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【創作大賞2024応募作恋愛小説部門】 レナ⑨


レナは今日は走行距離は短いが、下関に泊ろうと思っている。
下関でふぐを食べるのだ。
下関では、ふぐとは言わない。ふくと言う。
 
下関に行った事がないレナは、まだ本場のふぐ刺しを食べた事がない。
大阪の有名な店のふぐは大好きで、大阪ではふぐの刺身の事をてっさと言う。
ふぐの鍋は、てっちりだ。
どうやら、それは下関でも通用しそうだと、ネットで検索すると分かってる。
 
じゃあ何故、そんな呼び名なのか? レナは知っている。
 
豊臣秀吉が、戦の最中にふぐを食べて、毒に当たって、たくさんの兵士が亡くなった例を受けて、フグを食べる事を禁止するお触れを出した。そのお触れは、何と明治の中盤まで有効だったそうだ。つまり、江戸時代には、誰もふぐを食べていなかった事になる。しかし、それは表向きの事で、裏に回れば、みんなふぐを食べていたそうだ。しかし、お触れが有効である手前、ふぐと堂々と名乗って、食べる訳にはいかない。そこで、ふぐの事を鉄砲と言う隠語で呼んだらしい。
 
ふぐ=毒に当たれば一発で死ぬ。
鉄砲=弾に当たれば一発で死ぬ。 ※諸説あり。
 
当たれば,死ぬから、ふぐ=鉄砲という訳だ。
 
だから、鉄砲の刺身→てっさ
    鉄砲のちり鍋→てっちり   となる。
 
レナは、断然てっさが好きで、その次は、実は唐揚げが好きだ。
 
この1か月ばかり、ベイカーズハウスで飲み食いしていたので、長らく日本酒を呑んでいない。
トモヤが呑まないので、痛飲する事も無くなっている。
今日は、てっさを味わい、日本酒をとことん呑む。
レナは、そう決めて、下関を目指した。
 
下関漁港に近い旅館に部屋を取った。
美味しいと言われるふく屋さんまでは歩いていける。
旅館の駐車場に車を止めると、車に夕陽が当たった。
トモヤが選んでくれたメタリックブルーのルーフに、オレンジの太陽が映る。
 
キレイだと、レナは思った。
 
部屋に入り、荷物を降ろすと、レナは、ふく屋へ歩いて行った。
 
店はあまり混んでおらず、すぐ入れた。
 
料理はコースで、どのコースでも唐揚げはついてくる。
しかし、どれも2人前からというオーダーになっていた。
 
「あの。」
先附を持ってきた女将に、レナは声を掛けた。
「お決まりですか?」女将は、上品だが威勢の良い人のようで、大きな声でレナに言った。
「いや、困ってて。私、一人ですから、どの料理でも2人前は注文できないなと、思ってて。」
「ああ、そんな事。大丈夫、どれでも1人前で承りますよ。」
「その時は、金額は?」
「丁度、半分。」
「じゃあ、特松にします!」
「はい、特松の1人前ね。承知しました。後は、お飲み物は、如何いたしましょう?」
「いきなり、冷酒でもいいですか?」
「あら?イケる口ね、あなた。全然、大丈夫ですよ。銘柄は、どうします?」
「大吟醸で、美味しいのがあれば。」
「地元の酒でね、ありますよ。それにする?」
「じゃあ、それで。」
 
それから1時間半にわたり、レナはふくを堪能した。
レモンを絞った唐揚げは絶品で、お代わりしたかったが、ガマンした。
 
最後に雑炊を食べ、デザートにグレープフルーツを食べると、コースは完了だ。
 
レナは、グレープフルーツですらも、酒のあてにした。
大吟醸の冷酒が気に入った。
どんな料理にも合う、万能選手だと思った。
 
しかし、それはレナの思い違いだ。
何故なら、レナは、何杯目かで既に、強かに酔っぱらっていたからだ。
 
レナは、フラつく足で、歩いて帰った。
 
旅館の前に車を止めておいてよかったと、思った。
そうでなければ、レナは自分の旅館がどこかが、分からなかっただろう。
 
 

あれだけ呑んだにもかかわらず、レナは5時には起きた。
もう11月なので、まだ夜明け前だ。
 
トモヤはいつも早起きで、5時には起きて、体操をしたり、ジョギングをしたりしていた。
1時間以上、身体を動かし、その後、シャワーを浴びてから、朝食を取るという日課なのだ。
そして、この1か月間、レナはそれに付き合って来た。トモヤのようなハードワークは無理にしても、レナだって、走るのは得意だ。毎朝、5km以上は、トモヤと一緒に走った。
 
レナは、朝が弱い方ではないのだが、酒には滅法弱い。酒に吞まれるタイプである事は自覚している。しかし、呑まれるまで呑まないと呑んだ気にならないのだから、仕方がない。
酒をたっぷり吞むと、必然として、朝がグダグダになってしまう。
しかし、今朝はどうだ。全くと言っていいほど、呑み過ぎの影響は出ていない。
身体のケアは大事だなあと、レナは思った。そして、朝風呂に入り、朝食を取り、チェックアウトした。
 
今朝も、本当は早く出る必要はあまりなかった。何故なら、今日は、関門大橋を通って、門司に渡り、門司で昼食に名物の焼きカレーを食べようと思ってるからだ。その後、小倉へ行き、今日はそこで泊まる予定だ。
 
昼前には門司に着いた。門司港は、明治時代の面影が残るレトロな港町で、観光スポットだ。
色んなオシャレな土産物店がたくさんあり、レナは、一つ一つ丁寧に見て回った。
 
ある土産物店で、「筋肉バカ!」というTシャツを見つけた。LLサイズがあったので、トモヤのために買った。
 
門司港にある有名店で焼きカレーを食べに行った。
海辺のテラス席に座り、カレーを待ってると、海鳥が空をホバリングしている様を見る事ができた。
空のブルーは11月のそれで、透明度が増していた。
風はそろそろ冷たいが、日差しはまだ温かい。
焼きカレーが来た。すごく熱そうだ。
レナは、慎重にフーフーしてから、口に運んだ。
フーフーが足りなかった。
 
レナは口の中を火傷した。
 
レナは、小倉に行く事を断念した。
小倉では、銀天街の先にある小さなステーキハウスに寄るつもりだった。
 
会社に入りたての頃、一度だけ九州支社の人間と一緒に小倉の客を訪ねた時に、仕事終わりで新幹線の時間に間に合うよう支社長が連れてきてくれた店だ。
本当に小さなお店で、客席は15席もないんではなかろうか。特徴は、客の前の鉄板で焼く霜降り肉からもうもうと出る煙だ。とにかく煙い店の中で、熱々のステーキを頬張る。これを楽しみにしていた。
しかし、昼の火傷がまだ痛む中で、熱々のステーキは食べられない。
 
レナは小倉を通り過ぎ、途中の山の中のキャンプ場を予約した。
 
キャンプ場のあるインターを降りると、レナはすぐに大きなドラッグストアに入り、口内炎の薬を買った。
そして、その隣にスーパー銭湯があったので、風呂に入る事にした。
風呂はゆっくり浸かった。口の中はまだ痛む。
 
風呂から出ると、カウンターの前には地元の特産品が置いてあった。
 
レナは、とろけるプリンと新鮮なヨーグルトとみかんゼリーを買った。
口の中がまだ痛むレナの今晩の食事だ。
 
車でキャンプ場を目指すと、意外に早く30分で着いた。
 
今日は、何もしないと、決めて、レナは早々にジャージに着替えた。
テレビは、BSしか映らなかったので、何だかよく分からない韓国のドラマを見ながら、プリンとヨーグルトとみかんゼリーを食べた。
食べ終わると、口内炎の薬を飲み、歯を磨きに出ようかと、ドアを開けた。
外に出ると、寒風が吹き寄せた。
 
さっむ。
 
レナはもう一度車に戻った。
そして、ジェイミーがくれたバーボンを一本取り出し、封を開けた。
 
バーボンを呑むと、口の中の消毒になるし、身体もあったまるし…
勝手に言い草だ。
 
レナは、カセットコンロで湯を沸かし、ホットウィスキーにした。
 
ウィスキーは美味かった。
 
何か、あてはないかしら? ランチョンミートがあったわ。
レナはランチョンミートの缶を開け、ナイフで食べる分だけを切り落とした。
 
ホットウィスキーと、ランチョンミートと、韓流ドラマ。
ドラマは悲恋の物語のようだ。
全く観た事がないドラマなのに、何だか泣けてくる。
 
泣きながら呑むウィスキーはすすむ。
 
結局レナは、ウィスキーを3杯呑み、ほろ酔い加減で歯を磨きに行った。
 
そして、布団に入ると、スマホが鳴った。
 
忘れてた。
 
トモヤからだ。
 
慌てて、電話を取った。
 
「やっとつながったね、レナ。もう、酔っ払ってるんだろう?」と、トモヤが言った。
「いいえ、寒空の下で、星を見ていたのよ。」と、レナは嘘をついた。
 
 

レナは、博多に来た。
 
また、髪を切りに来たのだ。
夏に来た店にもう一度行きたくなって、ネットで予約した。
 
レナは、あの後から、まともに美容院には行っていない。
毛染めができるところで、自分で髪を染めたりしていた。
色は、あの時に気に入ったので、ずっと明るいゴールド系にしていた。
長さは、あの時にショートにして以来、ずっと伸ばしっぱなしだ。
 
今度は、ショートにはしたくない。ひょっとしたら、ドレスを着る事になるかもしれないからだ。
いや、きっと、ドレスを着る。だから、短くはできない。
 
でも、雰囲気は変えたい。
 
車をパーキングに停め、歩いて天神の美容室へ行った。
席に着くと、こないだ担当してくれた女性が、今回もやってくれる事になっていた。
 
レナは、自分の意見を言った。彼女は、それを受けて、提案をした。レナはそれを気に入った。
 
美容室に入ってから2時間半ほどで、レナは出てきた。
ライトブラウンの髪色で、ゆるくパーマをかけて、毛先がクルンとしている。
お嬢様みたい。
レナはそう思った。
 
ショーウィンドウに映る自分を見た。満足だった。
 
レナは意気揚々と、車に乗り、次の町を目指した。
 
 

レナは嬉野温泉に泊まった。
 
朝早く旅館を出て、唐津に向かった。唐津焼の夫婦茶碗を買おうと思っていたからだ。
幾つかの工房を巡り、店を見て歩いた。
 
ほんのりピンク色をした茶碗を見つけた。
これがいい。
レナはそれを買った。
 
そして、昼時に呼子へ行った。
 
呼子のイカ。
 
これを食べないわけにはいかない。
 
海辺にある海中レストランみたいな店が有名店だ。
そこへ行くと、行列があり、30分待ちだった。
30分待ってでも、食べる価値がある、そう思って、レナは待つ事にした。
 
順番が来て、レナは店に入った。イカ尽くしの定食が定番だと聞いて、レナもそれを頼んだ。
 
イカ刺しがこれでもかと乗っている定食を堪能した。
横の大家族の客のおじいちゃんとお父さんが、美味そうにビールを呑んでいた。
 
私も吞みたい。
 
レナはそう思ったが、ガマンした。今日はこれから、まだ走らないといけないからだ。
 
レナは店を出た。
そして、熊本の黒川温泉を目指した。
 
 

黒川温泉を目指していたが、途中に小さなキャンプ場を見つけてしまった。
看板を見る限り、渓流沿いのキャンプ場のようだ。
 
そう言えば、山の中で過ごしていなかった。
 
レナは、急遽そのキャンプ場に泊る事にした。
 
事務所でお金を払い、所定の位置を教えてもらう。
事務所では、薪と炭も買った。
そして、タンクに水を満タンにしてから、レナのサイトに車を止めた。
 
まだ、夕方には少し時間がある。
 
レナは早速焚火をし、炭を焼いた。
レナは、野外ではバーナーや、コンロをあまり使わない。
BBQスタンドをいちいち出してくるのは、面倒臭いのだが、この方が色々と便利だからだ。
レナは、BBQスタンドで肉を焼いたりしない。一番の使い道はケトルでお湯を沸かしたり、鍋で煮物を作ったりする事だ。つまり、殆ど家のレンジと使い道は一緒だ。
 
レナはお湯を沸かした。コーヒーを淹れるためだ。
 
キャンプ場に着いたら、そこの空気を胸いっぱい吸い込んでから、コーヒーを味わう。
これは、レナの儀式みたいなものだ。
 
コーヒーが入った。コーヒーは、ジェイミーがくれたコナコーヒーだ。
 
コーヒーを一口飲んだ。
スマホを出し、トモヤにかけた。
トモヤは出なかった。
3回もかけ直してみたが、やっぱり出ない。
レナは、スマホに向けて、ベーっと舌を出してみせた。
 
そして、コーヒーにスコッチウィスキーをたっぷりと入れた。
 
そろそろ火を消して寝ようかな、と思っていたところ、スマホが鳴った。トモヤからのテレビ電話だった。レナは火の側で、電話を取った。
 
「やあ、今日はキャンプ場かい?」
「そう。」
「呑んでるのか?」
「少しだけね。寒いから。」また、軽く嘘をついた。1/3ほどあったスコッチの瓶は空になっていた。
「そう、寒そうだなあ。でも、焚火は暖かそうだ。」
「暖かいわ。あなたはまだ、湯布院?」
「拓也の家に泊めてもらっている。今日の法事の後、親戚の集まりに入れてもらってね。今日は僕も酔っぱらった。」
「そう、良かったわね。」
「月がきれいかい?」
「曇ってて、ぼんやりしてる。」
「明日は雨かなあ?」
「予報ではね、そうみたい。」
「そうか、じゃあ、明日はびしょ濡れになるな。」
「走るの?」
「うん、行こうと思ってるところがあるから。」
「気を付けてね。」
「ありがとう、気を付けて走るよ。レナは、そこにいるの?」
「ううん、私も走るわ。食べたいものがあるの。」
「そうかあ、レナは、ホントに、あれだな、食べる物と、酒にはどん欲だな。」
「そうかしら?そうかもね。でも、色んなところに色んな美味しい食べ物や、お酒があるのよ。味わないと損じゃない。」
「そうかもな、でも、僕は、今までそんな事を考えた事がなかったよ。特に食べ物は、レナのお陰だな。」
「何が?」
「この世には、美味いものがたくさんある事をレナは教えてくれる。」
「まだ、一緒に食べたものは少ないわ。全部、私が話しただけじゃない。」
「そうか?」
「そうよ。」
「…」
「これから一緒に、色んな美味しいものを食べようね。」
「そうだね。」
「じゃあ、私、もう寝るわ。」
「分かった。おやすみ。」
「おやすみなさい。」
電話を切った。
 
月が雲の切れ間から顔を出した。
 
レナは、焚火の火を消し、寝る準備をした。
 
 

翌日は、朝から雨だった。
森の中のキャンプ場はひとしきり濡れており、渓流には雨の音が響いていた。
レナは簡単に朝食を済ませ、早めに出かける準備をした。
コーヒーを2杯飲み、準備は完了した。
 
レナはキャンプ場を後にして、熊本の市街地を目指した。
 
太平燕が食べたいのだ。
 
豚骨スープの中に春雨の麺が入っている食べ物。
レナは、春雨が大好きだし、豚骨ラーメンも好きだから、きっと気に入るはずだ。
 
雨で道が混雑し、熊本のアーケード街には、午後になってから着いた。
パーキングに車を止めて、太平燕発祥の店を探す。
見つけて、食べる事ができた。
 
間違いない。美味いに決まっている。
 
レナは、また食べに来ようと決めて、店を出た。
 
店を出ると、雨は止んでいた。
今日はこれから鹿児島に入ろうと思っている。天文館に行きたいのだ。
 
だから、車を走らせる事にした。
 
車の窓から、修繕中の熊本城が見えた。
一日も早い復興を願いながら、今度来る時は、トモヤと一緒に熊本城も見に来ようと思った。
 
 
レナは、夜遅くなる前に、鹿児島に着いた。
今日は天文館の近くのビジネスホテルに泊まる事にしている。
 
晩ごはんは、鹿児島ラーメンで軽く済ませた。こむらさきという店がレナのお気に入りだ。
 
レナのおじいちゃんは、鹿児島市内の生まれ、育ちだ。
おじいちゃんは、大学で水産学部の教授をしていた関係で、香川に養殖を普及するために移ってきたのだ。
だから、おじいちゃんの兄弟や、従妹など、親戚は、鹿児島にいっぱいいる。
 
中でも、特別に仲が良いのが、レナと年の近い咲ちゃんだ。咲ちゃんは、咲絵と言い、レナより年は2つ上だ。
咲ちゃんは、おじいちゃんの妹の娘の子なのだが、昔っから鹿児島に来ると、咲ちゃんと遊んだ。
 
咲ちゃんが連れてきてくれたのがこむらさきだった。
 
こむらさきでは、席に座ると、熱いお茶が出る。そして、カウンターには大きな漬物の壺がある。
客は、ラーメンができるまでの間、漬物を小皿に取り、それをつまみながら熱いお茶を飲んで、待っているのだ。
 
久しぶりにこむらさきのラーメンを食べた。豚骨ラーメンなのだが、博多とも、熊本とも違う味わいだ。
レナは汁まで全部飲み干した。
 
そして、遅くならないうちに、次の目当ての店に向かった。
 
むじゃき
 
シロクマというかき氷で有名な店だ。
 
レナはとにかくこのシロクマが大好きだ。
最近では、アイスクリームとして、スーパーでも買えるのだが、やはりむじゃきのシロクマとはちょっと違う。何よりも、シロクマが食べたくて、今日は天文館に泊るのだ。
 
シロクマが来た。すぐに食べ終わった。
物足りなかった。もう一つ、頼んで食べた。
 
これで暫くは、シロクマを食べなくても我慢できる、そう思いながら、レナは店を後にした。
 
翌朝、レナは知覧町に向けて出かけた。
知覧町には、レナの母方の先祖が眠る墓がある。
レナは墓参りに行くのだ。
 
午前中早い時間に、墓に着いた。
まずは墓をきれいに掃除し、花を生け、線香を焚いて、手を合わせると、何だか晴れやかな気分になった。
そして、知覧の武家屋敷を見に行き、そこのお土産屋さんで、知覧茶を買った。
 
その後、レナはカツオを食べるために、枕崎へ行った。
枕崎は、鰹節で有名な漁港の町だ。
港の食堂で、カツオの刺身の定食を食べた。
カツオの刺身は、鹿児島の甘い醤油がよく合い、とても美味しかった。
 
それからレナは、また車で移動し、指宿へ行った。
指宿の砂風呂を経験するためだ。
 
レナは子供の頃から、何度も鹿児島に来ているものの、指宿には来た事がなかった。
テレビで見た砂風呂に関心があり、是非とも一度は行ってみたいと思っていたのだ。
まずは建物中で料金を支払い、浴衣をもらって着替える。そして、ゴム草履をはいて、建物の外にある砂浜の砂風呂の囲いへと向かうのだ。
 
浴衣のまま、砂の上に寝ると、おばあさんが二人で、レナの身体めがけて砂をかけてくれる。
レナは砂に埋もれる。
そのまま、40分ほど砂の中でじっとしている。
 
不思議だった。
 
砂に埋もれて、身体を真っ直ぐにして寝ていると、心臓の音がよく聞こえるのだ。
聞こえるだけではなく、心臓が動いているのが分かる、と言ったところだろうか?
今まで、こんなに自分の心臓の存在を具体的に感じた事がない。
動いてくれて、ありがとうと、レナは心の中で言った。
 
砂の中は熱かった。体中から汗が噴き出しているのが分かった。
 
少し経つと、また、分かった事があった。
砂の中で、身体を動かす事なく寝ていると、今、レナの身体の中で痛みがあるところが分かるのだ。
人は、意識を覚醒させたままで、ずっと同じ姿勢であおむけで寝ている事はないのではないだろうか?
このままずっと、じっとしていれば、必ず眠くなるのだろう。
しかし、まだ、意識がしっかりしている時間には、痛みが分かってくるのだ。
レナは、腰と左の肩が痛かった。
そして、ふくらはぎの筋肉が硬直しがちなのを感じた。
 
40分過ぎた。レナはいつの間にか寝ていた。
 
おばあちゃんに促されて起きた。砂から出ると、身体中がすっきりしているのを実感した。
痛みがあったところにも痛みを感じない。
むしろ、身体が軽くなっている。
 
レナは、おばあちゃんたちにありがとうと言い、風呂に入るべく、建物の方に向かった。
 
レナは入来町に来た。
ここは、お母さんのお母さん、つまり死んだおばあちゃんの実家があるところだ。
おばあちゃんの先祖の墓参りに来た。
 
レナは、町に入る前の墓地で、花と線香を買い、墓を訪れた。
バケツに水を汲み、ブラシと雑巾を借りた。
 
そして、墓をきれいに磨いた。
墓は暫く誰も来てなかったようで、少し荒れていた。
レナは墓の回りの雑草も抜いた。
 
きれいになった墓に花を手向け、線香に火をつけて、拝んだ。
 
トモヤと、再び会うまで、後10日。
 
どうか、運命の人に再び会う事ができますように。
 
墓参りを終えると、レナは町の中心に向かった。
 
町営の温泉がある。
 
レナは、この温泉に入りたかったのだ。
レナは、券を買い、脱衣所に入った。
服を脱ぎ、浴場に入ると、平日の昼間にも関わらず、地元のおばあちゃんで一杯だった。
 
レナは、掛け湯をした。無茶苦茶熱い。
そう、ここの温泉は極端な熱湯なのだ。
 
温度計を見ると、48℃。
 
レナは、恐る恐る足を湯に入れてみるが、中々湯に足をつけられなかった。
 
すると、涼しい顔で湯の中にいるおばあちゃんが言った。
「アンタ、そいじゃ、やっせんが。」
すると、他のおばあちゃんたちも言い出した。
「やっせん、やっせん。」 やっせんとは、弱虫とかという意味だろう。
どうしても、膝までしか湯に浸かれない。
「アンタ、そいじゃ、やっせんたっど。」
「やっせんが、きばらんかな!」
「きばったっど!」
 
レナは何とか湯に浸かった。しかし、長くは入っておられない。
おばあちゃんたちは、ゆっくりと湯に浸かったままだ。
 
レナは、最大限の我慢をした。しかし、すぐに限界が来た。
レナは飛び跳ねるように湯を飛び出した。
 
おばあちゃんたちは、笑いながら「やっせんぼが!」と言った。
 
脱衣所に行くと、鏡を見てレナは驚いた。体中が真っ赤になっていた。
レナは扇風機の前で暫く動かなかった。
おばあちゃんのうちの一人が風呂から出てきた。
おばあちゃんは、レナに向かって「きばいやんせ」と言った。
 
レナは服を着て、車に向かった。
まだ、体中の毛穴が開いている感じがした。
 
 

夜、鹿児島市内に戻ってきた。
磯庭園の近くに咲ちゃんの住む家がある。
咲ちゃんは、まだ結婚しておらず、両親とおばあちゃんが住む家の近くにマンションを借りて、一人暮らしをしている。咲ちゃんには、妹がいる。美由紀ちゃんと言う。歳は4つ下なので、レナよりも若い。美由紀ちゃんは、実家暮らしだ。
今晩は、咲ちゃんの部屋に泊めてもらう事にしてる。
 
「今晩は。」
「レナちゃーん!」
「久しぶりー」
「ご飯、食べた?」
「まだ。」
「じゃあ、一緒にこれから天文館、行こう。」
「いいね。何、食べる?」
「レナちゃんを連れていった事ない店に連れていってあげるよ。」
「楽しみー!」
 
咲ちゃんは、さつま黒豚の専門店に連れてきてくれた。
黒豚のしゃぶしゃぶ。
 
ここのしゃぶしゃぶは、変わっていた。
 
普通、しゃぶしゃぶは、昆布などのだし汁に、肉をくぐらせて、ポン酢やゴマダレにつけて食べる。
しかし、この店は、肉をつける汁が、すでに醤油味がついており、そこに肉をくぐらせて、溶き卵で食べるのだ。何だか、ちょっと、すき焼きテイストだわ、レナは、そう思った。
しかし、食べてみると違った。全く別物だ。出汁が違うのか?それとも、醤油?分からないが、すき焼きよりあっさりしているのだが、味わい深い。
女二人で食べているのに、お肉は10人前を食べてしまっていた。
焼酎の湯割りは、二人とも六杯ずつ飲んだ。
 
ベロベロになりながら、最後のデザートを食べて、店を出た。
夜は深まり、人通りが少ない繁華街の道を二人して、フラフラと歩き、タクシー乗り場へ向かった。
レナは上機嫌で、好きな星野源の歌を大声で歌った。
 
翌朝から、レナはいよいよトモヤとの再会に向けて、準備を始める事にした。
咲ちゃんのところへ来たのは、そのためだ。
咲ちゃんは、つい去年までオートクチュールの服の縫子だった。
短大の家政科を出た後、すぐに大阪の会社に入り、デザイナーの服を指定通りに縫う仕事をしていた。
仕事が多すぎて、疲れたために、咲ちゃんは会社を辞め、鹿児島に帰ってきた。
そして、今は実家のリビングルームで、裁縫教室を開き、稼いでいる。
 
レナは咲ちゃんに縫ってもらいたい服のイメージ画を見せた。
そして、色んな見本の画像も見ながら、二人で相談した。
 
「いいわね、これでいこう!」咲ちゃんが言った。
 
デザインが固まった。
 
咲ちゃんは、早速レナの身体のサイズを詳細に測った。
 
この後は、レナの車で一緒に布地を買いに行く予定だ。
そして、今晩は、咲ちゃんの実家で夕食のお誘いがある。
咲ちゃんのお父さんは、レナも顔負けなほどの酒豪だ。
今晩は、覚悟しなければならない。しかし、明日からの過密なスケジュールの事を考えると、今日は控えよう、そう思った。
 
翌日からレナは、大忙しだった。
午前中に、咲ちゃんと二人で天文館へ行き、布地を選んだ。
そして、咲ちゃんの部屋に戻ると、色々のところへ電話をかけ、メールを送った。
メールは招待状を添付していた。
一回の電話で連絡がつかない人や、メールアドレスを知らない人もいて、全員に連絡がつくまでには、二日もかかってしまった。
 
トモヤと約束した、11月22日までは後三日だ。
 
咲ちゃんは、ずっとレナのドレスを縫うのに集中していた。
その間、レナは何度も仮縫いの服を着て、微妙な調整をしていた。
 
11月22日まであと二日となった朝、ドレスの本縫いとデコレーションが始まった。
もう、レナが着てみて、調整する事はない。
 
すると、レナは一人でトモヤと再会する場所へと向かった。
現地で、調整する事がいっぱいある。
 
レナは、丁度昼頃、目指す温泉郷に着いた。
早速、予約をしていた旅館に向かい、明日の準備の打ち合わせをした。
 
この旅館は、ネットで調べた。そして、これまでリモートで何度もうち打ち合わせをしてきた。
担当の福園さんは、若い女性で、今回の宴会が初担当という事で、最初から張り切ってくれていた。
 
今日、福園さんと初めて直接会った。旅館のフロントの庭園の前にあるテラス席でだ。
 
「お待ちもうしておりました。福園です。」
「この度は、お世話になります。立木です。」
「わざわざ遠いところ、ご足労いただきましてありがとうございます。」
「ねえ、堅苦しいの、もう止めない?リモートで話してた時のように、エミちゃんでいい?」
「ああ、その方が私も気が楽です。レナさん。この度は本当におめでとうございます。」
「めでたいか、どうかはまだ、分からないわ。何しろ新郎が、ちゃんとここに辿り着くか、分からないんだもの。」
「そうなんですよねえ。不思議なカップルですよね、お二人は…」
「そうねえ。でも、私が、自分で決めた事だから、文句は言えないんだけどねえ。」
「そう、そこなんですよ。いつも聞きたいなあって思ってたとこ。」
「何で、私がそんな事、決めたかだって?」
「そうなんです。宴会を頂戴する身で、大変差し出がましいのですが、いつも気になっちゃって。あの、聞いてもいいですか?これから、結婚を控える若い一女性の疑問として。」
「賭けたのよ、彼に。」
「賭けた?賭けですか?」
「そう。私たち、運命的な出会いをしてて、それも一瞬で彼はいなくなってしまってて。私は彼を捜して、見つけたの。見つけてね、もう二度℃離さないって、思ったんだけど。一度目に遭った時は一瞬で、再会するまでに一人で日本全国を放浪する時間だけが長くて、彼とは、再会してからも一か月も一緒にいなかったの。」
「えーーーっ、そんな事、あるんですねえ。」
「そう、あるのよ。でね、今回、また彼と会えれば、それはもう、本当に運命じゃない?だから、賭けたの。」
「そうなんですねえ。私はそんなギャンブル、出来ないかなあ?まだ、若いからですかねえ…」
「若い、若いって、暗に人をおばさん扱いするんじゃないわよ。」
「あーーーっ、イヤイヤ、そんなつもりじゃありません。ただ、レナさんがカッコいい大人の女性だと思ってるだけです。」
「本当?」
「ホントです。ホントです。間違いなくホントです。」
「ならいいわ、許してあげる。じゃあ、最後の打ち合わせをしましょうか?」
「その前に、レナさんは本日、お一人でここにお泊りのご予定ですか?」
「いや、今日は泊まらないわ。独身最後の夜だもの。一人で、エンジョイするの。」
「分かりました。」
 
二人は、紅葉が映える明るい庭園の下で、打ち合わせをした。
 
 
打ち合わせは一時間ほどで終わった。
 
レナは、道の駅に立ち寄り、そのまま近くのキャンプ場へと向かった。
 
道の駅では、焼酎の一升瓶と、あてになるものをたくさん仕入れた。
レナは、今晩キャンプ場で火を起こし、一人で盛大に酔っぱらうつもりだった。
 
 
翌朝早くに、レナは旅館に着いた。
旅館では、福園が待っていた。
「おはようございます、レナさん。」
「おはよう、エミちゃん。」
「良かったですね、快晴で。今日は雨の心配はないようですよ。」
「雨なんて、心配してなかったわ。私、晴れ女だから。」
「そうなんですかあ?リモートで、雨の場合の打ち合わせもしませんでしたあ?」
「あれは、念のためよ。念のため。」
「そうでしたか。じゃあ、早速、朝食の準備ができておりますので。朝食は六人分でよろしかったですよね?」
「ええ。まだ、ついてないのかしら、私の連れは?」
「ええ、まだですね。」
「じゃあ、ここで待ってるわ。全員着いたら、エミちゃんに声を掛けるわ。」
「分かりました。じゃあ、私フロントの奥の事務所におりますので。」
「分かったわ。」
 
レナはフロントのソファの一つに腰かけて、待った。
 
 
「レナ!」咲ちゃんが遠くから、レナを呼んだ。
「遅かったじゃない。」
 
咲ちゃんの家族が全員で旅館の玄関を入ってきた。
咲ちゃんと、妹の美由紀ちゃん、そして、おばあちゃんとお父さんとお母さんだ。
 
「途中で、お父さんがトイレに行きたいと言い出してね。コンビニ探してたら、ちょっと遅くなったんよ。ごめんね。」
「いいわよ。早速、朝ごはんの用意ができてるから、みんなで食べましょう。」
 
レナは、エミちゃんを呼び出し、ご飯を食べる食堂へと誘導してもらった。
 
朝ごはんの後、レナと咲ちゃんと美由紀ちゃん、そして、お母さんは衣装室へ行った。
レナの着替えを手伝うためだ。
 
レナはこの日のために、咲ちゃんにドレスを作ってもらった。
それを着て、トモヤが来るであろう場所で、一人、トモヤを待つつもりだ。
 
着替えると、やはりドレスは窮屈だ。
しかし、その窮屈さが、レナの真剣度を上げた。
いよいよ、勝負の時が来た。
 
レナは、準備完了した。
 
レナは、着替えを済ませ、一人で旅館の車で送ってもらった。
 
レナが、待ち合わせする場所へと連れて行ってもらうためだ。
 
咲ちゃんの家族は、旅館で待っていてもらう事にした。咲ちゃんは、一緒に来たがったのだが、レナは断った。
この勝負だけは、自分だけのものだ。レナはそう思ったからだ。
 
旅館の車は、エミちゃんが運転してくれた。
待ち合わせると思っている場所は、そんなには遠くないのだが、何しろレナはドレス姿だ。高いヒールも履いている。だから、車で送ってもらう事にした。
 
レナが待ち合わせを予定したのは、公園の入口だ。
日中は観光客がたくさん訪れる観光公園。そこで、レナはトモヤを待つ事にした。
 
トモヤは来る。間違いなく。
 
レナは、一人場違いなドレス姿で、公園の入口の前で待っている事にした。
時間は、まだ、午前9時になったばかりだ。
 
30分がやっとだった。
なれない高いヒールのせいだ。
レナは、膝がガクガクしてくることを感じていたが、どうにも止められなかった。
 
公園の中に入ればベンチがある事は知っていた。
しかし、それでは駐車場に入ってくるトモヤを見逃してしまうと思った。
だから、ずっと我慢して、公園の入口の看板の前に立ち続けていた。
しかし、もう限界だった。レナは、看板に背をもたれた。
そして、すぐにしゃがみ込んだ。痛む膝と太腿を両腕で抱え、蹲ってしまったのだ。
 
「あんた、寒くはなかね?」
蹲るレナの頭の上に声がした。
レナが顔を上げると、優しそうな眼のおばさんがレナの方に腰を折って、レナを見ていた。
 
寒くはなかね?
 
ああ、寒い。道理で…
11月下旬の屋外だ。
レナのドレスは両方の肩が出ている。生地もシルクサテンなので、防寒性は乏しい。
そうか、ヒールのせいだけではなかったんだ。
 
「寒いです。」
「なんか、羽織るものは持っとらんと?」
「いえ…」
「あんた、ここで、誰かを待っとると?」
「ええ。」
「ここじゃなかと、いかんとかね?」
「そうなんです。」
「じゃあ、ちょっと待っとき。お父ちゃん!ジャンパー!」
チケットの小屋からおじさんが出てきた。手にジャンパーとパイプ椅子も持ってきた。
「寒かじゃろう?これを着んね。」おばさんが、おじさんから作業服のジャンパーを受け取り、レナの肩に羽織らせてくれた。内側にボアがあり、とても暖かい。
「暖かいです。お借りします。」
「これに座らんね。」おじさんがパイプ椅子をレナに出してくれた。
レナは座った。いっぺんに楽になった。
「本当にありがたいです。助けてくれてありがとう。」
おじさんは、座ったレナの膝に、もう一つのジャンパもかけてくれた。これで、寒さは感じなくなった。
「暖かいです。本当にありがとう。少しの間だけ、お借りします。」
「いや、よかとよ。ここが閉まる前に、あの事務所に返しに来てくれたらよか。」
「分かりました。」
「待ち合わせは何時ね?」
「いえ、決めてないんです。」
「じゃあ、待っとる人が来ん事もあっとか?」
「いえ、絶対に来ます。」
「そうか、じゃあ、待っとったらよかが。」
「早よ、来たらよかがな。」
「必ず来ます。トモヤは絶対に来ます。」
 
寒さは凌げた。椅子は快適だ。
これなら、いつまででもトモヤを待っていられる。
 
一時間が過ぎると、レナの心に不安が充満してきた。
色んな事を考える。全部の発想がネガティブになる。
 
二時間を過ぎる頃、レナの心の中は後悔で一杯になった。
 
何で、こんな事を始めちゃったんだろう?
ひょっとして、トモヤは最初から来る気がなかったのではないか?
トモヤに、嫌われてる?いや、そんな事は… でも…
 
いよいよ、後悔のピークを迎えようとしている時、レナの目に自然と涙が溢れた。
 
もう、ムリだ…
 
レナは、もう駐車場の向こうの道路を見ていられなくなった。
そして、涙を抑えるために両手で顔を覆った。
 
 
ドッドッドッドッドッドッドーーーー
 
聞き覚えがある低く腹に来るエンジン音。
遠くから近づいてくる。
 
レナは、恐る恐る顔を上げた。
 
見覚えのある赤いタンク!
 
トモヤだ!
 
トモヤは、バイクをレナの前に停めて、レナの方へ歩いてきた。
 
「トモヤ!」
レナは、トモヤの首に飛びついた。
「うわあ、重い、重い!むち打ちになっちゃうよ。」
「遅いじゃない!」
「ええ?俺、時間を合わせてきたんだぜ。」
「時間を合わせた?何に?」
「今日は、何月何日だ?」
「11月22日よ。」
「今は、何時何分だ?」
「11時22分!トモヤ!」
 
レナは、思わずトモヤにキスをした!
 
「うわあああああーーーー!よかったあああ!」
公園の柱の陰からエミが出てきた。
エミは、ずっとそこに立ち、レナを見守っていたようだった。
「レナさああーーん!よかったああ!」エミは、拍手した。
 
小屋から、おじさんとおばさんも出てきた。
おじさんもおばさんも拍手してくれた。
 
すると、関係のない公園を訪れた観光客の人々も二人に拍手を送ってくれた。
二人は、拍手の渦の中で、はにかんで頭を下げた。
 
「トモヤ、ここ、よく分かったわね。」
「当たり前だろう。あんだけ、坂本龍馬の話を聞かされてりゃあ、絶対ここだと思ったよ。」
 
鹿児島県霧島市
塩浸温泉龍馬公園。
 
寺田屋事件で、手に刀傷を負った龍馬を西郷隆盛が救い、薩摩藩の船で龍馬とお龍を薩摩まで連れてきてくれた。その際、傷を癒すために隆盛から奨められて湯治に来たのが、ここ塩浸温泉郷だとされている。
その時、龍馬は、当然お龍も同行させており、龍馬とお龍の塩浸滞在が、日本初のハネムーンとされている。
 
「あんだけ、話しておいてよかった。」
「まあ、簡単だったねえ。でも、ちょっと、西郷さんの銅像の前も頭をよぎった。」
「そっちだったら、どうするつもりだったの?」
「まずこっちに来て、レナがいなかったら、急いでそっちに向かうつもりだった。」
「それじゃあ、11時23分には間に合わないわ。」
「そんなの言わなきゃ、分かんないじゃん。」
「ズル!」
「まあ、上手くいったという事で。」
 
「あの…」
 
抱き合って、目を見つめて話す二人に、申し訳なさそうにエミが言った。
 
「レナさん、神社の時間が…」
「ああ、そうだった。忘れてた。トモヤ、バイクで神社へ向かって。」
「神社って、なんだ?」
「いいから。私、後ろに乗って、道順教えるから。エミちゃん、ありがとう。先に旅館に帰って、みんなを連れてきて。」
「分かりました。」
 
トモヤとレナは、バイクに乗り、駐車場を出ていった。
エミは、レナが着ていたジャンパーと椅子を事務所へ戻し、一人で車に乗り、旅館へと戻っていった。
 
レナのナビで、二人は神社の前に着いた。
由緒正しい神社のようで、荘厳な雰囲気を漂わせている参道は、木漏れ日が溢れ、静まり返っていた。
 
「いきなり、結婚式か?」
「そう。」
「だって、君は、ドレス着てるからいいだろうけど、俺なんて、このまんまかい?」
トモヤは、黒い皮のライダーズジャケットに、すり減ったデニム、そして少々くたびれたライダーズブーツだ。
「いいじゃない、それで。似合ってるよ。」
「君は、そのドレス、どうしたんだい?」
「幼馴染に作ってもらったの。似合う?」
「ああ、とっても。でも、ウェディングドレスって、白じゃなかったっけ?」
「そんなの、決まってないわよ。今時、カラードレスっていうヤツだって、あるんだから。」
レナのドレスは、夕焼け色だった。この色がレナが目指していた夕焼けの色なのだ。
「そうか… えええーーーー!」
 
本殿の間には人がたくさんいた!
レナのお母さん、おじいちゃん、ジェイミー、ベイカーズの店員のみんな。ボブや修理工場のメンバー、トモヤの自衛隊時代の同僚、そして、トモヤの両親や親戚たち、レナが新潟で会った旅館の女将、浅草の洋食店のマスター、咲ちゃん、美由紀ちゃん、咲ちゃんのお父さん、お母さん、そしておばあちゃん、みんな来てくれていた。
 
本殿には、結婚式の準備ができていた。
二人は、本殿に深くお礼をしてから、中へと入っていった。
まるで、これからの幸せを祈るかのように。
 
 

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