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「答えのない問い」で終わらせない。人間存在の構造について

割引あり

「なんで、ちゃんと謝ってくれないんだろう」

大人になっても、こういう些細な引っかかりって、意外と残る。

わざとじゃなかったのも分かってるし、
相手なりの言い分もあるのかもしれない。

でも自分の中では、うまく消化しきれないまま
「結局、自分はどうすればよかったんだろう」と、ぐるぐる考え続けてしまう。

これは一種の「答えのない問い」なのかもしれない。

この言葉は教育現場では最近よく使われるし、納得する部分もある。
一方で、
「まだ答えが出てないだけなんじゃないか?」
「人によって答えが違うだけなんじゃないか?」
と少しひねくれた見方をしてしまう自分もいる。

この「答えのない問い」の汎用性が高すぎることが僕のモヤモヤの原因だ。

たとえば、

  • 人間とは何か?

  • 正義とは何か?

  • 幸せとは何か?

  • 努力しても報われないのに、努力する意味ってある?

  • 嘘って、ついてもいい?

  • 人のためなら悪いことはどこまで許されるべき?

  • なんで“いい人”ほど損をする?・・・

大きなことから小さなことまで。。
たしかに正解なんて、ひとつには決められない。
時代や立ち位置によって答えが違う。
でも時に、あまりにも簡単に“答えがない”と片付けられてしまうことに、違和感を持つ。

納得したふりをして頷くこともあるけど、
心のどこかが、後からザラッとする。

答えがないって、どういう意味だ?
正解がないから、考えるのをやめていいのか?
答えがない時、何を基準に生きていけばいいのだろう?
あれ?この言葉、向き合わなくて済む免罪符みたいに使ってないか?
問いを開くための言葉が、閉じるために使われていないか?

そういう違和感。

そう思った瞬間、ようやく気づいた。

僕がずっと気になっていたのは、
「答えが出ないこと」じゃなくて、
「問うこと自体をやめる空気」だった。

そして、その違和感について考えるきっかけを与えてくれたのが
漫画『チ。―地球の運動について―』だった。
連載されていた当時から読んでいて、全巻揃えたし、アニメも観た。週末には特別展にも行く。

彼らは、自分の人生をかけて「真理とは何か?」を問う。
命がけで「地球が動いている」という真理に迫る。
誰かに止められても、嘲笑されても、血が流れても、知を繋ぎ言葉にする。

彼らがそこまでして求めたのは、単なる知識じゃない。
世界に対する“確かさ”だった。

僕自身もずっと、それを探してきたような気がする。
哲学書を読み漁ったこともある。
授業で思想を語ったこともある。
でも、そのたびに、どこかに「自分は何かを本当に理解できていない」という感覚があった。

「宇宙にさえ真理があるのに、人間存在にはないなんて、変じゃない?それ本当なの?」

“答えのない問い”って、本当はこういうことなんじゃないか。
まだ誰も答えを言い切れない、でも確かに考え続ける価値がある問い。

答えがないなら、考えなくていいんじゃなくて。
答えがないからこそ、考え続ける。そこに人間の尊さがある。

たとえば、「嘘はついていいのか?」という問い。
誰かを守るためなら? 自分が傷つかないためなら?
あるいは、「本音と建前、どっちを優先すべきか?」
「努力しても報われないなら、努力って意味あるのか?」

こうした問いは、すべて“人間”をめぐる問いだ。
正解はひとつじゃないかもしれない。
でも、まったくの無意味というわけでもない

むしろ僕は、こういう問いに向き合っているときこそ、
「人間であることの根っこ」に触れている気がする。

だからこそ、「答えがない問いだから考えても仕方ない」と言われると、
なんともいえない虚しさがこみあげてくる。
思考を閉じてしまったら、そこにあったはずの“真理の気配”まで消えてしまうような気がして。

僕は今、人間存在の中に通底する何か。
「これは確かに人間であることに関わっている」と言えるような原理を探している。

それは、たったひとつの「正解」ではないかもしれない。
でも、問い続けるに値する「構造」だと信じている。
奥にある、人間存在に通底する「構造」を、言葉にしたかった。


このnoteでは、その探究の中で見つけた5つの原理を紹介していく。

  • 時間性:「死ぬ」と知っているから、人は本気で生きようとする

  • 他者性:他人とぶつかって初めて、自分の「本音」に気づける

  • 欠如と希求:「なんか足りない」が、僕らを動かしている

  • 能動性:信じるかどうか、問うかどうかは、誰かに教わるものじゃない。

  • 物語化欲求:「話」として語らないと、人はほんとうのことを理解できない


どれも、どこかで見聞きした概念かもしれない。
でも、僕はそれを自分の言葉で、自分の物語として再構成してみたい

なぜなら、“真理”というものは、
人から教えられて知るものじゃなく、
自分で照らし出すものだと思うから。


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