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【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ⑮~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。


重い… 熱い…


慶次朗は目を覚ました。


なんだ?



慶次朗の身体に覆いかぶさるように意人が抱きついていて、慶次朗が目を開けると、意人はその目を見ながら、「慶次朗ちゃん、やっと起きた」と言った。


やっと?


慶次朗はスマホの画面を見た。

8時44分
今日、告別式。
9時半には葬儀場に行かないといけなかった…

ヤベ… 寝坊した。

昨夜、歌舞伎町から帰ってきて、ベッドに入ったのは3時前だった。

「意人、起こしに来てくれたのか?」
「うん、社長が起こしてこいって言ったから。後、社長が、慶次朗は朝飯をちゃんと食ってから、「10時までに来たらいいから」と言っとけって、言われた」
「そうか、ありがとう。じゃあ、俺、支度するわ」

意人は、白いポロシャツに紺の短パンを履き、白い靴下を履いていた。
意人の準備は、万端のようだ。

「じゃあ僕、先に食堂行ってるね」
そう言って、意人は慶次朗のベッドを出た。


慶次朗は吊ってあった喪服を着て、外へ出た。
ガツンと強烈な日光が、慶次朗を刺し、母屋に辿り着く前に、汗が噴き出した。
この喪服はオールシーズン対応だと言っていたが、流石に今日のような真夏の晴天の日に、この喪服はずっとは着てられなさそうだと、思った。
だから、慶次朗は上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をまくり、黒いネクタイを外した。

食堂に入ると、冷房が効いて涼しかった。

意人が端っこの席でアイスキャンデーを食べていた。
奥から喪服を着た竹内が出てきて、「キッチンに慶次朗さんの分のおかずは置いてあるから、ごはんと味噌汁は自分でよそって食べてね。私、社長と一緒に先に出るから」と言い、慶次朗は頷いて返した。

慶次朗は厨房に入り、自分の朝食をセットして、食堂に戻った。
アイスを食べ終わった意人は、テレビでアニメを見始めていた。

慶次朗は「いただきます」と言い、一人で飯を食べ始めた。
今朝の魚はみりん干しで、味噌汁は豆腐と玉ねぎだった。
みりん干しは、慶次朗の好物だ。慶次朗は半身で飯を一膳食べ、ごはんをお代わりして、半身をほぐし、飯の上に載せ、茶漬けにして食べた。
ここの煎茶は苦味が多少強く、みりん干しのみりんがお茶に溶けて、美味かった。

慶次朗は食べ終えて、お盆を持って厨房に下げた。
そして、コーヒーを注ぎ、マグを持って、外の喫煙所へ行った。


昨夜、帰ってくる途中のコンビニで、電子タバコの器具とタバコを買った。
慶次朗は、久し振りに自分の好みのタバコを吸った。


「慶次朗ちゃん!」
意人が喫煙所まで走ってきた。

「意人、中にいな。タバコが臭いよ」
「そんなん平気だよ。父ちゃんも社長もモクモクとタバコ吸ってるもん。慶次朗ちゃん、知ってる?」
「何を?」
「今日も泣いちゃダメなんだよ」
「今日か?ママのお葬式だぜ?泣いてもいいんじゃねえか?」
「ママじゃねえよ、お母ちゃん!母ちゃんが言ってたから、ダメなんだよ」
「何でダメなんだ?」
「勿体ないからさあ」



勿体ない… 


サウザンド・ティアーズ…

 

意人も知ってるのか…



「意人は、これまでに何回泣いたんだ?」
「母ちゃんが数えてくれてたんだあ。赤ちゃんの時の分も含めると、もう729回なんだけど、母ちゃんは赤ちゃんの時の分は省いていいって言ったから、それだと231回なんだよ」
「そうだなあ、赤ちゃんの時は省いていいよなあ。231回かあ、それって多いのかなあ」
「分かんないけど…でもね、今日泣いちゃうと、232回になっちゃうから、泣かない方がいいんだよ」
「泣かない方がいいかあ…そうかもな。勿体ないもんな」
「そうだよ。勿体ないんだ。慶次朗ちゃんは何回泣いたの?」
「俺かあ、俺は382回だ」
「うわ、少な!僕、負けちゃうじゃん。よーし、決めた。今日は絶対泣かない」

慶次朗は両手で意人の頬を包み、意人の顔を見つめた。
意人は出来るだけ真面目な顔を続けるように頑張っていた。

「意人、約束だぜ。俺とお前は今日は泣かない」

慶次朗は意人を抱き締めて言った。

「うん、約束だ!」
「それとなあ、今日からお前は俺の事を慶ちゃんって、呼んでくれ」
「慶ちゃん?分かった」

慶次朗は、意人に「慶次朗ちゃん」と呼ばれるたびに、恵美を思い出していた。きっと、何となく声変わりしていない意人の可愛い声が恵美姉に似ているからだった。
恵美姉は朗らかに、コロコロと涼しい声でよく笑う人だった。
涼しい声…意人の声も涼しい…

慶次朗は、また意人の顔を見た。
意人は真面目な顔を続けながら、慶次朗の目を見つめた。

慶次朗は抱き締め直した。
そうしないと、慶次朗の目に涙が溢れそうになっている事を意人にバレてしまう。

泣くもんか…

慶次朗は涙を流さないように一生懸命堪えた。



慶次朗たちが食堂に戻ってきたのは、夜8時を過ぎた頃だった。
告別式を終え、葬儀社の手配するマイクロバスで火葬場へ行き、そこで昼食の弁当を食べ、酒を飲み、呼ばれて戻ると、恵美はもう骨になっていた。
それを骨壺に収め、マイクロバスで戻ってきただけなのに、もう8時過ぎだ。


山野辺の強い要望で、食堂に祭壇が作られていた。


そこに遺影と位牌と骨壺を収めた。


「お昼のお弁当がまだ、だいぶ余ってるけど、誰か食べる?」と、竹内が訊いた。
「あんな不味いもん、あそこじゃなけりゃ食べられねえよ。全く、葬儀屋が出す仕出し弁当って、何で不味いんだろうなあ…酒だけ飲むよ。慶次朗も付き合うだろう?」と、山野辺は本気で怒ってるような口調で言った。
「いや、俺は意人を部屋に連れて行って、そのまま一緒に寝ます」
慶次朗は意人をおぶったままだった。背中の意人はよく寝ていた。

「意人かあ…そうだなあ、そうしてやってくれ」




告別式の時も、マイクロバスでも、意人は大人しくしていた。



意人が豹変したのは、火葬場で恵美のお棺が焼き場に入れられ、扉が閉じられた時だった。



「イヤあ!イヤだイヤだイヤだ!母ちゃん、イヤだあ!」



火葬場のホールに意人の金切り声が響いた。



「意人、意人。泣いちゃダメだろう」慶次朗は意人を抱き締めながら言った。
「いいよ、泣きたいだけ泣かせてやれ」山野辺が言った。



それから意人は、ずっと泣いた。
そして、泣きつかれて眠った。
慶次朗は意人をずっと抱き締め続けた。
意人は熱を出した。
事務所で解熱剤をもらい、意人に飲ませた。
そして、意人はまた寝た。


慶次朗はずっと意人の側にいた。


「じゃあ、皆さん、今日は恵美姉のために、ありがとうございました」
そう言って、慶次朗は意人をおぶったまま食堂を出て、部屋のあるプレハブ棟へ向かった。

食堂からは、みんなが「お疲れさん」と言ってるのが聞こえた。



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