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漱石「こころ」考察4 「私」の実家は岩手か青森


大正三年(1914年)連載開始の夏目漱石「こころ」。
この小説の「上・中」の語り手であり、「先生」から遺書を託された「私」

「私」は作中で二度、東京の下宿から田舎の実家に帰省しています。

この実家がどこなのか明記はありません。気になったので探ってみます。


1、外れる場所


まず、作中の記載から、「私」の実家ではないと思われる地名を挙げて除外していきます。

鎌倉ではない
理由:冒頭、夏休みに鎌倉の宿に連泊して海水浴している最中に、「私」は先生を見つけ出します。さすがに地元であれば「宿」に泊まり続けることはないでしょう。

・中国地方ではない
理由:同じく冒頭、鎌倉で共に遊んでいた「私」の友人が、国元から電報が来て中国地方に急に帰省します。記載の様子からは「私」の地元は中国地方ではないと思われます。

それで彼はとうとう帰る事になった。せっかく来た私は一人取り残された。
学校の授業が始まるにはまだ大分日数あるので鎌倉におってもよし、帰ってもよいという境遇にいた私は、当分元の宿に留まる覚悟をした。友達は中国のある資産家の息子で金に不自由のない男であったけれども、学校が学校なのと年が年なので、生活の程度は私とそう変りもしなかった。

(「上 先生と私」一)


箱根(神奈川)と日光(栃木)ではない
理由:先生と静(お嬢さん)が箱根や日光に旅行した際、「私」に絵葉書を送っています。もし「私」の地元であればそのことに全く触れないのは不自然と思われます。

 それから夫婦づれで一週間以内の旅行をした事も、私の記憶によると、二、三度以上あった。私は箱根から貰った絵端書をまだ持っている。日光へ行った時は紅葉の葉を一枚封じ込めた郵便も貰った。

(「上 先生と私」九)


鳥取と新潟ではない
理由:静(お嬢さん)の亡父が鳥取出身、先生が新潟出身との話が出てきます。もしどちらかが「私」の実家であれば同郷ですねとの話がされると思われますが、特にふれられていません。

 奥さんの父親はたしか鳥取かどこかの出であるのに、お母さんの方はまだ江戸といった時分の市ヶ谷で生れた女なので、奥さんは冗談半分そういったのである。ところが先生は全く方角違いの新潟県人であった。

(「上 先生と私」十二)

九州地方ではない
理由:「私」の兄が現在九州におり、遠くて帰省しにくい旨の話があります。

 私の兄はある職を帯びて遠い九州にいた。これは万一の事がある場合でなければ、容易に父母の顔を見る自由の利かない男であった。妹は他国へ嫁いだ。これも急場の間に合うように、おいそれと呼び寄せられる女ではなかった。

(「上 先生と私」二十二)


・四国や北海道や島ではない

理由:帰省中、父が危篤状態となったにもかかわらず、先生からの手紙が「遺書」だと気付いた「私」は、「東京行」の汽車に飛び乗ります。
ここから、少なくとも東京に直行できる汽車がある地域となり、船に乗らないといけない四国や北海道、島々は除外されます。
(たとえば「坊っちゃん」で終盤、四国から離れる坊っちゃんはまず「汽」でその地を去ってから「神戸から東京までは直行」しています。)

- 私はすぐ俥を停車場へ急がせた。
 私は停車場の壁へ紙片を宛てがって、その上から鉛筆で母と兄あてで手紙を書いた。手紙はごく簡単なものであったが、断らないで走るよりまだ増しだろうと思って、それを急いで宅へ届けるように車夫に頼んだ。そうして思い切った勢いで東京行きの汽車に飛び乗ってしまった。私はごうごう鳴る三等列車の中で、また袂から先生の手紙を出して、ようやく始めからしまいまで眼を通した。

(「中 両親と私」十八)


・千葉県ではない

理由:「私」に宛てた「先生の遺書」に、先生とKが夏休みに千葉(房州)を旅行したエピソードが書かれています。もし「私」の実家が千葉であればそこになにもふれてないのはおかしい。

ここでまとめてみると、除外される地域は以下のとおり

鎌倉と箱根含む神奈川、中国地方(鳥取含む)、栃木、新潟、九州地方、四国地方、北海道、島、千葉


2、ヒントになる話


ほかにも「私」の実家所在地について、ヒントになる話が二つあります。

2(1)旅費を借りなければいけない距離


先生が自決する前年の冬に、「私」が父の病気のため急に帰省する際の旅費を先生に借りる話があります。

 ー するとその一日二日の間に、父の寝ている様子だの、母の心配している顔だのが時々眼に浮かんだ。そのたびに一種の心苦しさを嘗めた私は、とうとう帰る決心をした。国から旅費を送らせる手数と時間を省くため、私は暇乞いかたがた先生の所へ行って、要るだけの金を一時立て替えてもらう事にした。

(「上 先生と私」二十一)

すると、東京からそれなりに距離のある地方かと。

しかし冒頭で費用を気にせず何日も鎌倉に宿泊していた「私」が、大学生になって片道の旅費レベルの現金を手元に置いていない? 鎌倉滞在は「金の工面に二三日を費やした」とあるので、普段はその都度その都度で仕送りしてもらっていたのでしょうか。漱石の他作品「三四郎」で、職業は家事手伝いと思われるヒロイン里見美禰子が、自分の銀行口座を持っており、三四郎に三十円をすぐ貸してあげたのと比べると少し違和感が。


2(2)東京よりは涼しい

また「私」の実家は、東京よりも涼しいところのようです。

「私」は帝国大学(東大)を7月に卒業し、帰省します。
ちなみに崩御直前の明治天皇が卒業式に出席していたので、その日付は「明治45年(1912年)7月11日」と特定できます。
以下の引用は卒業式当日の出来事なので、「その夜」とは明治45年7月11日の晩です。

 私の論文は自分が評価していたほどに、教授の眼にはよく見えなかったらしい。それでも私は予定通り及第した。卒業式の日、私は黴臭くなった古い冬服を行李の中から出して着た。式場にならぶと、どれもこれもみな暑そうな顔ばかりであった。
(略)
 私はその夜十時過ぎに先生の家を辞した。二、三日うちに帰国するはずになっていたので、座を立つ前に私はちょっと暇乞いの言葉を述べた。
「また当分お目にかかれませんから」
「九月には出ていらっしゃるんでしょうね」
 私はもう卒業したのだから、必ず九月に出て来る必要もなかった。しかし暑い盛りの八月を東京まで来て送ろうとも考えていなかった。私には位置を求めるための貴重な時間というものがなかった。

(「上 先生と私」三十二、三十四)

すると、暑そうな盆地や東京より南の地域は除かれると。


※ 今回のテーマからはそれますが、上記の卒業式の記載から何故かかなり経過してから、卒業式に明治天皇が出席していたことが記されます。
手持ちの文庫本で卒業式が98頁、明治天皇の出席にふれられるのは「私」が帰省してしばらく経過した123頁です(全327頁)。

 その日取りのまだ来ないうちに、ある大きな事が起った。それは明治天皇のご病気の報知であった。新聞紙ですぐ日本中へ知れ渡ったこの事件は、一軒の田舎家のうちに多少の曲折を経てようやく纏まろうとした私の卒業祝いを、塵のごとくに吹き払った。
「まあ、ご遠慮申した方がよかろう」
 眼鏡を掛けて新聞を見ていた父はこういった。父は黙って自分の病気の事も考えているらしかった。私はついこの間の卒業式に例年の通り大学へ行幸になった陛下を憶い出したりした。

(「中 両親と私」三)


3、結論・岩手か青森


上記に鑑みた結論からいうと、岩手か、青森に「私」の実家はあります。

私の勝手な推論過程は以下のとおり

・「旅費」を借りなきゃいけないほど東京から離れており、かつ中国地方、九州、四国、北海道は除外。では近畿か、北陸か、東北の北半分か。あるいは岐阜や長野の北部か。

・夏に東京より涼しい、そうなると近畿地方は外れるか。兵庫県の北部ならありか?

・先生が「新潟県人」だが、同郷とか近いとも言われていない。となると北陸や山形、長野県北部は外れるか

・「東京行の汽車」に飛び乗ることができる、となると鉄道路線としては太平洋側になるかな(現代(令和6年)の東北新幹線も、東京-福島-仙台-盛岡 と、太平洋側を走行しています)。東京からだと奥羽山脈を挟まないといけない東北地方日本海側や、主要駅がないところは外れるか。そうなると秋田県、兵庫県北部、岐阜県北部も違うな

・あと残っているのは、東北地方で東京からかなり離れており、かつ鉄道が直行である太平洋側となる。
つまり、岩手か青森だ。


しかし、もし仮にそうだとすると「私」はコテコテの東北弁?
「こころ」の冒頭を話言葉にすると

「わんだしは、そんのひとを つんねにせんせえと よんどったんだ」


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