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【創作大賞2026応募作・ファンタジー小説部門】Slit ㉛<最終話>



幸せな家族のはずだった。


私は子会社とはいえ、日葉新聞社グループの取締役で、妻はグループ内の雑誌社の元記者。家は分譲マンションで、立地のお陰でそんなに資産価値は落ちてない。
娘は都内でも有数の私立学校に小学生の時から通っており、今は高校二年生だ。

確かに、今私の会社は経営統合という難しい局面を迎えているのだが、それだって、今まで通りのスタンスを保ち続ければ、何とか乗り切れるはずだった。


しかし、現状はどうだ…


死んでしまった妻は、私の知らないところでいつの間にかアルコール依存症になってた。
更に悪い事に、彼女は薬物にまで手を出していた。
そして、終いには自分でクスリを使うだけでなく、人に売るような真似までしていた。
これはトドメだ。
決して許される事はない。

対して、私は今まで善良に生きてきたと思い込んでいた。
会社で与えられた役割をきちんと果たし、実力が認められて出世してきたと思っていた。
しかし、どうやらそれは全然違っていたようだ。
私が上司と話し合い、時には経営陣に対して憚らず上申してきた事は、単なる上への媚、諂いだったらしい。
私はそうは思ってないが、会社にいるみんなは一様にそのように見ていたという事だ。
与えられた仕事は、横取りだし、私が努力してクライアントに認められたと思ってたのは、全くの思い違いで、単にイニシャルが同じという理由だけだったそうだ。


そして、浅野君…


彼は私の応対のまずさで死を選んでしまった。

取り返しはつかない。

浅野君は間接的に私が殺したようなものだ…

私は捕まりはしないが、殺人者だ。


つまり、私も瑤子も犯罪者だったという事だ。
これを瑞希にどう説明すればいいのだろう?


ああそうだ…瑞希に電話をしないと…




インターフォンが鳴って、私は目が覚めた。

いやにリアルで、整理されてた夢を見ていたようだ。

もう一度、インターフォンが鳴った。

私は応答した。

「どちら様でしょう?」
「警視庁の脇坂と言います。急に訪ねてすいません。何しろ、時間がなかったものですから…失礼ですが、鵜塚瑞希さんのご父兄ですか?」
「ええ、そうですが、瑞希が何か?」
「ええ、ちょっと話がしたいのですが、お邪魔してもよろしいでしょうか?」

脇坂と名乗った男は薄いナイロン地のジャンパーを着た中肉中背の50過ぎぐらいの男性で、カメラにバッジをかざしてきた。

「分かりました」

私は、エントランスのドアのロックを解除した。



脇坂はすぐにやってきた。

私はリビングに通したが、「ここに座らせていただきます」と言ってから、ダイニングの普段私が座る椅子に腰かけた。
そこは私の席だと主張するのも気が引けたので、私は真向かいの瑞希の席に座った。
それよりも瑞希だ。私が「瑞希は…」言いかけると、「瑞希さんは無事です。ただ、本題に入る前に一つだけ確認させてください。あなたの身元確認が必要ですので、マイナンバーか運転免許証を見せていただけますか?」

求めに応じて、私は運転免許証を彼に見せた。
彼は番号などをメモした。それが終わると、彼はいきなり話し始めた。

「早速ですが、鵜塚瑞希さん、今は17歳で高校二年生。現在はサンフランシスコに留学中という事でよろしいでしょうか?」
「ええ、間違いありません」
「あなたは、瑞希さんのお父さんで、鵜塚喜一郎さん」
「その通りです。で、瑞希は何に巻き込まれたんですか?瑞希は無事なんですか?」
「無事だとさっき言いました。但し、今は総領事館で身柄を確保させてもらっております」
「身柄を確保って…瑞希は何かの事件に巻き込まれてるんですか?」
「安心してください。瑞希さんはどの事件の被害者ではありません。加害者でもありません…まあ、参考人です」


参考人…


「どういう事ですか?」

「手短に話しますとね、瑞希さんの学校の三人グループでね、ある中年男性相手に「パパ活」をやってたらしいんですわ。三人で代わりばんこで男の相手をして、お小遣いをもらってたそうです。数日前にその男は飛び降り自殺してしまうんですが…男がいなくなって、三人のうちの一人が、どうにも心配になって学校のカウンセラーに相談したんです。男から変なクスリを使われたと言ってね。それで警察に相談があって、検査をしたんですが、その子自体は、二回しかクスリを使ってなかったらしくって…それもかなり前に二回だそうで、何の反応も出なかったんですよ。でまあ、詳しい話を訊くじゃないですか。それで、残る二人の身元も判明して、二人を調べたら、常習者一歩手前までいってましてね」


数日前…飛び降り自殺…

大町…


「それで、うちの瑞希はそれにどう関係するんですか?あいつは今、サンフランシスコですよ」
「ええ、分かってます。ですが、その三人グループよりも前に男と付き合い始めたのは、どうやら瑞希さんのようでしてね。三人は瑞希さんをいじめて、男を取り上げたみたいです。瑞希さんはもう一年近くあっちにいるそうですから、あっちでクスリを調達してたりしなければ、恐らく薬物検査をしても何も出ないでしょう。でも、もう既に、二人容疑者扱いになっちゃってますんで、警察としては調べざるを得ないと…」


瑞希が、パパ活…

どうして…

それもよりによって、大町と…


「売春や、未成年者不純異性交遊とかは、男が死んでしまってる以上、もう罪は問えないんですが、薬物使用は刑罰ですから、それは逮捕しない訳にはいきませんので、学校に相談したところ、「後で色々と追加で出てきても困るし、できるだけ穏便に済ませたい」という事でしたので、現地総領事館から人を出してもらって、瑞希さんの身柄を確保しました。明日、その人間と一緒に帰ってきますので、羽田に着き次第、我々が引き継いで瑞希さんを署まで運び、検査や事情聴取を行うつもりです。検査の結果が出て、聞きたい事を全部聞いたら、鵜塚さんへ連絡しますので、瑞希さんを引き取りに来てもらいたいのです」
「分かりました…」


それから数分に渡って、脇坂は色んな注意事項を私に話したが、私には何も入ってこなかった。


瑞希まで、犯罪者…


その事で、頭はいっぱいになった。



用件を全部話すと、脇坂は帰っていった。

私は一人、部屋に残った。

虚脱し、虚無感が心を占めた。

数時間、カウチに寝そべって、天井を見つめた。

涙が止めどなく溢れ、横に流れた。


もうどうしようもない。


時計を見た。

真夜中の少し前だった。

起き上がって窓の外を見た。

向かいのマンションの部屋の明かりが沢山見えた。

うちも明るかったのに…


何故、こんな…


もう次の言葉は出なかった。

「バンニン!」

答えない。

「シンパン!」

同じだ。

やはり、スリットなどなかったのだ。

今となってはスリットがある世界を望んで仕方がない。

「バンニン!シンパン!」

もう一度言ってみた。だが、結果は同じだ。誰も答えてはくれない。


生きる気力が失せた。
生きなければならない理由もなくなった。


死のう…


私はフラフラっとベランダに出て、そのまま飛び降りた。


スリットが開いた!


スリットはあった。



##1

チン!

トーストが焼けた。このオーブントースターは、3万もする高い物だが、金額に見合う程の高性能で、驚くほどおいしいトーストを焼いてくれるだけでなく、指定した時間が間違ってなければ、絶対に焼き過ぎる事はない。

焼けたトーストの表面にクリームチーズを塗り、昨日の日曜日に駅前のデパ地下で買ったスモークサーモンとサラダ菜を乗せる。ガスレンジでは、鍋が沸騰したのを、コポコポという音で知らせている。この湯に卵を割り入れ、ポーチドエッグを作る。

私は朝食用の卵料理のうちで、ポーチドエッグが一番好きだ。と言っても、味が好きな訳ではない。それが証拠に、私はポーチドエッグにウースターソースをかけて食べる。私はポーチドエッグを作る過程が好きなのだ。沸騰した湯に卵を入れると、すぐに塊が出来始める。これを見るのが好きなんだ。

何だか、理科の実験をしてる気分になる。卵が出来たら、掬ってボウルに入れて、同じ湯でソーセージを二本ボイルする。全部出来たら、ダイニングテーブルに並べる。

最後に淹れたばかりのフレッシュなコーヒーを自分のマグに注ぎ、その横に缶の野菜ジュースを配置する。野菜不足はジュースで補う。全部揃ったのを確認したら、私はTVをつけ、朝のニュースを見る。

時刻は、朝の4時55分。早朝だ。

今日は1月の最終週の月曜日で、東京の朝の気温は、今シーズン初めて氷点下2度となったとTVが言っている。私が住む15階の部屋は、廊下を含めて、全室エアコンが効いてるので、寒さは感じないのだが、外に出ると、途端に寒風が堪えるのだろうなと思った。一番暖かいコートとマフラーをして行こう。勿論、手袋も忘れてはいけない。そんな事を考えながら、私はTVのニュースを聞きながら、スマホでニューストピックを読み、朝食を食べた。


気づいてない訳がない。
一番最初のシーンに戻った。
ただ違うのは、瑤子が起きてこなかった事だ。


その方がいい。
全ての始まりは、あの違和感からだった。


食事を終え、身支度を整えたら、私はダイニングを出て、玄関へ向かった。
廊下には、左右にドアが6つあるが、一番最初の右側のドアが瑤子の部屋だ。
普段なら絶対にしないのだが、気になってドアを薄く開けてみた。ノックもなしにだ。
すると、酒の強い匂いと汚物の強烈な臭いが鼻を衝いた。

私はドアを全開にした。

瑤子はベッドの上で吐しゃ物塗れで横たわっていた。
息はしてない。

どうやら、吐いたもので喉を詰まらせたようだ。


この方が、まだましだ…




そう思った。


警察に電話した。

その後、会社にメールを打った。

「今日は出社できない」



警察や救急が来るまでの間で、私は次の手順を考えた。

会社を長期で休み、その間、サンフランシスコへ飛んで、瑞希を連れ戻す。

そして、帰ってきたら、取締役を辞任して、会社を去る。

プランは決まった。

あとは、もうスリットが出てこない事を祈るばかりだ。



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