【短編小説】寒かったのは、僕の心だった
日常を切り取った800字です。最後の一行に思いを込めました。
「ねぇ、和夫さん。この厚紙にオオカミを描いて」
妻の亜季が言い出した。
「『三匹のこぶた』に出てくるオオカミよ」
紙人形劇——ペープサート。嫌な予感がした。
「それを演じるのは?」
「もちろん、わたしたち」
座卓の陰に隠れて声色を使うと、娘の雪乃は笑い転げた。その笑い声に、和夫もついほころんだ。
亜季はいつも突拍子もなく、和夫を振り回す。ある日、尋ねてみた。
「どうして俺と結婚したんだ?」
「だって寒かったんだもん」
俺は湯たんぽか、と心でつぶやく。
休日の朝、窓辺で三脚を構える亜季がいた。
「出かけようか?」
「午後ね。今はこれを手伝って」
皿に牛乳を張り、スポイトで落とす。
「ミルククラウンを撮りたいの」
王冠のように立ち上がる一瞬を、カメラに収めたいのだという。
だが、滴は散って崩れるばかり。
「粘度が足りないのかも。飲むヨーグルトに変えてみる」
失敗を笑いに変える声が、部屋に満ちる。
亜季に振り回されているようで、救われているのは自分だった。
——寒かったのは、僕の心だった。
(完)
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花澤薫さんが募集している「原稿用紙二枚分の文芸賞」に応募した短編小説です。
