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あの頃の風は、いまより優しかった。【ちび創作大賞】

僕がまだ小学生のころ
世界のことなんて何も知らなかった。

知っていたのは
自転車のサドルの高さと
駄菓子屋のおばちゃんの声と 

日が暮れる前の、あの独特な風の匂い。

僕は夏になると
阪神の帽子をかぶって河川敷で野球をしていた。

しこたま遊んだ帰りに
来たときと同じようにバットにグローブを刺して
河川敷を歩いて帰る。

風が吹くと、ススキがざあっと音を立てて、
遠くの入道雲が形を変えていくのが見えた。

あの頃の風は、土と草
そして少しだけ生ぬるい水の匂いがした。


放課後夕暮れのチャイムが鳴ると、
遊んでいてもみんな一斉に走り出した。

「また明日な」
それぞれの家に向かって散っていく。

振り返ると
友達の背中が夕日で真っ赤に染まっていた。

その色が好きだった。
あの、令和には無い色が。

家に帰ると、蚊取り線香の煙が
少し涼しくなった風で揺れていた。

冬になると木枯らしが容赦なく吹いていた。
それでも手袋もせずに友達と自転車を漕いで
頬が真っ赤になるまで外で遊んだ。

家に帰ると石油ストーブに置かれたヤカンから
ゆっくりと湯気が流れている。

今、あの頃と同じ場所に立っても
同じ風は吹いていない。


駄菓子屋はコンビニになったし、
河川敷はコンクリートで覆われてしまった。
蚊取り線香も石油ストーブも家から無くなった。

それでも時々、夕方五時に似た匂いを嗅ぐと
心のどこかが一瞬だけ、あの夏の終わりに戻る。

風は変わらないはずなのに
なぜあの頃の方が優しかったと感じるのだろう。

たぶん、風が優しかったのではなく

僕らがまだ
何も背負っていなかっただけなのかもしれない。

あなたにも
そんな「あの頃の風」はありますか?



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