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『変態病院』episode9ぎょぇー!エリですぅーー!《創作大賞2025#お仕事小説部門》


episode9 ぎょぇー!エリですぅーー!


 子供の頃、荷物持ちジャンケンに負けがちだった私は、今日も、友人三人のランドセルを抱えて学校帰りの田んぼ道を一人でトボトボと歩いていた。

 夏の日差しは照り返しが強い。安全帽子から滴る汗は視界を遮り、私はとうとうアスファルトの上にランドセルをどさりと置いた。水筒のコップは、汗の滲んだ手のひらからスルスルと落ち、どこまでも転がっていく。慌てて追いかけると水のよく張られた田んぼの中で、顔面を深々と水に漬け込んだ老人を発見する。

「ぎょぇーーー!!」

 小学生のエリは水筒のコップを拾うこともできずにワナワナと震えた。

 ぬかるむ泥の中から、顔を上げられずに老人がたった今、死にかけているのだ。
 私の悲鳴に集まった近所の大人は、「じーさん大丈夫けぇ⁉︎」と、救出を試みた。泥だらけのじいさんの顔面は、人生最大のトラウマになったことは言うまでもない。

 看護実習生の頃の話である。実習先の病院で、便意に苛まされながら、小走りで病棟を走り回っていたことがあった。ちらりと、病室を見ると、「う、う…」と苦しむ患者を発見する。
 もじもじと足を組み替えながら近づくと、青ざめた患者が首元を抑え、助けを求めているところだった。

 ベッドには、みかんの皮が散乱している。

「く、苦しい…ですよね?」

 一応聞いてみる。

 まだ初めて臨床に来たばかりの一年生だった私は、ナース服を纏った、知識ゼロのただの一般人と同じだった。

 首を大きく振り頷くのを確認し、近くにいた看護師へ「あのー、苦しいみたいです」と事実だけを伝える。

「えっ!なんでもっと早く言わないのよ!」

 私はブチギレられ、便意の中、ポツーンとただ、その場に立ち尽くした。

 昔から、変な場面によく遭遇するのである。

 看護師になってからも、そのトラブルメーカー、「やらかしの星」は機能していた。

「げっ、今月エリと夜勤被ってる!」
「寝れない日じゃん。最低。うわ、私もじゃん」

 と、勤務表が配られる度に同僚のナースは恒例行事のようにつぶやいた。

「お疲れちゃーん。今日の当直俺だから、よろしく…げっ!エリかよ。スマホの充電大丈夫かな…」

 当直の医師までそんなことを言う始末だ。
 私が悪いのだろうか。確かに、私は暇な夜勤というものをあまり経験したことがない。いつも何かしら急変や、トラブルが起こることも事実である。

 同じ夜勤だった介護士のサトウにそっと相談してみる。

「ねぇ、私って疫病神かな?」

 私は少しだけ、悲しかった。一生懸命働いているのだ。トラブルが好きなわけではない。ラウンドだって怠らないし、今でも毎日参考書を広げているのだ。自主的に外部の勉強会だって参加している。ひどい言われようだ。サトウ、わかってくれるよね…?サトウを、私はまっすぐと見つめた。

「んあ?大抵エリと勤務被る時は…なんかあるわな。バッチコーイ」

 答えはでないまま、今日も私は働く。相変わらず夜食で食べようと思っていたカップラーメンは、お湯を注いで30分コースだ。

 それでも、夜は更けていく。トラブルもほとんどなく、朝日が窓から降り注ぎ始めていた。

「今日平和じゃなーい?」

 サトウは顎元の髭をじょりじょり触りながら、病室のカーテンを開けた。こんな平和な日があっても良い。私も安堵して、病棟のラウンドに向かう。

 406号室。点滴の滴下を確認しに病室へそっと忍び込む。チラリと覗くと、顔面が真っ青になっている患者を発見する。あれ…?何かおかしい…。

「榎本さん!!」

 私は両肩を叩きながらも、とりあえず手首の橈骨動脈に触れた。明らかな徐脈である。

「ぷはぁーー!!」

 榎本さんは突然に覚醒した。そして、叫んだ。

「死神ーー!」
「ぎょぇー!エリですぅーー!」

 ふたりは息も絶え絶えに、お互いの生を確認し、安堵のため息をついた。

「三途の川、見たわぁ…」

 榎本さんは、震えている。
 そして、私の膝も震えている。

 振り返ると、サトウがニヤニヤしながら病室の扉の前に立っていた。

「またなんかやってんの?」

 含み笑いの高身長に、既視感のある光景。
 この場面初めてじゃない…。

「エリ!もうあんたがいると、何かしらあるんだから!夜勤手当てあげてもらいたいわ」

 真顔でオバケと喧嘩する福山ナースである。

「あん?なんかこの光景見覚えない?」

 サトウは、急に真顔になる。
 急変が起きる時は、毎回この顔ぶれなのだ。
 やらかしの星、トリオ誕生の瞬間である。

         ーー瞬かなくていいのに。



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