日記 レトルトだって「丁寧なくらし」だ
朝起きると外はとても暗い。毎日、早朝の朝の空を見ていると、暗い中にもいろいろな色合いがあることに気が付く。でも今日は、黒という黒だ。真っ暗い。でも星がよく見える。なにかに鋭く突きさされたみたいな星だ。
キャンドルを点けて、ストーブをつける。お湯を沸かす。顔を洗って髪を梳かして歯を磨く。すると湯は沸いていた。そば茶を淹れ、もう一度水を足し、沸かし直す。
今日やることを書きだして、そば茶を飲む。最近はずっと書いていて、書くことですごく励まされている。何を書くということもない、自分のことをいつも書いている。書くことで、なんとなく輪郭がはっきりしてくることがあるものだ。モノゴトの輪郭をとりもどそうとしながら、気づいたら自分のことが浮き上がってくる。
ただひたすら書いていたら外がすっかり明るく日が差していた。時計を見たら8時半過ぎ。洗濯物を回そうと思っていたのに、すっかり忘れていた。洗濯物を回すのにルールなんてないけれど、あまり遅いとよくない。というのは、冬は日照時間が短く洗濯物が乾かないので、日の出から目いっぱい干したいのだ。今からでは少し遅い。
その代りに、掃除をすることにした。
私たち夫婦は家事はすべて二人でやっている。夫が「手伝う」という感覚もなく、私が率先してやることもない。ただ何となく汚れた来たころを見計らってどちらからともなく始める。そしてもう一人がそれに続くような形で始める。
役割は自然と決まっていて、夫はすべての部屋と廊下の床履き・雑巾がけ、カーペットを干してはたく、取り入れて粘着コロコロをする。私はトイレ・風呂・洗面所など水回り、玄関とベランダの掃き掃除。仕事量からして、だいたい同じくらいのタイミングで終わる。
私が早く終わるときは食器洗いや食器棚の整理をしてみる。夫が早く終わることは段ボールを畳んで縛ったり、自分の部屋の本の整理をしている。
ふたりでせっせとやるのは、学校の掃除の時間みたいで楽しい。音楽をかけるとより楽しいだろうと思うけれど、いつも忘れてしまう。ただただ、何も話す集中してこなすと小1時間でかなりきれいになる。きれいになった後の部屋でコーヒーを淹れて一杯飲むのは本当によい。
私たちの家には家具がほとんどない。だから、夫は床掃除をするときにすべての家具をほかの部屋に移し、何もない状態にする。そして戻し、もう一つの部屋を、と続いてゆく。
部屋に何もない状態というのは、普通なら引越しのときに遭遇するものだけど、うちは掃除の旅にそうなる。私は、それがなかなか気に入っていて、何が具体的に気に入っているのかはうまく言葉にできないけど「ああ、この場所に運命的に出会いくらしているのだよな」と実感できる気がする。
掃除が終わり、コーヒーを飲んだ。昼になるので何か作ろうとごそごそしていると辛子明太子パスタのペーストを見つけた。私は食材を一から料理することや自炊を続けることが大好きだけれど、同時に加工品の味も大好きである。自炊ばかりでは疲れるから、という理由よりも、味が恋しくなったから、という理由で加工品を食べることが多い。
そういえば、先日も、カップヌードルカレー味を食べた。ピザチーズを追加したら伸びた伸びた。びよよーんとなる中で、麺をひっつかみずるずるすすった。おにぎりも作って一緒に食べ、最後の汁が残ったところに海苔付きのおにぎりの残りを放り投げてぐるぐる混ぜた。
そういうこともする。丁寧な暮らしというのは、何も時間をかけたり既製品に頼らないものばかりではない気がする。私の場合は、自分の五感にどれだけ正直に生き、さらにはそれを記録するか。それに尽きると思う。
だから、明太子パスタもまた、私の中では丁寧な暮らしの一部なのだ。細く切られた刻みのりがついているのがうれしい。角切りバターも追加してしまった。熱々の麺のなかにバターをくるくる溶かしながら食べる。バターの甘い乳の匂いが鼻からぬけ、脂だけがもったりと胃の方へ落ちてゆく。
散歩へ出かけた。朝の散歩と昼の散歩、そして夕刻の散歩はそれぞれに面白みがある。昼は、必ず郵便屋さんに会う。ちょうど、このあたりの地域を配達しているのだ。それはそれは手早く、家々を回っている。私たちが散歩しているコースの中をぐるぐる回るので、もう会釈はいちいちしない。向こうも気にしていない。
車はない。ひともいない。電車が玉に来るけれど人がのっていない。
小さな村の小さな一角。そこに二つ、人の影ができている。あるところから出てきて、また同じところへ戻っていく。頭上では5羽のカラスの家族が見ている。
あの二人、また飽きもせずに同じところを歩いている、とあきれ返った様子でかあかあと鳴く。
つづく
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自分を許して、大好きな釜揚げうどんを食べに行きます。ありがとう!