『15年間ずっと変わらないけど、滅多に言わない君への想いを伝えます』感想文
『痛み』に名前があるのなら、それは、『愛』なのかもしれない——。
一本の電話から始まった、恋人『カナ』からの知らせ。
それは、”がん”の宣告だった——。
エムのマイトンさんのノンフィクションエッセイ『15年ずっと変わらないけど、滅多に言わない君への想いを伝えます』を読んだ。
当たり前の日常が、当たり前じゃなくなるのはいつも一瞬だ。
著者は、付き合い始めて半年の恋人『カナ』へ語りかけながらストーリーは進行していく。
『愛』には名前があるのだろうか。
『痛み』には、救いがあるのだろうか。
私には、その答えがわからない。私は人が絶望していく瞬間を知っている。自分の肉体がナニカへ、吸い込まれるように心を小さくする過程を知っている。
大切な人の『痛み』をあなたはどこまで寄り添う覚悟がありますか?
それは、本当に『愛』ですか?それは、ただのエゴですか?
著者は突然それをつきつけられる。
病気という、やさしさの凶器。
もしかしたらそう呼べるかもしれない。
誰よりもやわらかい存在が、誰よりも痛みを抱えている。それが自分にも痛みを滲ませてくる。
人には誰しも、パーソナルスペースがある。触れられたくない場所、知らせる必要のない感情。自分の一番醜い場所。向き合う必要のない残酷な想い。これは病気が与える、他者へ痛みを与える装置と同じだ。
著者はそれでも、前に進む道を選んでいく。それが、たしかなことであると言い聞かせるように。
それでも、人は、なぜ、進もうとするのか。
私は読みながら、文章の中にほとんど姿を見せないカナのことを想い、泣いた。きっと、カナは誰よりも著者のことを想っている。責める必要のない自分を責めて。
「おはよう」 「おやすみ」 「声が聞きたい」
好きな人に求める小さな安らぎ。そのひとつひとつの、大きさに、カナはきっと、とっくに気がついている。
カナの母も「別れ」という選択を著者を導こうとする姿が胸を打つ。
人間は、やさしい嘘をつく、美しい生き物だ。
ちっぽけで、今にも崩れそうなわたしにお構いなしに、世界は今日も平気な顔であっちを向いている。
感情が流れ込むように私の心をいっぱいに満たしゆく。冷たく鋭い棘は、柔らかな心に深くめり込むように跡を残す。著者と、カナの心の内側が、ふたりの当たり前の日常を奪っていく。
この時すでに、私の涙は止まることを忘れたようだった。健気な彼のひとつひとつの行動が、手に取るように見えて、存在そのものを抱きしめたくなる。
——カナの胸の奥には、どんな静けさが流れているのだろう。
カナはふと目を離した隙に、シャボン玉のようにパッと消えてしまうんじゃないか。
ふたりは、うすーい膜いちまいの、ギリギリの状態だった。
「別れる」ことを選択することで向き合う必要のない感情との対峙は免れるのかもしれない。それでも、著者はふたりの関係性を見つめ直していくのだ。彼のやり方で。
彼の描いた、
カナのために描いた道。
それは、ふたりがたどってきた道。
これから、進んでいく、道。
目の前が、やさしい心の灯りで照らされた瞬間だった。それは、読者も同じ。
私は医療従事者だ。
他人の痛みに寄り添っていると、笑顔が張り付いたように、だんだんと偽物の私に変わっていく瞬間がわかる。自己犠牲を正当化するように、私の命の半分を分け与えたい衝動に駆られることがある。
でも、著者は違う。
彼女のことは好きだ。当然だ。
悲しいことも、嬉しいこともはんぶんこ。
その気持ちは変わらない。
このまっすぐな想い。
これだけが、著者の全てだった。
当然だ。と言える彼の強さだった。
『私は、あなたのことが好きです』
そんなふうに、シンプルに誰かに言いたくなる。誰かの首もとに顔を埋めて、両腕をまわしたくなる。ぬくもりの本質を知るように。真実の愛を、強さを私も知りたい——。
『痛み』はふたりにとって『やさしい愛の形』だったんだ。読み終えた時、ただ、そう思った。
このエッセイは、愛し合うふたりが、やさしい絵の具を重ねていく物語。そして、まだまだ続く途中の物語。
折り重なった花びらが開くように、
家族になったふたりの人生がすこしずつ始まってゆく。
これからも、ずっと。
やさしい涙をこぼす時間は、私にとってかけがえのないもので、たくさんの花びらの道を一緒に歩かせてくれたことに感謝します。
最後に、ハーデンベルギアの花言葉を借りて。
『この作品に出会えて良かった』と。
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あなたにもそっと、届きますように。