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短冊に書いた願いは、未来へのメッセージ。

 七夕の日、ふと考えました。もし短冊に願いを書くとしたら、私は何を書くのだろうか。

 いろいろな願いが思い浮かびます。健康でいたい。家族や大切な人たちが穏やかに過ごしてほしい。担任する生徒が自分らしく成長してほしい。学校が、誰にとっても安心できる場所であってほしい。その中で、私の心に浮かんだ言葉がありました。

「障害のある校長になりたい」

 この言葉だけを読むと、もしかしたら「校長という立場に就きたいのか」「出世したいということなのか」と受け止める人がいるかもしれません。私を誤解するかもしれません。けれども、私がこの言葉に込めている思いは、単なる昇進願望ではありません。肩書きがほしいからでも、誰かより上に立ちたいからでもありません。私が願っているのは、

「障害のある校長がいたっていいよね」

と、自然に語られる社会の在り方です。障害のある教師が、学校の中で一人の教職員として働くだけでなく、学校経営に関わり、意思決定に加わり、子どもたちや保護者、地域の前に立つ。そのような姿が、特別な出来事ではなく、社会の選択肢の一つとして受け止められるようになってほしいのです。だから、私にとって「障害のある校長になりたい」という願いは、自分一人の夢ではありません。それは、障害のある人が管理職になれる社会、障害のある人が学校のリーダーとして認められる社会、子どもたちが多様な大人の姿に出会える学校をつくりたいという、社会的な希望と考えています。
 では、生きる上で希望とは何でしょうか。私は、希望とは「今の自分の先に、まだ道があると思えること」だと思っています。今は苦しくても、今は認められなくても、今は壁が高く見えても、それでも未来に向かって一歩を踏み出せる。自分の存在が、どこかで誰かの力になるかもしれない、自分の歩いてきた道が、次に歩く誰かの道しるべになるかもしれないと思える。その感覚が、生きる上での希望と思います。
 希望とは、ただ明るい気持ちになることではありません。希望とは、現実の厳しさを見ないふりをすることでもありません。むしろ、現実の困難を見つめた上で、それでも未来を諦めない力です。
 障害のある教師として働いてきた私にとって、希望はいつも簡単に手に入るものではありませんでした。できないことを突きつけられる場面がありました。周囲から不安の目で見られることもありました。自分の力を十分に発揮したいと思っても、制度や環境、意識の壁に阻まれることもありました。それでも私は、教師として働き続けてきました。
 2001年4月、中学校数学教師として採用されてから、私は障害のある教師として学校現場に立ち続けています。2026年度で、教師生活は26年目になります。この26年間は、決して平坦な道ではありませんでした。けれども、振り返ってみると、その一日一日の積み重ねが、少しずつ社会の見方を変えてきたのではないかと感じています。26年間、私が障害のある教師として働き続けていること。それ自体が、障害のある教師の社会的な認知度を高める一つの実践と思います。最初から大きなことを成し遂げようと思っていたわけではありません。目の前の授業に向き合い、生徒と関わり、保護者と向き合い、同僚と協力し、学校行事に参加し、学級や学年の仕事を担ってきました。その小さな積み重ねの中で、「障害のある人が教師として働く」ということが、少しずつ現実の姿として受け止められるようになってきたのだと思います。
 かつては、「障害のある人が教師になれるのか」という問いがありました。次に、「障害のある教師が授業をできるのか」という問いがありました。さらに、「障害のある教師が普通学級の学級担任をできるのか」「宿泊を伴う行事に関われるのか」「修学旅行の引率に関われるのか」という問いがありました。その問いに対して、私は日々の実践で答えてきました。
 もちろん、私一人の力ではありません。支えてくれた同僚がいました。理解しようとしてくれた管理職がいました。ともに学んでくれた生徒たちがいました。保護者や地域の方々、全国の教育現場で働く障害のある教職員の仲間がいました。私は、多くの人に支えられながら、教師としての道を歩いてきました。その延長線上に、今、「障害のある校長」という姿をイメージしています。

 思い返すと、1998年7月17日、秋田魁新報の社会面で、私は「障害があるからこそ教師になりたい」と紹介していただきました。あのときの私は、まだ教師になる前でした。教員採用試験に向かいながら、自分の障害を理由に夢を諦めるのではなく、障害がある自分だからこそ、子どもたちに伝えられることがあるのではないかと考えていました。
 「障害があるから教師は難しい」のではなく、「障害があるからこそ教師として伝えられることがある」
 その思いを、新聞記事を通して社会に届けてもらったことは、私にとって大きな励みでした。そして、その言葉は、その後の私の教師人生の原点にもなりました。
 あれから年月が流れ、私は障害のある教師として学校現場に立ち続けてきました。授業をし、生徒と関わり、同僚と協力し、学級や学年の仕事に関わり、学校行事にも取り組んできました。多くの壁にぶつかりながらも、そのたびに「どうすればできる形にできるか」を考え、歩みを続けてきました。そして今、私は新たにこう伝えていきたいと思っています。
「障害のある校長がいたっていい」
 1998年に「障害があるからこそ教師になりたい」と社会に向けて発信された思いは、26年間の教師生活を経て、今、「障害のある校長がいたっていい」という次のメッセージにつながっています。
 これは、過去の夢を超えて、さらに高い肩書きを求めるという意味ではありません。むしろ、障害のある人が教師として働くことの先に、学校経営に関わり、意思決定に参加し、子どもたちや保護者、地域に向けて学校の未来を語る姿があってもよいのではないか、という社会への問いかけです。かつて「障害があるからこそ教師になりたい」と語った私が、今度は「障害のある校長がいたっていい」と語ることの歩みの中には、障害のある人が社会の中で役割を広げていく希望があります。一人の教師の夢として始まった言葉が、今は、学校と社会の未来を考えるメッセージになっていると思います。

 突然思いついた夢ではありません。26年間の教師生活の中で、少しずつ見えてきた未来です。
 障害のある教師として働き続けることができた。授業をすることができた。生徒と関わることができた。学級や学年に関わることができた。学校行事にも関わることができた。社会に向けて発信することもできた。その積み重ねの先に、「では、障害のある教師が学校経営に関わることはできないのか」「障害のある教師が校長になることは、本当に不可能なのか」という問いが生まれてきました。私は、その問いを社会に投げかけたいのです。

「障害のある校長がいたっていいよね」

 この言葉は、私自身の願いであると同時に、これからの社会に向けたメッセージです。
 2026年7月1日から、障害者の法定雇用率が引き上げられました。民間企業は2.7%、国や地方公共団体は3.0%、都道府県等の教育委員会は2.9%となっています。この引き上げは、障害者雇用をさらに前に進める大切な一歩です。しかし、私は「雇用率を達成すればよい」という考え方だけで終わってはならないと思っています。もちろん、雇用率は重要です。数字があるからこそ、社会は動きます。制度があるからこそ、障害のある人の雇用は「善意」ではなく「責任」として位置づけられます。けれども、数字を満たすことだけが目的になってしまえば、障害のある人は、ただ数として職場に置かれる存在になってしまいます。大切なことは、雇用された一人ひとりが、その職場の中で必要とされ、自分の力を発揮し、役割を担い、仲間とともに働き続けられることです。
 これから問われるのは、「雇用」から「活躍」へ進める社会のあり方であり、「活躍できる環境をどう整えるか」という社会の姿勢です。その先には「障害のある人が意思決定に関わることができるか」という問いがあります。障害者雇用を本気で前に進めるなら、ここまで考えていく必要があると思います。学校現場も同じです。
 障害のある教職員が学校にいることは、単に職員数の一人として数えられることではありません。子どもたちにとって、多様な生き方や働き方に出会う大切な機会になります。困難があっても工夫しながら働く姿、周囲と協力しながら役割を果たす姿、自分にできる方法を探しながら教育に関わり続ける姿は、教科書だけでは伝えきれない学びにつながります。
 文部科学省の障害者活躍推進プランでは、新しい学習指導要領において対話的な学びの実現が求められる中、障害のある教師等との対話は、児童生徒等にとって、共生社会に関する自己の考えを広げ深める重要な教育資源となることが期待されると示されています。さらに、学校現場に障害のある教師等がいることは、いわゆる「隠れたカリキュラム」となりうるものです。
 この「隠れたカリキュラム」という考え方に、私は深くうなずきます。子どもたちは、授業で教えられたことだけを学んでいるわけではありません。学校の空気、教師同士の関係、困っている人への接し方、違いのある人との関わり方など、日々の風景からも、多くのことを学んでいます。もし学校の中で、障害のある教師がいつも補助的な役割にとどめられていたら、子どもは無意識のうちに、「障害のある人は中心的な役割を担えないのだ」と感じてしまうかもしれません。反対に、障害のある教師が授業をし、学年に関わり、校務分掌を担い、保護者と向き合い、地域とつながり、学校づくりに主体的に関わっている姿を見れば、子どもは「人にはそれぞれ違いがあっても、役割を担い、責任を果たし、社会に参加できる」と学ぶと思います。

 2000年、私が教員採用試験を受験したとき、秋田県教育委員会の中には、今の「隠れたカリキュラム」の考え方に通じる、障害のある教師の教育的価値を認識している方がいたのではないかと感じています。もちろん、当時は現在ほど「合理的配慮」や「障害のある教職員の活躍」という言葉が一般的だったわけではありません。障害のある人が教育現場で働くことへの理解も、現在ほど広がっていたわけではないと思います。それでも、私を採用するという判断の背景には、「障害があるからできない」と決めつけるのではなく、「障害のある教師が学校にいることには、教育的な意味がある」と見てくださった方の存在があったのではないかと思うのです。その見方が共有されていたからこそ、20倍の倍率の中で教員採用試験に合格できたと思っています。
 この見方は、私にとって大きな意味をもっています。なぜなら、私の教師人生は、私一人の努力だけで始まったものではないからです。誰かが可能性を見てくれた。誰かが教育的価値を感じてくれた。誰かが、まだ十分に言葉になっていなかった未来を信じてくれた。そのことが、私の26年間の出発点にあったのだと思います。そして今、受け取った希望を、私は次の世代に渡していきたいのです。

 人に希望を与える存在とは、何でしょうか。私は、それは「特別に立派な人」だけではないと思います。完璧な人でも、弱さを見せない人でも、何でも一人でできる人でもありません。人に希望を与える存在とは、自分の弱さや困難を抱えながらも、それでも歩き続けている人ではないでしょうか。できないことがある。助けてもらわなければならないことがある。悩むこともある。傷つくこともある。それでも、自分の人生を諦めずに、社会の中で役割を果たそうとする姿が、誰かにとっての希望になるのだと思います。

 私が障害のある教師として働き続けている姿を見て、障害のある子どもたちが、「自分も働けるかもしれない」と思ってくれるかもしれません。障害のある教師を目指す学生が、「教師になってもいいのだ」と思ってくれるかもしれません。障害のない子どもたちが、「社会にはいろいろな働き方があるのだ」と感じてくれるかもしれません。同僚や保護者が、「支え合いながら働くことは特別なことではない」と考えてくれるかもしれません。希望とは、そうやって人から人へ渡されていくものなのだと思います。
 私自身も、これまで多くの人から希望を受け取ってきました。私の可能性を信じてくれた人がいました。私の挑戦を支えてくれた人がいました。私の働く姿に意味を見いだしてくれた人がいました。だから今度は、私自身が、誰かに希望を渡す存在でありたいと思っています。
 そのために、私は目先のことだけを見ていたくありません。もちろん、日々の仕事は大切です。今日の授業、今日の生徒との関わり、今日の会議、今日の保護者対応。その一つひとつに誠実に向き合うことが、教師としての基本です。けれども、私は同時に、10年後、20年後、30年後の社会の在り方を考えていきたいと思います。

10年後、障害のある教師が学校で働くことが、今よりもっと自然になっていてほしい。
20年後、障害のある教師が担任や学年主任、研究主任、教務主任など、さまざまな役割を担うことが当たり前になっていてほしい。
30年後、障害のある校長や教育行政に関わる人が、特別な存在ではなく、社会の中に自然にいるようになっていてほしい。

 その未来を考えたとき、今、私が「障害のある校長になりたい」と言葉にすることには意味があると思っています。たとえ私自身がどこまで実現できるか分からなくても、その言葉を社会に置くことに意味があると思います。なぜなら、誰かが言葉にしなければ、未来の選択肢として見えてこないからです。

「障害のある校長」という言葉を聞いたとき、多くの人はまだ具体的な姿を思い浮かべにくいかもしれません。それは、そのようなロールモデルがまだ社会に十分に見えていないからです。でも、見えていないからこそ、言葉にする必要があります。かつて、「障害のある教師」という姿も、多くの人にとって想像しにくいものだったかもしれません。それでも、実際に働く人が現れ、実践を積み重ね、発信を続けることで、少しずつ認知されてきました。その延長線上に、「障害のある校長」があると考えています。

 もし障害のある校長がいたら、学校にはどのような風景が広がるでしょうか。朝、玄関で子どもたちを迎える校長が、電動車いすに乗っている。全校集会で、言葉に少し聞き取りにくさがあっても、自分の言葉で子どもたちに語りかける。職員会議で、教職員とともに学校の方向性を考える。保護者や地域に向けて、学校が目指す姿を発信する。困ったときには周囲の力を借りながら、それでも学校の責任者として判断し、前に進む。その姿は、子どもたちにどのようなメッセージを届けるでしょうか。

「できないことがあっても、できる形を探せばよい」
「助けてもらうことは、責任を放棄することではない」
「人に支えられながら、人を支える立場にもなれる」
「障害があっても、リーダーになってよい」
 私は、そのようなメッセージを、学校という場所から社会に発信したいのです。そして、入学式の式辞一つをとっても、障害のある校長の存在は、これまでの学校の「当たり前」を問い直すきっかけになると思います。
 校長は、壇上に上がって式辞を述べるものだと考えられてきました。では、電動車いすを使用する校長の場合はどうでしょうか。壇上に上がるためにリフトを準備し、他の教職員がその操作をするのでしょうか。それとも、壇上には上がらず、児童生徒や保護者と同じフロアで式辞を述べるのでしょうか。ここで考えたいのは、単に「どうすれば壇上に上がれるか」という技術的な問題だけではありません。そもそも、校長が壇上に上がることには、どのような意味があるのでしょうか。

 壇上に立つことは、学校を代表する立場を示すためだったのかもしれません。式の厳粛さを保つためだったのかもしれません。会場全体から見えやすくするためだったのかもしれません。しかし、その意味を一つひとつ問い直してみると、校長が必ずしも高い場所に上がらなければ、思いを伝えられないわけではないことにも気づきます。むしろ、同じフロアで、子どもたちや保護者と同じ高さから語る式辞には、別の意味が生まれるかもしれません。

「学校は、誰かが上から語る場所ではなく、ともに学び、ともにつくっていく場所である」

 そのメッセージを、式辞の言葉だけでなく、その場のあり方そのものが伝えることになるからです。もちろん、壇上に上がることを否定したいわけではありません。必要であればリフトを用意し、合理的配慮として壇上に上がる方法を整えることも大切です。大切なことは、「これまでそうしてきたから」という理由だけで形を固定しないことと思います。

 障害のある校長がいるということは、ただ一人の校長の移動方法を考えることではありません。学校の中にある「当たり前」を見つめ直し、すべての人にとって意味のある形へと更新していくことなのだと思います。その問い直しこそが、共生社会を学ぶ学校の姿そのものではないでしょうか。

 もちろん、校長という職責は重いものです。学校経営、危機管理、教職員の育成、保護者対応、地域連携、教育委員会との連絡調整など、多くの責任があります。障害があるから特別に軽くしてほしいと求めていません。むしろ、問いたいのは、「校長に必要な力とは何か」ということです。すべてを一人で抱え込む力でしょうか。誰の助けも借りずに、すべての場面に自分の身体一つで対応する力でしょうか。私はそうではないと思います。これからの学校に必要なリーダーシップは、一人の強いリーダーがすべてを決め、すべてを背負う形だけではないと考えています。多様な教職員の力を引き出し、対話を重ね、チームとして学校を動かしていく力が求められていくように思います。

 障害のある校長は、合理的配慮を受ける側であると同時に、合理的配慮を学校文化として根づかせる側にもなります。自分自身が「できないこと」を抱えているからこそ、一人ひとりの教職員や子どもが抱える困難に敏感に対応できるかもしれません。周囲との協力の中で働いてきたからこそ、助け合うことを「特別扱い」ではなく、学校の当たり前として位置づけることができるかもしれません。私は、そこに大きな可能性を感じています。
 次期学習指導要領に向けた議論では、「多様性の包摂」が重要な方向性の一つとして示されています。その中に、「多様な教職員」も学校教育の中に明確に位置づけるという視点を加えたいと思います。

 多様な子どもたちを支える学校が、画一的な教職員像だけを前提にしていてよいのでしょうか。子どもたちには多様性を尊重しようと教えながら、教職員の側には「こうでなければならない」という狭い枠を残したままでよいのでしょうか。私は、学校にこそ多様な大人が必要だと思っています。

 私自身、障害のある教師として働く中で、何度も壁にぶつかってきました。できないこともあります。周囲の支援がなければ難しいこともあります。身体的な制約や、移動の困難、言葉の聞き取りにくさなど、日々の学校生活の中で工夫しなければならないことがあります。そのたびに私は、「できないから終わり」ではなく、「どうすればできる形に変えられるか」を考えてきました。

 26年の教師生活は、私に一つの確信を与えてくれました。学校は、一人の力だけで成り立つ場所ではなく、チームでつくる場所です。だからこそ、障害のある教師が働き続けることは、単に「配慮してもらう人が職場にいる」という受け止めでなく、学校がチームとして成熟していく過程と捉えたいと思います。困っている人をどう支えるか。支援を特定の人の善意に頼らず、仕組みにしていくにはどうすればよいか。本人の力を奪わず、主体性を尊重しながら協力するにはどうすればよいか。そうした問いは、障害のある教職員だけの問題ではありません。すべての子ども、すべての教職員に関わる問いです。
 今年の七夕の日に、私は短冊に「障害のある校長になりたい」と書きました。それは、自分が偉くなりたいからではありません。学校の一番上に立ちたいからでもありません。
 障害のある人が、学校の意思決定に関わる立場にいてもよい。障害のある人が、学校の未来を語る立場にいてもよい。障害のある人が、子どもたちに向けて「あなたも、あなたのままで社会に参加していい」と伝える立場にいてもよい。このことを、学校から社会に示したいと願っています。
 もちろん、現実は簡単ではありません。学校現場は多忙です。教職員には余裕がありません。校長に求められる責任も大きくなっています。障害のある人が管理職を目指すには、制度上の課題、職場環境の課題、周囲の意識の課題がいくつもあります。けれども、だからこそ、誰かが言葉にしなければならないと思っています。

「障害のある校長がいたっていいよね」

この一言を、社会の中に置いてみたいと切に願います。最初は、違和感をもつ人、「本当にできるのか」と思う人もいるでしょう。「校長は大変だから無理ではないか」と考える人もいるかもしれません。でも、かつては、障害のある人が普通に学校で働くこと自体にも、多くの壁がありました。障害のある教師が学級担任をすることにも、宿泊を伴う行事に関わることにも、さまざまな不安や先入観がありました。それでも、一つひとつ実践を積み重ねることで、少しずつ見方は変わってきたと思います。
 社会は、最初から変わっているわけではありません。誰かの願いが言葉になり、誰かの実践が形になり、それを見た人の意識が少しずつ変わっていく。その積み重ねの中で、社会は変わっていきます。七夕の短冊に願いを書くことは、ただ夢を飾ることではありません。自分がどんな未来を望んでいるのかを、言葉にすることです。私にとって、「障害のある校長になりたい」という願いは、未来への宣言です。障害のある子どもたちに「あなたの未来には、もっと多くの選択肢がある」と、障害のある若い教職員に「あなたも、学校の中心で役割を担ってよい」と、障害のある大学生に「学校のリーダーになれるよ」と、障害のない子どもたちにも「社会のリーダー像は一つではない」と伝えたい。

「障害のある校長がいたっていいよね」
 この願いは、私一人の肩書きのための願いではありません。私は、10年後、20年後、30年後の社会に向けて、この願いを言葉にしておきたいと思います。今すぐにすべてが変わるわけではありません。私の願いが、すぐに現実になるかどうかも分かりません。それでも、願いを言葉にすることに意味があります。なぜなら、希望は、誰かが未来を語るところから始まると思っています。
 2000年、私を教師として受け止めてくれた人たちがいたから、今の私があります。その人たちが見てくれた可能性の先に、26年間の教師生活があります。そして今、私が見ている未来の先に、障害のある校長がいる学校があります。その姿が、いつか誰かにとっての希望になりますように。
「障害のある校長がいたっていいよね」
 この言葉が特別な主張ではなく、当たり前の感覚として社会に広がっていくことを、私は心から願って、七夕の夜に短冊に願いを書きました。

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