diamond / episode2
0.01ctのdiamondのころりと揺れる小さな小さな石の連なりは、硬くて、柔らかくて、優しくて、小さなあかりを耳元から私に灯してくれる。私は、いつだって、この憂いと輝きに魅せられている。
「せせらぎ公園」は、春になると桜吹雪の舞い散る、緑の生い茂った遊歩道だ。近くの久保トンネルから溢れる湧水は、勢いよく水同士をはじきあい、耳心地が良い。多くの家族連れや、お年寄りや、若者が、一旦は水音に目を向ける姿は、反射そのもので、音のその先を辿る姿を、私は遠くから眺める事が多い。
19時。湿気の混じった淡くて薄い仄暗い月明かりの混じる藍色の空には、重たそうで甘く薄い雲を被る三日月が浮かんでいる。透度のある水音は、空と風景のまどろみを断ち切って、潔く、皮膚へ突き刺さる。寂しくて強い風は、爪や指や頬の洋服からはみ出た部分を重ねるように、冷やしていく。固くて、平たくて、人工的に慣らされたアスファルトの上を人の大きさによって靴が打ちつける足音と癖は、
ひしひしと、私の背中を叩く。
これじゃない。彼の足音は、もっともっと、優しいから。顔を上げると、道路の向かいに、目深にキャップを被る彼の姿で、まっすぐと背筋を伸ばして進んで向かってくる姿が見える。暗闇に溶け込んで、私は息を凝らして、待ち合わせの通りの1番奥のベンチに見つからないように腰をかけている。風景に溶け込む術を、私は知っている。どうか、気がつきませんように。そう願いを込めて、私は俯いて、小さく冷えた空気に身を委ねて、携帯電話の明かりをそっと消す。しばらくの時を過ごしていると、スマホがポケットの中で小さく震える。
「どこにいる?」
LINEの通知が、鳴る。
「ついてる」
それだけ返信して、顔を上げると、何メートルか先から、まっすぐと私に向かって、彼は歩いてくる。私に気付かず通り過ぎていたことに、私の存在の小ささをまざまざと輪郭を帯びて、冷たい体と心をギュッと掴む。耳元に下がるピアスに指先をそっと、添える。ひんやりと、心細くそこには、あった。それでも、暗闇でも私の心を照らす、0.01カラットのdiamond。
待ち合わせは19時。ものの数分で、彼との関係が終わることを、私は理解している。そして、彼もその数分を、理解している。
「はい」
ポケットから、温かい小さなペットボトルに入ったミルクティーを私に彼は渡す。彼の手に触れないように、手のひらを広げて、聞こえるか聞こえないかのウィスパーな声をあげて「ありがとう」と、狭まった気道をかろうじて開いた。
痩せ細った私が、敢えてブラックコーヒーを好むことを彼は当たり前に知っていて、それでも少しでもカロリーを摂って欲しいと甘い食べ物を勧めてくる優しさを、私は知っている。そんなペットボトルの飲料一つで、自動販売機の前で私のことを考えてくれた時間を愛おしく思う。
そんなさりげない優しさを、私はいつも隣で見ていたのだ。
「あわーい三日月が、綺麗にみえるよ」
ベンチから腰を上げて、桜の枝から覗きこむ月を指さしてみたけれど、彼の気配は、動かなくて、無言で座って、一刻も早く、私に話を切り出したいことを、背中で感じた。ため息をついて、彼の腰掛けるベンチの隣に、私は腰を下ろす。肩が触れ合うほどに近くに座ったのに、彼の黒のダウンジャケットと、私のコートは分厚くて、彼の体温を感じる事ができないことに、寂しさをより一層上乗せさせる。
「このまま、続けていくのは、難しいと思う。お互いのために。」
彼は、目深に被るキャップと、口元を覆ったマスクと、首元を覆ったダウンジャケットの隙間から、ポツリポツリと話始める。私は、彼の切れ長な優しい目をずっと見つめていた。顔がみたい。極度の花粉症に悩まされる彼は、ここ最近ずっとフィルターの分厚くて高そうなマスクをつけていることは知っていたけれど、私と話す時にはいつも外して、私の好きな髭を少しだけ見えるように顔を傾けてくれていたことを思い出す。
「うん。わかってる」
私は、できるだけ、明るい声を上げて、その後に続く言葉を待つ。
「うん、うん、」
彼は、私のことを、見ずに、言葉を選ぶようにゆっくりと話続ける。
「eriのことは、大事に思ってる。それは、これからも変わらない。でも、もう続けられない」
「わかった。うん。……わかってる。」
私は、できるだけ彼が好きであっただろう、私のの無邪気さ取り繕って、笑った。
「楽しかったよ、本当に。一緒に歩いて見た景色は、どれも、本当に綺麗だった。
大好きだったよ。」
たくさんの、理由が、あった。
真剣に、将来の話をされた時、
私はそっと目を背けたことも、
きっと理由の一つだと私は理解している。
「たくさん、本当たくさん歩いたよね。いろんなところに行ったし。」そう話しながら、彼は、やっと、私の顔を見てくれた。
「楽しかったなー、まださ、カップラーメンのミュージアム行ってないんだよー?行きたいところ、まだまだたっくさんあったのにな」私は口を尖らせて、軽く文句を言う。
「そうだね」
「そうだよー?一緒に歩きたいところもたくさんあったんだから。もう遊んでくれないわけ?」
私は、涙が、溢れない。本当に大切な時に、私は涙を流す事が、できないのだ。彼は私の涙を流さないことを「変な体だね、心はあるから、大丈夫だよ」と過去に何度も言って、顔を覗き込んで笑ってくれた。涙が流れない、どこか欠陥品の体を、私は今とても恨めしく思っている。鼻水だけを啜りながら、私が心でわんわんと泣いていることを気づかれずに話し続けられることを、ある意味幸運だと言い聞かせながら、私は、彼の右肩に両腕を組んで乗せて、心を通わせていた時のように顔をのせて、精一杯に甘える。
「こんな気の合う女、なかなか見つからないよ?これからも遊んでよ。」
彼は、そんな私の行動を、何も思わないのか、特に手で振り解くこともなく寂しい笑みを浮かべる。
「eriがいいのなら。それ以上はないけど」
しっかりと、線引きをする、
彼の几帳面なのか、
頑固なのかわからない性格を私は知っている。
彼の顔を覗き込みながら、ああ、終わってしまったんだなと、私はこの数分の儚さに、また全身に冷たい冬の風を感じた。おもむろに、ポケットの中にある、小さなペットボトルは、もうすでに暖かさを失って、固いプラスチックの輪郭を強調するようになっていた。
彼の肩から、体を離して、夜空を見上げる。淡く白く濁った空気を纏う三日月は、少しだけ位置が変わって、桜の木の枝の隙間からも、ほとんど見えなくなっていた。不意に、道路脇の車のエンジンの音や、周囲の人の話し声が耳につくようになり、あぁ、これは現実だったんだなと、
自覚した。
私の今までの耳は、この数分間と、過去の共に過ごした時間の彼のために費やしていて、低くて、聞き取りづらい声を必死で受け止めようとしていた。
「じゃ。」と、彼は立ち上がる。
私もゆっくりと立ち上がって、彼を抱きしめた。決して彼の身長は高くないけれど、私は少しだけスニーカーの踵を上げて彼の首筋に1番近い場所に顔を埋める。
「大好きだよ。この気持ちは、少しずつ、沈めていくね。ありがとう。」
世界で1番落ち着く彼の温もり。なぜか、わからないけど、私には、彼の表情が見えた気がした。顔を傾けて、彼は私の耳に唇をいつも近づけてくれていたのに、今は、触れてくれない。それでも、少しだけ、私の匂いを吸い込んで、耳元と首筋に顔を寄せてくれた。柔らかい顔をしていた気がする。そう思いたいだけなのかもしれない。それでも、この体に伝わる温もりは、何も嘘がなくて、心地が良くて、やっぱり幸せだなと思った。この人が大好きだなぁ、と思った。私の、耳元のdiamondのピアスは、小さく揺れた。彼の大きな手は、私の背中で、力なくそっとそえられていて、次第に簡単に解けて、「暖かくするんだよ」と言って去っていった。
夜中に歩く、小高い山の上にある散歩道は、みなとみらいの街が一望できる、私のとっておきの場所だ。歩幅をあえてゆっくりと進めて、冷たい鉄のフェンスに手をかける。
どこまでも、遠くに見える、煌びやかで、音もない世界。小さく見える灯りのともったビルたち。
私の人生は、ゆっくりと、音もなく、進んでいる。理性を止める事ができない心と、身体。曖昧な意地と、わがままを語る事がいつのまにかできなくなった心。感情を震わせて、体と連動して流せなくなった涙。声を出して、叫ぶように、苦しさを解放したいのに、
誰かが馬乗りになって押さえつける、
溢れることのできない止まってしまった心。
助けて、と、大事な人に縋れない私。いつだって胸の奥に大きな何かを閉じ込めて、美しい景色に、溺れようとしても、それは、冷たい風とともにそんな考えを吹き流してしまう。
定まらない人生を、私は歩む。それでも、硬くて、柔らかくて、優しい輝きを纏って、生きていく。
耳元にゆれる、diamondのピアスと共に。小さな灯りを灯し続けてくれると信じて。

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