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【連続小説】産まれて一週間の子猫の肉球 #3

寒くて起きたら、暗くなっていた。
 
エアコンの設定は21℃。それも3台全部。しかも出力最大。
 
死んでてもおかしくないな、この冷え方は。勝治はそう思い、苦笑いしながらもそもそと動き出した。
 
電気をつけた。見慣れた茶の間。六畳の和室。奥にキッチン。
驚いた。畳の上に隙間がないほどのビールの空き缶、巨大な安い焼酎のペットボトルが散乱している。
卓袱台の上には、食べ散らかした跡、灰皿に収まりきらない吸い殻。
 
何てこった…
 
こんなだらしない生活をしていたのか?
 
知っていたはずの事だが、部屋が涼しくなったおかげで客観的に見る事が出来た。
でも、自分がこんなに沢山の酒を吞み、煙草を吸っていたとは信じがたかった。
 
 
酒は好きだったと思う。
 
しかし、酒の味を思い出せない。煙草はどうなんだろう?
大体この部屋に酒や煙草はあるのだろうか?
 
時計を見た。8時12分ぐらい。腹が減った。8時を過ぎている。出前を取るならもう近江屋のトンカツ定食か、お好み焼きしかない。
 
近江屋にしよう。
 
電話をかけた。つながった。でも、相手からは何も声が聞こえない。
桜井さんは、一方的に用件を伝えるだけでいい、と言っていた。
 
「ヒレカツ定食で、味噌汁を鯛のあら汁に変えてください。」
 
電話を切った。
 
茶の間を片付け始めた。
勝治は几帳面な性格で、やや潔癖症なほどのきれい好きなはずだった。
なんで、こんなにゴミ屋敷みたいにしてしまっているのだろう?
 
部屋がきれいになったころ、桜井さんが突然現れた。音もなく。どこから入ったかもわからない。
彼女は、ヒレカツ定食と鯛のあら汁が載ったお盆をもって、店から茶の間に上がる三和土に立っていた。
 
「藤田様、お食事を届けに参りました。」
「ビックリした!どこから入ってこられましたか?」勝治は、多少大きな声で驚きの声をあげた。
「申しましたでしょう、ここは三次元の裏です。そんなに驚かないでください。声でこっちが驚いて、味噌汁がちょっとこぼれてしまいました。」
「それはすいません。そうですか。なるほど。やや慣れるのに時間がかかるようです。」
「お食事、こちらに置きます。」桜井さんは、卓袱台にお盆を載せた。
 
出来立てのヒレカツ。湯気が立っている。
 
食欲をそそる。
 
桜井が言った。「では、私はこれで失礼いたします。お食事が終わられたら、食器やお盆はそのままにしておいてください。明日、私が次の食事をお届けに上がる時に引き上げますので。」
「分かりました。」
「後、お酒ですが、冷蔵庫に缶ビール、キッチンの下の扉の左側にスーパー焼酎を入れてあります。」
「それはどうも。助かります。」
「では、お食事を楽しんで。」
「色々、ありがとうございます。」
「藤田様?」
「何でしょう?」
「呑み過ぎないで。体に毒ですわよ。」
「分かりました。」
 
勝治はテレビをつけ、阪神×広島戦を見ながら、食事をとった。
 
ビックリした。全部、味がしない。食べているという実感はある。でも、全然味がしないのだ。
しかし、確実に空腹は満たされている。とても不思議な感覚だ。
缶ビールを呑み、焼酎の水割りを呑んだ。
全部、味がしない。そればかりか、全然酔えない。まったくだ。
どれぐらい呑んだかは分からない。呑んだのかどうかも判然としない。
やがて、三次元の裏という事に違和感を抱きながらも、不覚にもテレビをつけたまま寝てしまった。
 
10対0で阪神は負けた。これには何の違和感も抱かなかった。
 
 

■布団を作り始める。


翌朝は、5時に目が覚めた。
たっぷり寝た、という実感があった。
室温が低く、寝やすかった。
勝治は、茶の間の畳の上で、うつ伏せの姿勢で寝ていた。
のろのろとトイレに行き、そのまま洗面所へ行った。
顔を洗って、鏡を見ると左の頬に畳の跡がくっきりと浮かび上がっていた。
簡単に朝食を済ませ、昨日の出前の食器を洗い、昨日片づけた大量の空き缶や、焼酎のビッグボトルを表の収集所に出そうと、シャッターを開けた。
まず、ガツンと太陽光。その後むせ返るような熱気と湿気。今日も暑くなる予感がしていた。
店の前の通りを横切り、少し先の収集所に缶、ビッグボトルを置く。
 
ここまで何の違和感もない。ただ感心するばかりだ。
すごいなあ、三次元の裏って…
しかし、よく見ると、違いを見つけた。
勝治の店以外の家や店が全くない。
隣の洋品店、その隣の食料品店、そして中華料理の蓬莱がある場所は、全部白くぼやけていた。
そりゃそうだわな。そこまで再現してたら、大変だわ。
でも、そしたら昨夜の近江屋のヒレカツ定食はなんだ?どうして?
 
謎が深まる。しかし、暑いなあ…
 
勝治は、外は暑いので、店の中に入り、その快適さのあまり深く考えるのをやめにした。
まあ、いいさ。布団さえ作れば、100万円が入る。でも、100万でよかったっけ?
いや、もっと欲しいな。店の借金を全部相殺したい。
いくらあればよかっただろう?思い出せない。
後でPCを見よう。
 
勝治は、店の布団打ちのスペースに行き、いつもの場所に座った。
まずは道具の点検と、綿と布を全部見た。
全部、勝治の店の通りだった。
しかし、どれも触っている実感はあるものの重みを感じない。
これは厄介だぞ。
布団を打つにあたり、全部重さが大切だった。
重みで調整する。
困ったな…
 
産まれて1週間の猫の肉球の手触り?
それを敷布団で?
どうすればよいのだろう?
 
勝治は色々考えた結果、まずは肉球を忠実に再現する事に決めた。
そして、一番番手の細い絹糸で織ってある布を取り出した。
布全体に真綿を薄く敷き、仮留めをしてから、表に返す。そして大体1㎝程度の絞りを作り、それを糸巻きする。
1個1個が肉球のような手触り。それを均等にずっと作っていく。
これで敷布団にする?全く気が遠くなるような作業だった。
しかし、これで完成まで時間が稼げる。
 
借金はいくらだったか?かかった日数×100万だろう?じっくり時間をかける方が得策だよな。
 
でも、久米島さんは「時間がない」と言ってた。確かに認知症がどんどん進行しているんじゃ、時間がないのかもな。急がないといけないな。でも、この作業は困難を伴うぞ、どうする?
まあいい、作業の方向性は決まった。後はおいおい考えよう。
 
まずは店のトランジスターラジオをつけた。いつもの番組。四国の放送局だぞ?
パーソナリティがしゃべっている日付は今日と同じ。渋滞情報や、潮の干潮満潮の時刻まで、いつも通り。
 
スゲエな。
 
冷蔵庫から、いつも作業するときに飲む炭酸水のペットボトルを持ってきた。
作業スペースは暑いので、炭酸水をちびちび飲み、塩を舐めながら作業していた。
今日は快適。室温は24℃。塩はいらない。
午前中は無心で絹糸と綿でできた肉球を作って過ごした。
3時間以上かけて作ったのに、肉球はまだ27個しかできていない。
要領はつかめた。午後はもっと作れるだろう。
 
昼飯の出前を頼もうと蓬莱に電話した。
 
昼食の時にビールを呑んでしまった。
 
すると、めっきり作業をする気がなくなった。
結局、ずっとビールを呑み、ビールが切れると、焼酎の呑み、ラジオを聞いていた。
そして、茶の間で寝てしまった。
 
 
翌朝。
また、早朝に起きた。茶の間で。
 
寝室に行かないな…ずっと2階のエアコンもつけたままなのに。
 
茶の間の畳には昨日の昼から呑んだビールの空き缶が散乱していた。
数えるとロング缶が3本。
3l入るスーパー焼酎のボトルは残り1/3。
アル中だな。 待てよ?俺はアル中なのか?
桜井さんが言っていた。
俺は本当に酒が好きなのか?
分からない。
 
勝治は、また片づけを始めた。
缶を集め、袋に入れ、収集所へ持っていった。外はまたも快晴で、ウっと咽るような熱気だった。
 
焼酎のペットボトルはキッチンの扉の中へ。
出前で取った食器を洗い、掃除機をかけ、気まぐれで拭き掃除までした。
それから、シャワーを浴び、髭をあたった。
さっぱりしてところで、2階の自室に行き、着替えた。
 
スゴイ、服まで全部ある。
 
キッチンには、いつも買い置きする食パンとインスタントコーヒーがあったので、湯を沸かし、コーヒーを淹れ、トーストを焼いた。そして、冷蔵庫にある卵とハムでハムエッグを作り、全部できるとTVで地元の朝の情報番組を見ながら食べた。
食後、2杯目のインスタントコーヒーを飲みながら、今日、どうするかを考え始めた。
作業スペースに敷いてある畳の上の27個の玉が目に入った。
27個? 9個足りない。36個。36個? 何故? 分からん。
作業スペースに座り、無心で後9個作った。36個。なんだか、ほっとした。何故だ?
 
36?
 
何か、覚えがある数字だが、何のことか思い出せない。
 
まあ、36個作った。落ち着いた。
 
だが、どうする?
 
産まれて1週間の猫の肉球の手触り?
どうすればよい?
難しすぎる。勝治は悩んだ。手を動かす事ができない。
 
どうする?
 
やがて、自分なりに結論を出した。
店で一番上等な絹と真綿を取り出し、敷布団を作り始めた。
色々と小手先の策を練るのをやめにした。
正々堂々と、最上級品を作る事にしたのだ。
 
昼時、チャーハンと餃子を出前で取り、ビールを呑み、また寝てしまった。
 
 
起きると、また夕方だった。顔を洗いに洗面所へ行ってた勝治が茶の間に戻ってくると、桜井さんが三和土に立っていた。頼んだ覚えもないのに、キング食堂のハンバーグ定食を持っていた。相変わらずいつ桜井さんが来たのか、全く分からない。
まるで幽霊のようだ。
 
「藤田様、起きてらっしゃいましたか。ごきげんよう。これから久米島様のところへ今日の報告へご同行願えますか?」
そう言うと、桜井さんはハンバーグ定食のお盆を卓袱台に置いた。
「桜井さん、今日はやめておきましょう。あれを見てください。」
勝治は、作業スペースにある絹布団の作りかけを指さした。
「あれが明日には出来上がる。それをもって報告に行きたいので。」
「そうですか。分かりました。久米島様にはそのようにお伝えいたします。」
「助かります。では、また、明日。」
「藤田様。」
「何でしょう?」
「まだ、ビールを呑んでらっしゃるのですか?」と、茶の間に転がる缶を指差していった。
「ええ、つい。餃子にビールが合うもので。」
「もう一度言います。本当に好きで呑んでらっしゃるのかしら?」
「多分。」
「いえ、本当は呑まなくてもいいはずですよ。もう一度お考えになって。」
桜井は、そう言い切ると去った。
 
呑まなくてもいい? 俺には何か呑まなくてはいけないような事があるのか?
 
やってられっか。
そうか。そんな気持ちがあったような気がする。
でも、思い出せない。
思い出さなきゃ。
そう思いながら、勝治はビールを取りにキッチンへ行った。ハンバーグなら、ビールだからだ。
 
 
また次の朝になった。良く寝たせいで、寝覚めは良かった。
相変わらず茶の間で寝てた。
勝治は起きると、直ぐに顔を洗い、服を着替え、朝食を作り、食べ、仕事にかかる準備をした。
何だか分からないが、気力が満ちていた。
 
午前中で絹の布団は、大体仕上がった。
 
昼時、出前を桜井さんが持ってきてくれた時に、布団が仕上がっている事を伝えると、桜井さんはすぐに聡子に伝えると言った。
 
午後、いつものようにラジオをかけながら、茶の間の片づけをした。
 
ビールの空き缶は6缶。多いか…でも、焼酎は昨日は呑まなかった。
 
今日も、昼飯の酢豚定食と一緒にビールを1缶呑んだ。但し、焼酎は今日もまだ呑んでいない。
缶を収集所に持っていくために外に出た。
今日も飽きずに快晴だ。汗だくになる熱気と湿気。海風が濃い潮の香りを届けた。
 
本当に、ここは三次元の裏なのか?またもいつもの疑問が湧いてくる。
自宅にいるのと変わらない。ただ、店の前の通りと自分の店以外は全部白くぼけているのだが。
しかし、ここの自宅はエアコンが寒いほど効くし、本館に行くと聡子がいる。
そして、何よりいつも急に桜井が現れる。
桜井さん。あの人はいったい何者なんだ?知ってる人のような気がずっとしているのだが、誰だかは未だに分からない。
 
それにしても暑い。
 
勝治は、店に戻ろうと、ガラスの引き戸を開けた。
 
「おかえりなさいませ。」
店の中に桜井が立っていた。
「ビックリした!驚かせないでください。」
「申しましたでしょう。そろそろ慣れていただかないと。」
「それはなかなか難しいですね。」
「まあ、それは徐々にお願い致します。聡子様がお呼びです。出来上がった布団を持って、ご同行願えますか?」
「結構です。参りましょう。」
「では、早速。」

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