夏目漱石「坊っちゃん」23 坊っちゃんは神経衰弱
夏目漱石の小説「坊っちゃん」、明治39年(1906年)発表。
私は「坊っちゃん」について、『これは主人公兼語り手:坊っちゃんの書いた、遺書である』と感じている。
テレビドラマ版やマンガ版では、明るく闊達な青年として坊っちゃんは描かれがちである。実際そんな雰囲気はあるが、実はこれは違う話なのでは、と。
今回もそれに関連する話を。
坊っちゃんの神経は衰弱しているのだ。四国当時から。
1、生徒の話
1(1)前提
設定を確認するが、坊っちゃんは生まれはおそらくは東京、育ちは間違いなく東京。「物理学校」を卒業後、四国の中学(旧制)に数学教師として赴任する。
なお、物語中では四国としか示されておらず、「松山市」との特定はない。
1(2)祝勝会
四国に赴任した坊っちゃんが教師として、「祝勝会」(日露戦争のことと思われるが明示はない)に、生徒らの引率として出向く場面
祝勝会で学校は御休みだ。練兵場で式があると云ふので、狸は生徒を引卒して参列しなくてはならない。おれも職員の一人として一所にくつついて行くんだ。(略)生徒は小供の上に、生意気で、規律を破らなくつては生徒の体面にかゝはると思つてる奴等だから、職員が幾人ついて行つたつて何の役に立つもんか。(略)
おれが組と組の間に這入つて行くと、天麩羅だの、団子だの、と云ふ声が堪へずする。而も大勢だから、誰が云ふのだか分らない。よし分つてもおれの事を天麩羅と云つたんぢやありません、団子と申したのぢやありません、それは先生が神経衰弱だから、ひがんで、さう聞くんだ位云ふに極まつてる。こんな卑劣な根性は封建時代から、養成した此土地の習慣なんだから、いくら云つて聞かしたつて、教へてやつたつて、到底直りつこない。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
章題を「生徒の話」としたが、正確には生徒の話ではなかった。
坊っちゃんが、『生徒から「神経衰弱だ」と言われるだろう』と思って書いているのである。
「天麩羅」や「団子」とは、坊っちゃんが街で天ぷらそば4杯や団子を食べたのを生徒らにからかわれた件である。
其うち学校もいやになつた。ある日の晩大町と云ふ所を散歩して居たら郵便局の隣りに蕎麦とかいて、下に東京と注を加へた看板があつた。(略)其晩は久し振に蕎麦を食つたので、旨かつたから天麩羅を四杯平げた。
翌日何の気もなく教場へ這入ると、黒板一杯位な大きな字で、天麩羅先生とかいてある。(略)十分立つて次の教場へ出ると一つ天麩羅四杯也。但し笑ふ可(べか)らず。と黒板にかいてある。
(略)
四日目の晩に住田と云ふ所へ行つて団子を食つた。(略)おれの這入つた団子屋は遊廓の入口にあつて、大変うまいと云ふ評判だから、温泉に行つた帰りがけに一寸食つて見た。今度は生徒にも逢はなかつたから、誰も知るまいと思つて、翌日学校へ行つて、一時間目の教場へ這入ると団子二皿七銭とかいてある。実際おれは団子を二皿食つて七銭払つた。どうも厄介な奴等だ。二時間目にも屹度何かあると思ふと遊廓の団子旨い/\と書いてある。
坊っちゃんの、「生徒を注意したところで、『先生が神経衰弱だからそう聞こえるんだ』と言われてしまうだろう」との推測からは、こう読み取れる。
・既にこの時点で坊っちゃんは、生徒らから複数回「神経衰弱だ」と言われていた。
・もしかしたら実際にはそんなこと言われていないか、あるいは坊っちゃんに対してではなく無関係な話で「神経衰弱」と口に出したかもしれないが、少なくとも坊っちゃんの主観的認識では「神経衰弱だと複数回生徒達から言われている」、となっていた
1(3)まだ一か月
ちなみに坊っちゃんが「生徒から神経衰弱だと言われてしまう」と気にしていた時点で、まだ四国赴任後、1か月程度なのだ。
祝勝会の直後、生徒と他校の生徒との乱闘→ 止めに入った坊っちゃんと同僚教師「山嵐」(数学教師:堀田)が巻き込まれる→ 新聞に二人が乱闘を扇動したと書かれる→ 山嵐が辞職させられる→ 坊っちゃんがそれを狸(校長)に抗議 この場面
翌日おれは学校へ出て校長室へ入つて談判を始めた。
「何で私に辞表を出せと云はないんですか」
「へえ?」と狸はあつけに取られて居る。
(略)
「それぢや私も辞表を出しませう。堀田君一人辞職させて、私が安閑として、留まつて居られると思つて入らつしやるかも知れないが、私にはそんな不人情な事は出来ません」
「それは困る。堀田も去りあなたも去つたら、学校の数学の授業が丸で出来なくなつて仕舞ふから……」
「出来なくなつても私の知つた事ぢやありません」
「君さう我儘を云ふものぢやない、少しは学校の事情も察して呉れなくつちや困る。夫れに、来てから一月立つか立たないのに辞職したと云ふと、君の将来の履歴に関係するから、其辺も少しは考へたらいゝでせう」
「履歴なんか構ふもんですか、履歴より義理が大切です」
「坊っちゃん」において坊っちゃんの言動・認識は果たして作中世界の事実か否かは怪しいのであるが、ここは他者である狸の発言だから事実であろう。
既に作品の終盤(引用の「十一」が最終章である)だが、この時点で坊っちゃんはまだ四国赴任後、1か月程度である。
つまり、坊っちゃんは四国へ赴任してわずか1か月の間で既に、生徒達から「神経衰弱だ」と言われていたのだ。しかも複数回。少なくとも坊っちゃんはそう認識していたのだ。
2、赤シャツ・野だいこの話
続いて、坊っちゃんが異常に嫌っている教頭:「赤シャツ」(ちなみに夏目漱石と同じく帝国大文学部卒業との設定)と、画学(美術)教師:「野だいこ」(吉川。「野だいこ・野だ」とは「野良の太鼓持ち」的な揶揄)の話。
坊っちゃんと山嵐が、赤シャツの芸者屋出入りの現場を抑えようと張り込みしていた場面。
世間は大分静かになつた。遊廓で鳴らす太鼓が手に取る様に聞える。月が温泉の山の後からのつと顔を出した。往来はあかるい。すると、下の方から人声が聞えだした。窓から首を出す訳には行かないから、姿を突き留める事は出来ないが、段々近付いて来る模様だ。からん/\と駒下駄を引き擦る音がする。眼を斜めにするとやつと二人の影法師が見える位に近付いた。
「もう大丈夫ですね。邪魔ものは追つ払つたから」正しく野だの声である。「強がる許りで策がないから、仕様がない」是は赤シヤツだ。「あの男もべらんめえに似て居ますね。あのべらんめえと来たら、勇み肌の坊つちやんだから愛嬌がありますよ」「増給がいやだの辞表が出したいのつて、ありやどうしても神経に異状があるに相違ない」おれは窓をあけて、二階から飛び下りて、思ふ様さま打ぶちのめして遣らうと思つたが、やつとの事で辛防した。
「神経に異状があるに相違ない」これは会話の順番からすると赤シャツの側かと思われるがはっきりはしない。
既に指摘したようにこの時点でまだ坊っちゃんは赴任1か月である。
それで同僚教師達から神経に異常と言われている。
わずか1か月で、同僚教師からも、生徒からも、神経衰弱だと言われてしまってる主人公、少なくとも本人はそう認識している主人公:坊っちゃん。
もっと言えば、作者夏目漱石が、「神経」と同じ単語をあえて用いて、生徒達からも同僚教師からもそれが異常だと言われてしまっている主人公を、描いているのである。
マンガやテレビドラマ版の闊達で爽やかな青年とは、まるで正反対だ(実際に闊達そうな人が神経を病んでいないとの意味ではなく、創作世界におけるキャラクター設定として)。
3、坊っちゃん=漱石
作者:夏目漱石自身こそが、神経その他多くの病気(胃・痔)に苦しめられた人間であった。
その意味で、喧嘩っぱやい江戸っ子に見せかけて、実は周囲にすぐわかってしまうレベルで神経を病んでしまった主人公:坊っちゃんこそが、漱石の自己投影であったのかもしれない。
これはまたじっくり考えたい。
なお、漱石の他作品「こころ」に描かれた「先生」の自殺について、作者である漱石自身の自殺願望と解釈する人もいるようだ。
しかし、「坊っちゃん」を坊っちゃんの遺書と見ている私は、「坊っちゃん」にこそ、夏目漱石の希死念慮が出ているように見える。
あるいは、こう言うべきか。
よく読めば希死念慮がわかるように、夏目漱石が世に書いて出している、と。
