漱石「こころ」考察84 明治の精神と遠眼鏡事件
夏目漱石の有名小説「こころ」、大正三年(1914年新聞連載)。
この物語は終盤、暗く深刻な雰囲気になる。
そして、主要登場人物:「先生」は、明治天皇崩御(1912年7月30日)、乃木希典夫妻殉死(同年9月13日)という、実際の歴史的事件・人が亡くなる事件を受けて、その後、自らこの世を去る、
そのため、「こころ」の感想として、「明治の精神に殉じた先生は~」「明治の精神とは~」と語られることもある。
むろん、感想は人の勝手だ。実際それっぽい台詞を先生は述べている。
だが指摘したい。その手の感想を述べる人は、「こころ」の「下」しか読んでいないのではと。
あるいは「上」「中」を読んだとしても、あえて無視していないかと。
「こころ」の主人公:私(わたくし)は、明治天皇に対し、どうもよくわらない姿勢を示しているのだ。
私の解釈が正しければ、「私」は天皇を揶揄している。
これに関する描写を読んでいないか、無視した感想で語ってる人がいるのでは、そう思う。
1、明治天皇を見た「私」
1(1)後付けの陛下
漱石ファンであればすぐ正解してほしい問題。
Q:「こころ」の主要登場人物のうち、明治天皇を直接ナマで見た事のある人を、挙げて下さい。
A:「私」
ある大きな事が起った。それは明治天皇のご病気の報知であった。新聞紙ですぐ日本中へ知れ渡ったこの事件は、一軒の田舎家のうちに多少の曲折を経てようやく纏まろうとした私の卒業祝いを、塵のごとくに吹き払った。
「まあ、ご遠慮申した方がよかろう」
眼鏡を掛けて新聞を見ていた父はこういった。父は黙って自分の病気の事も考えているらしかった。私はついこの間の卒業式に例年の通り大学へ行幸になった陛下を憶い出したりした。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
このように、「私」は大学の卒業式で明治天皇を直接見ている。
しかし、「私」はその卒業式当日についての回想では、そこに明治天皇が来たとか見たとかは、全く一言もふれていないのだ。
1(2)明治天皇をスルーした「私」
先の「ご病気の報知」引用が、「中」の「三」。
これよりも遡った「上」の32章。
卒業式の日、私は黴臭くなった古い冬服を行李の中から出して着た。式場にならぶと、どれもこれもみな暑そうな顔ばかりであった。私は風の通らない厚羅紗の下に密封された自分の身体を持て余した。しばらく立っているうちに手に持ったハンケチがぐしょぐしょになった。
私は式が済むとすぐ帰って裸体になった。下宿の二階の窓をあけて、遠眼鏡のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡した。
このように、卒業式の場にいたはずの明治天皇について、「私」は、まったく一言もふれていない。
それどころか、暑くて大変であったとの否定的な感想や、下宿に帰って裸になったとか、むしろあえて軽んじるような行動を重ねている。
1(3)遠眼鏡事件を揶揄する「私」
そしてこの箇所
・「遠眼鏡のようにぐるぐる巻いた卒業証書の穴から、見えるだけの世の中を見渡した」
これは大正天皇が、「国会で勅書を丸めて遠眼鏡のようにして見渡した」とされる「遠眼鏡事件」を揶揄したものだろう。夏目漱石がだ。
むろんその揶揄だと断定まではできないが、たまたまとするにはあまりに似すぎではないか。
なおこの「遠眼鏡事件」は、デマや捻じ曲げであるとも言われている。
当然だが私に事実の真否や詳細はわからない。
ただいえるのは、夏目漱石が、天皇を揶揄するような描写を、「こころ」にぶち込んでいるということだ。
そしてもう一度「こころ」に書かれた順番を振り返る。
・卒業式当日の描写で、大正天皇を揶揄する表現を書く
・そこから少し後に、その卒業式に明治天皇が来ていたことを、はじめて記載する。
こういった描写があるという点のみをもってしても、「こころ」が、「明治の精神に大真面目に殉じる話」などではないと、断言できる。
とりあえずここまでで、また続き書きたい。
