夏目漱石「三四郎」11 四日市の女(汽車の女)
夏目漱石の小説「三四郎」、明治41年(1908年)連載。
「三四郎」の冒頭から出て来る、氏名・素性不明の謎の女(「四日市の女」や「汽車の女」と呼ばれている)について考察したい。
1、身分証明なし
1(1)冒頭から「女」ばかり
「三四郎」の冒頭
うとうととして目がさめると女はいつのまにか、隣のじいさんと話を始めている。このじいさんはたしかに前の前の駅から乗ったいなか者である。発車まぎわに頓狂な声を出して駆け込んで来て、いきなり肌をぬいだと思ったら背中にお灸のあとがいっぱいあったので、三四郎の記憶に残っている。じいさんが汗をふいて、肌を入れて、女の隣に腰をかけたまでよく注意して見ていたくらいである。
女とは京都からの相乗りである。乗った時から三四郎の目についた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移って、だんだん京大阪へ近づいて来るうちに、女の色が次第に白くなるのでいつのまにか故郷を遠のくような哀れを感じていた。それでこの女が車室にはいって来た時は、なんとなく異性の味方を得た心持ちがした。この女の色はじっさい九州色であった。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
改めて見直したら、冒頭の二段落だけで「女」が六回も出ていた。
うち5つが「四日市の女」のことであり、「~の色が次第に白くなる」だけが、電車内や途中で立ち寄ったであろう場所の女達についてである。
三四郎も、「三四郎」の語り手も、女が大好きなのである。
1(2)自称の素性
四日市の女の素性について。
まず本人の語りを確認。
その寝ているあいだに女とじいさんは懇意になって話を始めたものとみえる。目をあけた三四郎は黙って二人の話を聞いていた。女はこんなことを言う。――
子供の玩具はやっぱり広島より京都のほうが安くっていいものがある。京都でちょっと用があって降りたついでに、蛸薬師のそばで玩具を買って来た。久しぶりで国へ帰って子供に会うのはうれしい。しかし夫の仕送りがとぎれて、しかたなしに親の里へ帰るのだから心配だ。夫は呉にいて長らく海軍の職工をしていたが戦争中は旅順の方に行っていた。戦争が済んでからいったん帰って来た。まもなくあっちのほうが金がもうかるといって、また大連へ出かせぎに行った。はじめのうちは音信もあり、月々のものもちゃんちゃんと送ってきたからよかったが、この半年ばかり前から手紙も金もまるで来なくなってしまった。不実な性質ではないから、大丈夫だけれども、いつまでも遊んで食べているわけにはゆかないので、安否のわかるまではしかたがないから、里へ帰って待っているつもりだ。
初対面のじいさん相手にしゃべり過ぎではないかと思う。
いやもちろんおしゃべりな女性というのはいるが、じいさん相手にはこれだけ身の上話をしている女が、後に三四郎と二人になると、妙に口数が少なくなった感がする。
たとえば翌朝の駅での別れ際
勘定をして宿を出て、停車場へ着いた時、女ははじめて関西線で四日市の方へ行くのだということを三四郎に話した。三四郎の汽車はまもなく来た。時間のつごうで女は少し待ち合わせることとなった。
それまで、汽車の中・宿を探す間、宿泊と、二人で話す機会はずっと続いていた。なのに「里はどちらですか」程度の話すら、女と三四郎はしなかったということである。
汽車ではじいさん相手に身の上話をたっぷりおしゃべりしていたのにだ。
これはあえて女がギャップ・温度差を感じさせるようにしたのだろうか。
それはさておき、上記の「夫は呉にいて長らくー」云々については、結局、なにひとつ裏付けとなるような物品、他者の話などはないのである。
1(3)女が嘘をついている暗示
むろん、物語からすぐに退場した人物に(手持ちの新潮文庫で全337頁中の14頁目で女は退場)、その発言や身の上話の根拠が見られないのは当たり前かもしれない。
しかし、夏目漱石は、女の話に疑いを持たせるような仕掛けを作中に込めている。二か所。
まず、女が語っていた「蛸薬師」で買った「子供の玩具」について
それから、しばらくすると女が帰って来た。どうもおそくなりましてと言う。蚊帳の影で何かしているうちに、がらんがらんという音がした。子供にみやげの玩具が鳴ったに違いない。女はやがて風呂敷包みをもとのとおりに結んだとみえる。蚊帳の向こうで「お先へ」と言う声がした。三四郎はただ「はあ」と答えたままで、敷居に尻を乗せて、団扇を使っていた。いっそこのままで夜を明かしてしまおうかとも思った。けれども蚊がぶんぶん来る。外ではとてもしのぎきれない。三四郎はついと立って、鞄の中から、キャラコのシャツとズボン下を出して、それを素肌へ着けて、その上から紺の兵児帯を締めた。それから西洋手拭を二筋持ったまま蚊帳の中へはいった。女は蒲団の向こうのすみでまだ団扇を動かしている。
漱石作品によくある、わざとらしく書いて逆に不自然さを際立たせるやり方だ。
・みやげの玩具が鳴ったに「違いない」と。
推測なのだから、「玩具がなったのだろうか」とか「玩具かなにかのような音がした」でもいいだろう。
そこをわざわざ「違いない」と書いている。その玩具を見たわけでもないのにだ。
これは「ここを疑え」との意味と私は解釈する。
もう一つの仕掛けは、物語のずっと後半にある。全337頁の324~325頁
――なに世の中は広いから、心配するがものはない。じつはぼくにもいろいろあるんだが、ぼくのほうであんまりうるさいから、御用で長崎へ出張すると言ってね」
「なんだ、それは」
「なんだって、ぼくの関係した女さ」
三四郎は驚いた。
「なに、女だって、君なんぞのかつて近寄ったことのない種類の女だよ。それをね、長崎へ黴菌の試験に出張するから当分だめだって断わっちまった。ところがその女が林檎を持って停車場まで送りに行くと言いだしたんで、ぼくは弱ったね」
三四郎はますます驚いた。驚きながら聞いた。
「それで、どうした」
「どうしたか知らない。林檎を持って、停車場に待っていたんだろう」
「ひどい男だ。よく、そんな悪い事ができるね」
「悪い事で、かあいそうな事だとは知ってるけれども、しかたがない。はじめから次第次第に、そこまで運命に持っていかれるんだから。じつはとうのさきからぼくが医科の学生になっていたんだからなあ」
「なんで、そんなよけいな嘘をつくんだ」
「そりゃ、またそれぞれの事情のあることなのさ。それで、女が病気の時に、診断を頼まれて困ったこともある」
この与次郎が突如語り出したエピソードの「三四郎」における意味が、私はこれまでよくわからなかった。
しかし、「自身の素性を偽り、行先も偽って、駅で別れた異性がいた」との話ととらえれば、まさに「四日市の女」もそれであるとの、ヒントではないだろうか。
与次郎の「医科の学生」「長崎に行く」これが嘘だと。
それならば
汽車の女の「夫は大連・半年連絡ない・子どもあり」「四日市に帰る」
これらもすべて、ウソであると。
ちなみに、与次郎から騙された(無論この話もどこまで作中世界における事実なのかも全く不明ではあるが)女が、駅まで持参するといったのが
「林檎」
一方、三四郎と四日市の女が泊まった部屋が、「梅」の四番。翌朝の食事に出たのが、「葡萄豆」である。果物でつなげている、そう読める。
すると比較的寂しい横町の角から二軒目に御宿という看板が見えた。これは三四郎にも女にも相応なきたない看板であった。三四郎はちょっと振り返って、一口女にどうですと相談したが、女は結構だというんで、思いきってずっとはいった。上がり口で二人連れではないと断るはずのところを、いらっしゃい、――どうぞお上がり――御案内――梅の四番などとのべつにしゃべられたので、やむをえず無言のまま二人とも梅の四番へ通されてしまった。
(略)
夜はようよう明けた。顔を洗って膳に向かった時、女はにこりと笑って、「ゆうべは蚤は出ませんでしたか」と聞いた。三四郎は「ええ、ありがとう、おかげさまで」というようなことをまじめに答えながら、下を向いて、お猪口の葡萄豆をしきりに突っつきだした。
なお私はこの「与次郎が昔関係をもって捨てた女」=「四日市の女」ではないかと勝手に思っている。そう思い込んで読むと与次郎の「君なんぞのかつて近寄ったことのない種類の女だよ」も、仕掛けではないかと思えて来る。
1(4)彼女は都合のいい女
女が自称した身の上話をざっくりまとめるとこうなる。
・「夫はいるが、外国。半年間も音信不通」と。
露骨なことを言おう。
この身上は、男にとって「もっとも責任を負わされる心配なく性的関係を持てそうな女」ではないか。
未婚の女と関係を持てば、男側がその気はなくとも結婚を迫られる危険や、そこまでいかなくとも真剣交際を迫られる危険がある。そうなると与次郎が女と別れるのに「長崎へ行く」いちいち嘘をつかないといけなかったように色々とめんどくさいことになる。
かといって人妻と関係を持てば、生活の責任は負わされない可能性が高いが、もし夫に発覚すればトラブルは避けられないし、この時代ならば姦通罪もある。その危険がある。
しかしこの「四日市の女」の自称に従がえば、どちらの心配も薄い。
人妻だから責任を負わされることはまずないだろうし、夫はいるが外国、しかも半年も音信不通であれば、夫に発覚の危険は低いだろう。もし発覚してもたぶん逃れられそうな気がする。
繰り返すが、この女の「自称」どおりであれば、である。
やはり汽車の中で女がじいさん相手に話していた身の上話は、ウソである。
改めて見ると、あまりに男に都合よすぎる。
やはり女はわざと三四郎に聞かせていたのだ。
自分と関係を持たさせるために、あるいは関係を持つ期待を三四郎に抱かせるために。
しかしなんのために? これはまた考えたい。
