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【創作大賞2025応募作・ミステリー小説】サウザンド・ティアーズ⑬ ~うまくいってるなんて思えた事は一度もない。ただ、涙を流さずに生きるだけで精一杯だ。


天乃屋には山野辺と慶次朗、意人、深雪の四人で行く事になった。
竹内は午後から帰ってくるドライバーを事務所で待ち受けるからだ。
山野辺の私有車に乗り、天乃屋に向かった。
車の中で、意人はご機嫌で、隣に座っている深雪に午前中に行っていたプール教室の事を話し続けた。

「僕さあ、今日、ビート板で15mも泳げたんだよ。先生が、25mまでいけたら、クロールやろうって言ってくれて…すごいでしょう」
「えー、すごいねえ。意人のパパみたいに選手になれたらいいねえ」


ふーん、栄作さんは水泳をやってたのか…


慶次朗は、詳しく訊きたい気持ちが湧いたが、やめておいた。

昨日の晩から今まで、慶次朗は目まぐるしく、ゆっくり考えている暇がなかった。
車に乗ると、慶次朗は急に落ち着いた感じがしたので、事件自体を冷静に考え始めた。


何で、恵美姉は狙われた?



何で刺された?




状況的に、警察は「通り魔による刺殺事件」だと、断定しているように思う。


でも、


何で、恵美姉?



恵美姉が、誰かに、何かしたのか?





通り魔は、恵美姉を一突きした後、その場から徒歩で逃げたそうだ。


そして、未だに捕まっていない。


人間を一突きで殺せるのか?




誰でも出来る事ではないだろう… という事は、刺した犯人はプロ?


怨恨の線はない?


恨んでたりすると、命が亡くなったのが確認できるまで、何回も刺し続けるという。


今回は一撃




後、何で、銀座?



それは思い当たるふしがある。

赤いハートの傘…



リンちゃん…


恵美姉はリンちゃんの間違われた可能性はある?

今、気がついたふりをした。

本当は、さっき深雪が城田の前で、リンちゃんの傘だと言った時から、ずっと思っていた。
あの後、警察がリンちゃんの家を訪ねると言っていたので、余計な口出しはしなかった。

天乃屋の裏のアパート…

メシを食ったら行ってみよう。

車は幹線道路から天乃屋の駐車場へ乗り入れた。
天乃屋の駐車場は広かったが、トラックやタクシーで一杯だった。
山野辺は一番端に空きスペースを見つけて、車を止めた。

「さあ、着いた。意人はお腹空いたか?」山野辺が後ろの意人を見ながら言った。
「うん、ペコペコ」
「プールで頑張ったんだから、そりゃあ腹も減るわな。何でも食っていいぜ」
「やった!」

慶次朗たちは店に入った。


驚いた事に、山野辺は本当にかつ丼を頼んだ。
深雪はオムライスで、意人はハンバーグ定食をオーダーした。
慶次朗はメニューを見て、つい懐かしい気持ちになり「スペシャルB」定食にした。
スペシャルBは、エビフライと小さなハンバーグとホタテフライがワンプレートに載っているもので、恵美姉がここで働いていた頃、給料日には慶次朗を夕食時間に呼び、この定食を食べさせてくれた。

スペシャルB

この店で一番高い定食  と言っても、1380円だ


またも慶次朗は泣きそうになった。
泣きそうになっただけで、勿論涙は零さなかった。

勿体ないからだ。


恵美姉…


犯人を捕まえなきゃ… いや、俺にはムリか…

意人と暮らす先の事を考えないと…


それぞれが注文した料理が届くと、意人は慶次朗の皿を見て、羨ましそうな顔をした。

「どうした、意人?何が欲しい?」
「エビフライ」

慶次朗のさらにエビフライは一本しか載ってなかったが、慶次朗は意人にエビフライをあげた。
そして、意人の鉄板に載っているインゲンを取った。

「これでトレード成立な」
「うん、ありがとう」




四人とも食べ終わった頃、城田と山際がやって来た。

「お食事中にすいません。今、リンという女性のアパートを訪ねたのですが不在でして…どうやら彼女、昨夜からいっぺんも部屋に帰ってないようで…一応お知らせしておきます」
「そうですか…じゃあ、怪しいですね?」と、慶次朗が言った。
「まあ、疑惑は出てきましたよねえ」と、城田が答えた。
「それを知らせるために、この店に来たんですか?」と、山野辺が言うと、「いえ、我々も昼食を取ろうと思って…中に入ったら、皆さんがいるのが見えたものですから報告した次第です」
「なるほど…じゃあ、うちはもう終わりましたんで、これで失礼します。これから通夜なもんですから」
「分かりました。我々とは約束通り、三日後に署でお待ちしますので宜しくお願いします」
「ええ、承知しております。慶次朗君と一緒に伺います。では…」
山野辺はそう言うと、席を立った。慶次朗も深雪も意人も慌てて後に続いた。



食事から戻ると、慶次朗は自分の荷物を開けまくって、喪服を見つけた。
多少皴が目立つが、着れなくはない。別の箱から黒い革靴を探し出し、全部着替えた。



食堂に行くと、喪服に着替えた山野辺が椅子に座り、スポーツ新聞を見ながらタバコを吸っていた。

「ここは分煙じゃないんですか?」
「ああ、外に喫煙所があるけどな。誰もいないこの時間は、ここは俺だけ喫煙OKなんだよ。お前さんも吸っていいぞ」

そう言われて、慶次朗はタバコを買ってない事に気がついた。そして、気がつくと、無性にタバコが吸いたくなった。

「あの…タバコ、一本貰えますかね?」
「ああ、俺ので良ければ…」そう言って、山野辺は自分のタバコとライターを慶次朗に渡した。
慶次朗はタバコを吸った。



手持無沙汰な時間が流れた。



「あの、訊いていいっすか?」
「なんだよ?」
「山野辺さんは、どうして意人の後見人になりたいんですか?」
「ああ、その事かあ。簡単だよ。俺は意人の親父の岩沢栄作を可愛がっていたからなあ」
「それは分かるんですが、でも、ちょっと違和感があって…」
「違和感って、どういう事だい?」
「山野辺さんが、岩沢さんを可愛がっていたにしても、岩沢さんが亡くなった後に、妻であるうちの恵美姉と意人を引き取ってるかのように自分の寮に住まわせたり、恵美姉には仕事までさせてもらったり…それだけでもちょっと過剰かなと思うんっすけど、今度は恵美姉が亡くなっちまって…そんで、独りぼっちになってしまった意人の面倒を見るとか…やり過ぎっていうか…シンプルに「何で?」って、思っちゃうんっすよね」
「ああ、そうかあ…そうかもなあ。俺な、自分の家族で、いっぺん失敗してるんだ。俺は自分で頑張って、この会社を作るまでやって、作ってからも頑張ってたんだがな。女房の咲子が、ダメになっていってるのに気づかなかったんだ。浮気はするは、ギャンブルで大きな借金をこさえるは、しまいにはキッチンドランカーになっちまって、そんで、ある日、蒸発しちまってな。望は高校へ行ってて、帰ったら、もう咲子はいなかった。俺は長距離で出かけたままで、望は一人で、どうしていいか分からずに、家で一人でいて…そっから、望はどんどん転がるように悪い方へ行っちゃってな。アニメ好きで、専門学校行って、その関係の会社に入ったんだが、ブラックで、すぐにおかしくなってしまって、会社を辞めた。それで、今は二階の部屋に籠りっ放しだ」
「夜中に赤い照明が明るい部屋っすか?」
「何だい、もう気づいてたのか?」
「ええ、昨夜、仮眠所へ移った時に」
「望は、どうも自分の部屋を赤くすれば、咲子が戻ってくると思ってるらしくて、それでアイツは夜は部屋を赤くするんだ。「夜暗い時、部屋が赤いと落ち着く」とも言ってたな」
「じゃあ、望さんは、今でもまだお母さんが帰ってくるのを待っているんだと?」
「まあ、そういう事だ。でもな、あんなに酷くなったのは本当に7年前ぐらいなんだよ。咲子が家を出てしまったのは20年以上前なんだけどな。引きこもりは、まあ仕方ねえとしても、まさか、こんな風になってしまうなんて、考えもしなかったな」
「7年前って、何があったんっすかね?」
「それが分かんねえんだよな。もうすぐ28歳になるっていうのに、あのざまだ。部屋から一歩も出ようとしねえんだ…困ったもんだよ」



「社長、ここにいたの?社長と慶次朗さんは、もうそろそろ出かけないといけないんじゃない?」
竹内が食堂に入って来て言った。


「ああ、分かった。じゃあ、慶次朗君、出かけようか?俺らは葬儀場と支払い等々の打ち合わせがあるんで、先に出かけるぞ」
「分かりました」

山野辺と慶次朗は先に車で葬儀場へ向かった。




通夜は予定通り18時から始まった。
恵美は親戚等は一切いないため、親族の席には慶次朗と意人、そして山野辺が座った。


弔問客も少なかった。


意人の学校や幼稚園時代のママ友が来てもよさそうなのだが、殺人事件の被害者とあって、どうやら敬遠されているようだった。

9時過ぎに店を閉めた後の、天乃屋の店主や、バイトの人たちが弔問に訪れた。

意人は、控室で寝ていたので、その対応は、慶次朗と山野辺で行った。

山野辺の会社のユニフォームを着たドライバーもバラバラにやって来た。
それを見ると、社員は20名以上いるようで、意外に大きな会社である事が分かった。

しかし、柳原は来なかった。




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