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【創作大賞2025応募作】爽やかな人 ③



翌朝、沢木先生は、いつも通り8時半に店に来た。
朝食を食べ終わり、ゆっくりコーヒーを飲んでいる時に、「考えてみたんだけど…」と、私に言った。
「何をでしょう?」
「昨日の朝、田所さんが言ってたデザートの件さ…」
「何かいいの、思いつきました?」
「レモンケーキはどうだろう?」
「レモンケーキですか?どんなヤツ?」
「楕円形のレモンの形をしてて、表面を固いレモンクリームでコーティングされてるヤツ。で、スポンジの中に柔らかいレモン風味のカスタードクリームが入ってて…」
「難しそうですね…でも、何でレモンケーキなんですか?」
「この店がある場所は、長らく空き家だったんだが、昔喫茶店だったのは知ってるよね?」
「ええ、入居する時に聞きました。喫茶フルトンっていう老舗だったんでしょう?」
「そう、店主のご夫婦がなくなって店を閉めてから、もうかれこれ6年になるかな?そのフルトンの名物メニューだったんだよ、レモンケーキが…僕は、味音痴だから、詳しいレシピとかは分からないんだが、多分この商店街の長老である散髪屋さんのパーラーミキのお父さんとか、佐藤茶店の親父さんとかが、フルトンの常連だったから、味とかを聞いてみたらいいと思う。ひょっとしたらレシピの知ってるかもしれないし…」
「分かりました。そのレモンケーキって、この商店街の懐かしい味なんですね?」
「そう、僕らの年代から、大体50代の人までは、一度は食べた事がある味らしいよ。40代でもギリ覚えてるかもしれない。僕はこの町に昔から住んでいた訳じゃないから、よく知らないんだが、レモンケーキは、僕も何回か食べた事がある。とても美味しいケーキだよ。」
「分かりました。そのケーキの写真とかはないんですか?」
「店の奥の倉庫があるだろう?そこにメニューとか、昔の店の備品が閉まってある筈だから、そこを見てみるといいよ。倉庫の鍵は僕が持ってるから、うちの受付の小林さんに渡しておくので、後で小林さんを訪ねて、鍵をもらってくれたら」
「分かりました。私ができるかは分かりませんが、一旦検討してみます」
「それでいいよ。宜しくお願いします。いけね、話が長くなった。僕は病院へ戻るよ。今日も美味しい朝食をありがとう。美味しかったよ」
そう言って、沢木先生は小走りで店を出て行った。



9時に店を開ける前に、私は二階へ上がり、病院の受付で鍵を受け取り、倉庫へ入ってみた。
そこには昔店で使っていた食器類やテーブルや椅子がギュウギュウに入っていた。
私はビニールレザー張りのメニューを見つけた。
どうやら、喫茶フルトンは食事メニューも豊富だったようだった。
定番のナポリタンスパゲティやカレーライス、サンドウィッチは3種類もあった。
デザートはレモンケーキとコーヒーゼリーとプリン、そしてバニラアイスクリームがあった。
残念な事に、どれにも写真はついてなかった。
沢木先生が言うように、パーラーミキのおじいちゃんか、佐藤茶店の佐藤のおじさんに聞くしかなさそうだった。



沢木先生は、水曜日以外の日は、昼も夜もこの商店街の外れにある天乃屋という定食屋で食事を取る。
天乃屋は、この商店街で一番古い店だと言われており、昼は84歳のおばあちゃん、天野美代さんが一人で切り盛りしている店で、予め作ってあるおかずを客が取る形式になっており、とにかく安くて美味しい。
夜は、お孫さんの宗次郎さんが店を引き継ぎ、居酒屋兼定食屋となる。

今日の晩ごはんも、沢木先生は天乃屋に行くと見越して、私も晩ごはんを食べに行く事にした。
そこへ行けば、パーラーミキのおじいちゃんや佐藤のおじさんもいる事が多いので、沢木先生に話してもらって、レモンケーキの事を聞かせてもらえるかもしれないからだ。

「今晩は…」私は引き戸を開けた。

店の中は物々しい雰囲気に包まれていた。

沢木先生は厨房の中で跪き、アルバイトの若い子を抱きかかえており、横には店主の宗次郎さんがいて、心配そうに見ていた。

「先生、どうしたんですか?」私は駆け寄り、先生に訊いた。
「ああ、田所さんか…この子がかつら剥きをしていて、誤って親指と人差し指の間を切ってしまったみたいでね。ちょっと、傷が深いね」
「先生、先生の病院へ運びますか?」と、心配そうに宗次郎さんが訊いた。
「いや、うちにはこれを治療する器具がないよ。宗次郎さん、水とキレイなタオルをあるだけ持って来てくれ。あと、救急車を呼んで欲しい」
「分かりました。おい、ダイキ、救急車電話してくれ」と、カウンタにいるもう一人のアルバイトに宗次郎さんは言い、自分は奥にタオルを取りに行った。
電話をしたダイキが、宗次郎に「救急車が着くのがちょっと遅くなりそうだそうです」と言うと、先生が「どれぐらいになりそうか、訊いてくれ」と言った。ダイキは電話でやり取りをした後、「20分ぐらい」と答えた。
「分かった。できるだけ急いでもらってくれ」と、先生は言い、佐藤のおじさんに向かって、「佐藤さん、すまんがタバコを二、三本ほど分けてもらえないですか?」と訊いた。
「タバコ?先生、こんな時にタバコ吸うのか?呑気だなあ」
「いや、違う。ほぐすんですよ」
「ほぐす?」
「いいから、早く」
「ああ」佐藤のおじさんは、煙草の箱から紙巻きタバコを二本出して、沢木先生に渡した。
「先生、水とタオルだ」と言い、宗次郎さんは、先生の横に水のピッチャーを置き、テーブルに新しいタオルの束を積んだ。
「ありがとう」
先生はタオルを水で濡らし、傷口を拭いた。
拭いても拭いても傷口からは血が噴き出してくる。先生はタバコの紙を剥き、葉を傷口に乗せた。その後、新しいタオルをその上から巻き、強く縛った。
「タバコの葉は止血効果があるんだ。本当なら傷をアルコールで消毒した方がいいんだが、これだけ傷が深いと、相当痛いからね。まあ、救急車が着くまでの応急処置だ」
タバコの葉を乗せた後は、出てくる血は少なくなった感じがした。

15分ぐらいで、救急車が来た。
救急隊員に、先生は状況を説明し、一緒に救急車に乗っていった。

やはりそうだ。

こんな時に、先生は見て見ぬふりなど絶対にしないし、最後まで面倒を見る。

怪我をしたアルバイトの子と沢木先生が出て行き、店内はいつも通りに戻った。
私は、佐藤のおじさんにレモンケーキの事を聞きながら、唐揚げ定食を食べ、家に帰った。
佐藤さんの話は要領を得なかったが、とにかく、明日から試作品を作ってみようと私は思った。


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