重要なきっかけとなった場所のひとつ…。
当時まだ上森社長とは出会っていませんが、そのわたしが経営していたハーバーランドのカフェレストランで、スピリチュアル系の友人がイベントを催し、その後その友人に誘われて再度山大龍寺に初めて行き、それがまさに上森社長と出会う少し前であったことを記憶しています…。
そして、フットサルコートの道を挟んだ向かいの角の立体駐車場1階の物件を三菱から借りて、一時期そのカフェレストランも経営していたその建物の場所には、かつて明治天皇の保養所があった場所であったことも知ることに…。
その場所でそのカフェレストランを経営していたその時、その隣のビルにあった「一坪オフィス」を借りて当時の上森社長がそこにいらっしゃったようで、その出会う前からそのハーバーランドですでにニアミスしていたようです…。
またその当時、わたしは神戸の垂水駅東口から歩いて2分のところにあるマンションに住んでいたのですが、その途中にある線路沿いの小さな神社の脇の細い裏道を通るのですが、後に上森社長からその「白龍神社」をすごく大事にされていていつも参っていると聞き、そこにも何か不思議なご縁を感じました…。
またその後、わたしは当時住んでいた神戸の垂水から淡路島に移住し、しばらくそこからハーバーランドのフットサルコートに通っていたのですが、その淡路島で借りた家の持ち主だった正井さんというお爺さんは、平家の落人の子孫であり、淡路人形浄瑠璃の植村文楽の子孫…。そこでも平家とのご縁を感じていたのですが、上森社長のお爺さんも平家の武士であったということで、平家という不思議なリンクも感じます…。
またわたしが阪神淡路大震災の前日に引っ越した家は、神戸須磨区の白川台という山の上の場所だったのですが、その家の大家さんは鷲尾さんというその土地の名士…。
かつて源平合戦が神戸の山で繰り広げられていた時、その場所では平家が有勢で、そこで逃げ惑う源氏の人たちをかくまい、多くの命を助けたとされる鷲尾家の子孫…。
そこに住んでいた当時は知らなかったのですが、上森社長と出会った後に社長から紹介された松重さんからその話を聞いて「その家の裏近くにある神社はその源氏の人たちの御霊を弔う為の神社なのであなたが平家代表で参って来なさい」と言われて、もうその地を離れてだいぶん経っていましたが、久々にその地を訪れ参って来たこともありました…。
平家の紋章が「揚羽蝶」とのことですが、わたしが上森社長の指示で行くお山の大切な陵墓に行くと、なぜかいつも黒アゲハがわたしの周りを飛んで迎えてくれることがホントに多く、その繋がりを感じます…。
■上森社長との出会い…
そんな出会う前からどこかリンクの多い上森社長と後に出会うことになるのですが、そのいちばん最初に出会ったのが、2010年、南あわじ市で開催された宿泊イベントでのこと…。
そのイベントのメインゲストとして呼ばれていたカタカムナの土井先生とUFOコンダクターのグレッグというアメリカ人…。
わたしは既にそのお二方とは面識があり、そのイベントのお手伝いもしていたのですが、そこに土井先生が上森社長をお連れしたのが上森社長との初めての出会い…。
その時はただ挨拶程度でしかありませんでしたが、その少しあとに洲本の喫茶店で改めて紹介されたのが正式な出会いと言えるかもしれません…。
あとで上森社長から聞いた話では、その時は一度その喫茶店に行く事を断っていたそうですが、社長の家に居られる“大神さま(奥様)”を通した神様の采配で行くことになったとのこと…。
それが無ければ、今のわたしもありませんでした…。
そうして出会いご縁を頂くことになった上森社長…。
その後間もなく、神戸六甲道にある当時の上森社長の事務所に何度となく行かせて頂き、ピンクのテラファイトのお話や社長の不思議な“かごめかごめ”のお話をたくさん聞かせて頂きました…。
当時わたしの長女が生まれつき重度のアトピーで苦労していて、そのピンクのテラファイトを購入させて頂き、そのアトピー改善にもずいぶん貢献してくれました…。
ある日事務所に訪れたあとに、社長の奥様と映画に行かれると聞き、何気にわたしが「その映画で何かありそうですね…」と言ったみたいで、その後聞くところによると、その映画の中に“三郎バス”が出て来たとのこと…。
なにせ当時からホントに社長の周りには不思議なことが多かったです…。
そしてその前後のその頃に、社長が最初の3つの十字架を発見されたと記憶しています…
そんな上森社長との出会いの流れから、生野の舌鋒御林というお山にある「地下神殿」の発掘調査をするために、そのお山を管理する生野の「姫宮神社」の山田宮司に会ってお願いするということを聞き、わたしもお願いして同行させてもらうことに…。
そしてその山田宮司に社長が電話で掛け合い、会ってくれると言われ指定されたのが2011年の1月11日の午後1時…。
1並びのその日は、まさに上森社長の誕生日…。これもホントに不思議な話ですよね…。
そうしてその1時に上森社長と2人で姫宮神社の社務所に行き、山田宮司に発掘調査のお願いをしたのですが、1時間必死に頼んでも首を縦に振るどころか「お前たちは大和魂を持っとらんのか!」「何がイエス・キリストだ!!」と怒鳴られる始末…。
それでも必死に堪えて粘ってお願いする上森社長…。
それで何とか「手掘りなら」という条件で了承して頂き、その翌日から上森社長が雪山のその場所で穴掘りを開始し、その数日後にはわたしも合流させて頂き、その穴掘りを手伝いました…。
その時は近くに泊まれる場所がなく、生野と神河町の境にある生野峠の喫茶店の2階に数日間泊めてもらうことに…。
その時に何度となく上森社長から聞いていた話ですが、当時の社長は同じ夢を何度も見させられていたとのこと…。
その夢というのがとてもリアルな夢で、日本に大地震大津波がやって来るという夢…。
そしてそれは1月19日にそれがあるという…。
それ迄に何とか発掘調査の結果を出したいということで、連日の雪山で穴掘りを頑張っていました…。
そうしてやって来た前日の1月18日…。
その日も確か午後まで穴掘りをしていたわたしたち…。
そこで社長が「明日の大地震大津波に備えてそろそろわたしたちも家に戻り待機しましょう」と、その穴掘りを中断してその場をあとにしました…。
社長は神戸に、わたしは淡路島に…。
そうして迎えた1月19日…。
その日は岐阜県で小さな地震はあったようですが、大難ではありませんでした…。
その後の2011年2月22日にはニュージーランドで大きな地震があり、その後の3月11日にあの東日本大震災がありました…。
その日のわたしは洲本の竹林で淡路の竹林問題に関わる市民団体の方々と竹を切っていましたが、その一報に、日にちは違えどその上森社長の夢が正夢となったのに驚きを隠せませんでした…。
その3.11の少し前の2011年2月13日、淡路の由良という場所で行われた「ねりこ祭り」という数えの3歳児を担いでとある神社と神社の間を練り歩く御神事に、わたしの長男が参加することになり、そこにも土井先生とお二人で来て下さりました…。
その「ねりこ祭り」というのは代々“ユダヤの祭り”を継承していると言われ、その3歳児の額と両頬に赤い十字を書いてその御神事を行う祭り…。
その十字とユダヤというポイントにピンと来て、上森社長も来てくれたようです…。
その祭りの日はすごく冷え、途中雪にも見舞われる悪天候に、土井先生と上森社長はそのあと温泉に入りに行かれたということもありました…。
■出会いの接点…
いずれにしても…
上森社長とわたしが出会うことになったのが2010年のこと…。
この2010年というのは実に奇妙で実に不思議な年で、わたしにとってのその“かごめかごめの世界”の入口となった重要な年であったように思います…。
その平成22年2月22日というのは、わたしの父方の祖母の命日…。
その日を境に、今まで合ったこともなく、また何も聞かされて来なかった祖父の存在がクローズアップされ、またわたしの人生においてもそのお爺さんとの関係や繋がりがクローズアップされるターニングポイントとなった日であったように思います…。
後に出会った上森社長にその話をしたら、その上森社長のかごめかごめの世界に大きく関わっている上森社長のお爺さんの存在と同じように、わたしをその世界に導いているのは恐らくそのお爺さんであろうとのこと…。
わたしの家系は、その両親にそのまた両親と代々続くクリスチャンで、わたしの母方の両親と父方のお爺さんはみんなキリスト教プロテスタントの牧師をしていました…。
特にその父方のお爺さんに関しては、戦時中にその当時の日本帝国政府による“宗教弾圧”で、当時のキリスト教の一部であったうちのお爺さんの「ホーリネス教団」の牧師300人が投獄され、わたしのお爺さんもその獄中で結核にかかったのが原因で、その後出所して戦後間もなく当時10歳であった父とその兄弟家族を残し他界されました…。
そんな若くして無念にこの世を去ったお爺さんが、そのホーリネス教団で人々に主に訴えていた内容が「イエスの再臨」であったり「1000年王国」そして「ヨハネの黙示録」の内容だったようです…。
そのお爺さんのDNAを引き継ぐわたしと、かつてその芦北王朝があり、またその「日本の隠された本当の歴史」に必然的に関わる「アーク」がかつてあった芦北という場所に生を受け、そのお山で暮らしていた上森社長のお爺さんとその上森社長…。
その上森社長のお爺さんとわたしのお爺さんが、どうやらその今のわたしたちの出会いとそのかごめかごめの不思議な世界との接点に関わっているようです…。
わたしが淡路島に移住したのが2009年…。
そして2010年にはわたしの祖母が他界し、その後わたしの周りには、とても不思議な人との出会いや、不思議な出来事に出くわし、また不思議な道への流れや導きが多発して行きます…。
そしてその最骨頂というのがまさに、上森社長との出会いでした…。
■上森社長との再会…
そんな不思議な“かごめかごめ”と上森社長の世界に足を踏み入れたわたしも、その後上森社長との距離に間が空きましたが、また上森社長と再会する日が訪れます…。
しばらく淡路島で農業の親方の元で、県の農業委員会の補助を受けながら本格的な農業の修行をしていたわたしに、久々に上森社長からの電話…。
淡路島の諭鶴羽山の奥地にある「アブラハムの墓」に一緒に登らないかとのお誘い…。
そして二つ返事で行かせてもらうことに…。
そこで武部さんや田中先生と初めて出会うことに…。
そしてその日のそのお山で、田中先生からスタップサロンでの仕事の誘いを頂き、それも二つ返事で飛び込ませて頂きました…。
ちょうどその時、淡路島で本気で就農を目指していたわたしでしたが、なかなかそのハードルが高くてその新規就農に黄信号が灯っていて八方塞がりのところでした…。
それが2015年の年明けのこと…。
これもまさに何者かによる大きな采配のひとつでした…
そうして、午前中はまだ農作業をしつつ、お昼に淡路島からバスと電車で神戸六甲道に向かい、スタップサロンでの修行の日々が始まりました…。
その当時、娘のために購入していたピンクのテラファイトが壊れかけていたので、新しい物に交換して頂き、その時新たに手にしたのが、ピンクのテラファイトコスモでした…。
その初めてのテラファイトコスモを肌見放さず持ち歩き、その淡路からの移動時にも、首にぶら下げながら手に持ち、そのテラファイトを使ったスタップサロンでの施術のためのテラファイト生活が始まりました…。
それまではテラファイトを娘のために使っていたので、わたし自身はあまり使えていませんでしたので…。
そうしてスタップサロンでの田中先生の助手・前座で、テラファイトを使った施術を見様見真似で始めたわたしでした…。
■スタップサロンとメッセンジャー…
そのスタップサロンに来られるお客さんもホントに不思議な方が多く、その田中先生の鍼灸の施術が終わった後に、必ず上森社長とお客さんとの会話が弾むのですが、その当時のスタップサロンでの大きな目的がそこにありました…。
何らかの痛みの悩みを抱えてやって来られる一見さんのお客さんたち…。
上森社長的には、そんな方たちは神様が連れて来られた大切な“メッセンジャー”…。
そのメッセージを持って来られる方とのその会話から、社長は何かしらの神様からのメッセージを読み取り、それを“かごめかごめ”の道案内のひとつとされていました…。
確かに、ホントに不思議なシンクロが毎回そこにはちゃんと有り、わたしも驚くばかりでした…。
そんなまだ未熟なわたしの初期の頃の施術を受けてくださってた不思議な方の一人であるMさん…。
ある日その施術後にそのMさんが、不思議なメッセージをわたしにくださいました…。
「あなたのおばあさんが、あなたの右掌からエネルギーを出すから、頑張って施術しなさい」とのメッセージ…。
『ホントかな〜』とその掌を眺めるわたしでしたが、その1週間ほどあとにホントに不思議な出来事が…。
その日に、上森社長と親しかったテラファイトを愛用する気功師の山田さんの施術を初めて受けさせてもらいました…。
そしてその施術後の晩…。
その頃よくそのスタップサロンが終わった後に、上森社長と田中先生と3人で、六甲道の王将に食べに行ってました…。
わたしたちの間では“王将タイム”と読んでいましたが、その日もその王将で食べている間に、わたしの両手がみるみる膨れてその掌が紫色にパンパンに腫れて行くのです…。
痛くて我慢出来ないくらい…。
そしてその後数日間、その腫れと痛みが引くことなく、どうしたら治るのか試行錯誤していたのですが、ふとその親指と人差し指を繋げる印をとることで、その腫れと痛みは一時的に引いていきました…。
でもその腫れと痛みはその後もずっと続き、山田さん曰く、わたしの手から“気”がどんどん出だして来ているとのことで、そのMさんからのメッセージがホントであることを思い知らされました…。
その後も定期的に山田さんの施術を受けさせてもらったこともありますが、やはり常にそのピンクのテラファイトの“ゼロ磁場”にずっと触れていたことによって、そのわたしが持つ“気”というエネルギーが開花され、有り難いことにわたしの施術も少しはマシなものになって行きました…。
■聖地神河…
そんなこんなで、そのスタップサロンに来られるその多くのメッセンジャーたちによって、神様から上森社長への大事なメッセージが届けられ、たくさんの“かごめかごめ”の進展が進み、多くの謎が説かれて行きました…。
しかしそんなスタップサロンの大事な役割りも終わり、その後は、上森社長によるさらなる独特な謎解きがさらにパワーアップして、その“かごめかごめ”もどんどん進展・発展されていくのですが、その情報量といったらホントに半端ない量となって行きます…。
そのタイミングで、上森社長がいちばん大事にしている聖地である神河町の「町長選挙」に出馬することに…。
その選挙というのは2017年11月19日投開票…。
その選挙に合わせて、わたしもその選挙前の1〜2ヶ月は、淡路島からバジェロミニで毎日神河町に通い、朝から夕方までその選挙のビラを神河町の全世帯にポスティングして廻ることに…。
全9000世帯の家のポストに、毎回違うビラを全4回ポスティングして廻りました…。
その土日などは、上森社長のファンの方々にも手分けしてみんなに手伝ってもらいながらのポスティング…。
そして本当の選挙期間である最後の1週間では、ちゃんとした選挙カーにて、ウグイス嬢を乗せてわたしが運転し、その助手席では上森社長が白い手袋で手を振りながらその神河町全土をくまなく廻りました…。
またその終盤では、「上森社長応援ツアー」と題して全国から100人近くが集まり、大型バス3台で移動して神河町の峰山高原にあるホテルリラクシアを貸し切りで宿泊し、その聖地神河を巡る応援ツアーが実行されました…。
そしてちょうどその応援ツアーが実施され選挙期間中であった11月17日というのが、その聖地神河の南小田のお山の陵墓に眠るイエスキリストの命日であり、またそのイエスキリストが眠る大事なお山の陵墓の“墓守”の役割りを果たしていた邪馬台国女王卑弥呼が、その神河町大山のお山の陵墓に自ら入廷したその重要な日でした…。
そんな選挙に出馬した上森社長…。
その目的は神河町の町長になりたかった訳ではありません…。
それまでも何度となくその「聖地神河」としてその神河町の重要さを、現職である町長に掛け合い直接詳しく説明していました…。
しかし全く聞く耳を持たず、逆に大事な場所の大事な遺跡などの地が開発地としてどんどん手がつけられて行く始末…。
その状況に痺れを切らし、それを阻止すべく、その町長選挙にてその「聖地神河」の重要さを多くの町民に伝えつつ、その聖地を護る目的でその選挙に出たのでした…。
もちろん結果として町長にはなりませんでしたが、その町長選挙に出ることによって、後にその地元の大事な支援者とのご縁を頂くことが出来ました…。
そしてこの選挙活動を経て、その神河町での本格的な活動をすべく、寺前駅の直ぐ裏に、その地元の支援者の方から物件をお借りすることが出来ることになり、そうして「聖地神河ひろば」という拠点を設けることが出来ることになりました…。
その「聖地神河ひろば」に初めて皆さんに集まって頂きお披露目をする2018年1月21日…。
その日のわたしは淡路島からバスと電車で乗り継ぎながら、その寺前駅の裏にある場所に出向きましたが、その前夜にわたしが飼っていたワンちゃんが倒れて心配だったので家に置いて行く訳にはいかず、その日は赤ちゃんを抱っこするスリングにそのワンちゃんを抱えてその場に駆けつけました…。
そしてそのお披露目の合間に、新たにわたしが神河町に移住して住む家のそのオーナーさんからその家の鍵を貰いに車でその物件に行き、そのワンちゃんにわたしの神河町の新居を見せることが出来ました…。
そしてワンちゃんに水をあげるために近くのローソンに水を買いに入ったその店の中で、最後の振り絞った雄叫びを一声上げてわたしの腕の中で亡くなったのでした…。
そんなわたしの愛犬が神河町で亡くなるというのも、考えてみればとても不思議に思えます…。
そしてその後間もなく、わたしもその拠点を淡路島から神河町に移し、正式にわたしも神河町民となる運びとなりました…。
そしてその町長選挙の数ヶ月後となる2018年4月には、神河町議会議員選挙が行われ。その選挙においても同じ目的で出馬した上森社長…。
その時は、選挙カーではなく自ら自転車にてその神河町全土を廻り、そのメッセージを町民の皆さんに伝えて廻りました…。
しかしわたしが正式に淡路島から神河町の町民となったのが、2018年2月22日のことだったので、その直後にあった神河町議会議員選挙には投票することは出来ませんでした…
■卑弥呼のお山…
そうして神河町民となって直ぐのわたしの最初の主な仕事…。
それが、卑弥呼さんの陵墓があるお山の頂上の表土取り…。
当時のお山の財産区議長さんの了承のもと、表面から約20cmの長年に積もった土を剥ぎ取り、その約1800年前に造られたであろう卑弥呼さんの陵墓の表面を出して行く作業…。
1年に1mmの落ち葉が土に還る計算で、およそ2000年前ですから約20cmの深さ…。
この作業に、おおよそ4ヶ月ほど朝からお山に一人で登り、夕方に山を降りてくる毎日…。
個人ガイドツアーなどでそのお山に行かれたことのある方はよくご存知ですが、その林道の道中はまさにアトラクションの現実版…。とても険しいガタガタ道ではありますが、そんな今では誰も行かないような場所に何十回も足を運んだおかげで、また家の窓から毎日その場所を眺められることから、卑弥呼さんのお山にいちばん近い存在になれた気がしました…。
上森社長も何度となくその山に登り、直々にその状況を確認しながらその作業を進め、その調査もかなり進んだのですが、残念ながらその発掘調査は困難を極め、一時中断持ち越されることに…。
またそこの発掘調査が再開される日が望まれます…
■上森社長が開発した「コアロッド」…
その後も、その神河町のイエス・キリストの陵墓があるお山に繋がる重要な人物とその陵墓などの現地調査が、神河町だけでなく、大阪や神戸に京都など広範囲にわたって上森社長によって行われ、わたしもそこに一緒に足を運び、いろんな場所の現地調査に携わって来ました…。
中には、コロナ禍の年末年始に休まずぶっ通しでその調査を続けた時も…。
その情熱は留まることを知りません…。
そんな上森社長はホントにタフです…
そんなこんなで、生野の「地下神殿」の発掘調査から始まった上森社長による重要な場所の現地調査から、とき既に15年が経とうとしています…。
その調査費用も莫大な額になるでしょう…。
それでもそれを使命として続けて来られた上森社長…。
普通の会社社長なら、とっくの昔に音を上げていることでしょうが、その「聖地神河」の立証が、この今の混乱を極める世界の不安定な世界情勢を一気に覆すための重要なキーポイントであり、それが“かごめかごめの使命”…。
『1日遅れる事で、何人の命が失われるか分かっているのか!!』
そんな神様の声が常にその耳に響いて来るそうです…。
どうしても何としてもその真実に繋がる何処かの場所の誰かの遺跡の立証となる物的証拠を見つけ出さなくてはなりません…。
そんな道中ばで、神様は上森社長にひとつの大事なグッツを開発させました…。
それが、その重要な場所で、その重要な物的証拠を発掘するのに欠かせないグッツである「コアロッド」…。
それは地中の空洞を探し出す「空洞探査機」であり、そこに何があるか、特に金や銀がないかを調べるための「金属探査機」でもあります…。
世の中にはたくさんの金属探査機が存在していますが、このコアロッドは、その金や銀を特定探査出来る他にはない優れた探査機…。その「金探査機」として特許が降りているのは、世界にこのコアロッドしか存在していません…。
このコアロッドが上森社長によって開発されたことによって、その長年の遺跡調査においても、より精度の高い遺跡調査には欠かせないモノとなっています…。
「黄金の国ジパング」と言われる日本…。
その日本に存在しているであろうたくさんの埋蔵金が世に出ることによって、その今の世界の不安定な状態を覆すひとつの手段になるかもしれません…。
そしてまた、その日本の本当の歴史を立証するための遺跡調査においても、そのコアロッドによる調査で大いに活躍することでしょう…。
実際に今は、多くの現場での調査において、もうコアロッドは欠かせないモノとなっています…
■日本の隠された歴史の本当の真実…
ただ、その発掘調査においては、その地権者の了承を得られるところとそうでない所があります…。
大半はその許可が降りないところが多く、その上森社長の研究によって明らかとなっている日本の歴史にとって重要な場所の立証には、そこに住む地元民の存在とその支援サポートが欠かせません…。
そんな中…
昨年2024年に上森社長が神河町に新たな物件を3つ購入することになります…。
その主な理由は、そのコアロッドによる「金探査」で、その金の反応がした神河町にある物件を自ら購入し、そこでその金探査の特許を持つコアロッドの真価を発揮させることと、その実際の発掘調査によって、そのコアロッドの証明をすること…。
そしてまた…
そこからその“かごめかごめの真実”とその『日本の隠された歴史の本当の真実』の証明に繋げて行くこと…。
今はまさにその真っ最中というところで、その南小田の物件のひとつが、その女王卑弥呼によるイエスキリストを祀る“祭祀場”であり“祈りの座”であったという立証を進め、それに取り組んでいます…。
そんな“かごめかごめの真実”である「日本の隠された歴史の本当の真実」が立証され証明されることで、そしてそれをできるだけ沢山の方々に知って頂くことで、この今の混沌とした世界情勢がひっくり返され、その世界平和への新たな道筋とその新しい世界秩序がもたらされることを切に願います…。
そしてその長年による上森社長のかごめかごめの研究結果と現地調査、そしてその情熱が、この「note創作大賞2025」の場においてもその多くの人々の目に留まり、そしてそれが広く世に出るきっかけとなり、それが陽の目を浴びることを願っています…
