オオスズメバチの飼育をして七年目に
スズメバチの飼育をして七年目になる。ほぼ一年中、寝室にスズメバチが十匹以上、多い時は三十匹ほどいる生活が続いている。だから何かの拍子に一匹もいない期間があると、心に穴が開いたような気持ちになる。
小学校に上がった頃、山の親戚で足をオオスズメバチに刺されて以来、私はスズメバチを特別恐ろしいものだと思ってきた。アシナガバチに比べて、無差別な攻撃を仕掛けてくるテロリストの名をさえスズメバチには冠していた。
それが今では最も近しい仲間のように感じているのである。
発端は、自宅に営巣したケブカスズメバチだった。本州のキイロスズメバチの、北海道にいる亜種をケブカスズメバチと呼ぶ。性質は変わらないと言って良い。キイロスズメバチはスズメバチの中でも人への刺傷事故が一番多い種類である。人家に巣を作るからだ。そのケブカスズメバチが自宅の床下に営巣した。気がついた時には既に大勢の働き蜂が通気口を出入りしていたが、悪いことに、その真横が裏口なのだった。裏口は私が出入りするばかりでなく、ごみなどをまとめる作業もそこで行なっていたから、蜂との接触は避けられない。
作業していると、黄色い働き蜂が羽音をさせながら耳元を大量に行き来する。ところが蜂は私を全く相手にしなかった。自分の仕事をしているだけなのである。真っ黒な私のジャージも髪も無視だった。そのようなことが三年も続いて、私の認識は完全に覆されてしまった。ケブカスズメバチの温和な無関心に、テロリスト認定の先入観が百八十度覆されてしまったのである。
あまりに認識が変わると、その分興味も湧いてくるらしい。スズメバチについて、あれこれ文献を漁り、私は勉強を始めた。文献だけでなく、ミツバチ養蜂家の方や果樹栽培をしている方から、トラップに掛かった各種スズメバチを頂いて飼育することを始めた。
家に巣を作られて困るという人はどこにでもいるが、巣を作ってほしいと願っていても、案外スズメバチは来てくれないものだ。近所に転居してから、うちでの営巣は全くなくなってしまい、スズメバチ恋しさに、種類を選ばず何匹もネットで購入さえしたものである。
中でも、オオスズメバチの女王の大きさに驚嘆した私は、是非ともこの威厳ある昆虫に認められたいと強く思った。日本では、スズメバチを飼育下で営巣させた成功例が、管見の限り報告されていなかった。伝統的にクロスズメバチを飼育して食用にする中部地方ですら、未だに初期の巣を捕まえてから飼育する。私は、オオスズメバチの女王に、部屋で巣を作ってもらいたいと心から思った。スズメバチと言えば、巣を見つけ次第、駆除対象になるのが普通である。悪名高いオオスズメバチなど、いつか絶滅してしまうかもしれない。営巣させることができるようになったら、蜂の役にも立つことができるだろう。それを大義名分として飼育することに私はした。本心を言えば、こんな目的は後付けなのである。惹かれてしまった気持ちこそが、後にも先にある真実だ。
集めたスズメバチたちを私はよく部屋に放した。オオスズメバチは人に馴れるという話を養蜂家の故久志冨士男氏が書かれており、また、稀代の研究者である故松浦誠氏は、あらゆるスズメバチに気付かれないように巣のそばで観察できるようになったと書かれている。久志氏はオオスズメバチを手に乗せたり、箸で摑んだりされていたが、松浦氏は、巣にいるキイロスズメバチの全てにマーキングをすることまでされている。ここに至るのに約八年、同様の接触がオオスズメバチにもできるようになるまでには十五年掛かったそうだ。
私もお二人に倣い、オオスズメバチの働き蜂を部屋に放して、馴れさせる試みを続けた。基本的に、捕獲されてきた個体ばかりだから、人間に対し敵意のあることが前提だ。放すと私に対する検分が始まる。長い時は一時間も、私の肌に触れるか触れないかの距離で蜂は全身を嗅ぎ回る。やがて飽きたのか安心したのか、飛び回るのが落ち着いてくると、蜂は私から離れていく。これを何度か繰り返せば、手を差し出してそこに乗るのが当たり前になってくる。中には、飼育ケースを自分の根城として認識するまで馴れた個体もいた。外に放したら一時間後に部屋へ帰ってきた個体もいる。部屋に出す時は一匹ずつするのが基本である。但し、女王は大人しいので何匹部屋に出しても恐くない。また、複数の働き蜂を一つのケース内で飼うといつまでも気安くならず、なってもせいぜい素手で餌の交換ができるまでである。
春には冬眠明けの女王を入手して営巣させることを試み、夏には並行して他種の働き蜂を集め、秋には雄と新女王との交尾を試み、冬季は女王の冬眠を成功させようと試みる。その巡りが今年で七年目に入ったのだが、オオスズメバチの営巣は未だに成功していない。ちなみに中国はオオスズメバチその他のスズメバチ養蜂の先進国であり、それが既に畜産業の一つとして確立している。ベトナムやラオスも、中国の技術を輸入して一つのビジネスになっている。養蜂されているオオスズメバチは日本のものと種類が違い、胸が赤くて腹が黒色の、Vespa mandarinia bellonaと学名で呼ばれるタイプである。けれども色を除けば大した違いがあるとも総じて思えない。私は中国のスズメバチ養蜂について調べ、頑張って書籍も集めたが、設備上の問題や気候の違いもあり、情報はほとんど役に立たなかった。
では総て失敗の連続なのかと問えば、そうでもないのである。今年は遂に女王がうちで産卵するに至ったからだ。私としてはただスズメバチに感謝するばかりであるが、近年の状況を俯瞰してみると見えてくることがあった。
スズメバチを飼っているということが近隣に知られて苦情が来ても嫌なので、私は知人だけにしかこれを伝えないようにしている。それでも話は自然と広まり、あちこちから駆除の依頼が来るようになる。今年の春は、頼まれてオオスズメバチの女王を五匹、素手で捕獲した。夏にはミツバチの巣に現れたオオスズメバチをやはり手で三十匹ほど捕まえた。捕まえる時、私も蜂を恐がらないし、蜂も私を恐がらない。だから単に場所を移動するように捕まるのである。また、今年はコガタスズメバチの巣の駆除も依頼され、女王しかいない小さな巣を取ってきて飼育ケースに付け直し育てたが、働き蜂が羽化してからは、ケースごと昼間は外に出し、夜は部屋に入れるようにしていた。巣が大きくなっても蜂たちは私を警戒していない様子だった。巣ごと馴れてくれたのである。ある夏には、スズメバチが威嚇してくるので作業ができずに困るという話を聞き、私が行ってみたところ、何度行っても何も出てこないということもあった。同僚の家にケブカスズメバチの巣ができた時には、見に行ったら、巣の近くにいた私は無視され、蜂が同僚を追いかけるということがあった。
いくら私が知識でスズメバチのことを知ったとしても、上記のような事は起きないだろう。ただ蜂をたくさん飼育し観察するだけでも同じである。そして、そもそもスズメバチを敵だと思っている限りは、決して起きないことだろう。
私の身に起きたのは、一言で言うなら、相手と自分との「間合い」の問題である。具体的には次のように表現できよう。
スズメバチのあり方でこちらの態度が変化するように、こちらのあり方次第でスズメバチの行動は変化する。当たり前の話のようだが、その有効範囲は相当に広い。スズメバチに気にされなくなるこちらのあり方というものが確かにある。それは心身両方に関係しており、そのあり方は体得されるほかない。そして体得するためにはスズメバチの存在が不可欠である。
飼育七年目にしてオオスズメバチが今年は産卵してくれたわけであるが、飼育環境がこれまでに比べそれほど変化したわけでもない。産卵に至ったのは、私の六年間に渡る変化、その変化した程度が何かの水準に達し、その自分のあり方で蜂に対していたからだと思われる。
最初に私の認識をケブカスズメバチの行動が変えた。変えられたのは私の方である。この時点では蜂からの一方的な恩恵だった。他方、蜂が私に馴れたのは私の態度の故だったろう。蜂が馴れ始めると、こちらの関われるその関わり方がより幅広くなる。そうすると蜂の態度もまた変わっていく。スズメバチは巣の寿命が約半年と短いので、蜂の方では私といて変化できることに限りがあるけれど、有り難くも私の方では毎年蜂との経験が深められる。
要は、いわゆるインターアクションだということだ。相手はこちらの思う通りになどならず、双方、自分の変化にも気づき難いが、付き合いを継続していくことで互いの「他者感」が無くなっていくものらしい。
これは、動物を相手にする獣医の態度や、物を扱う職人の、物との関係と同じことであり、何かに熟練していくとは総てそういう事象であるに違いない。ただ、私はスズメバチを通し、身体を用いたこのような智慧の普遍性に初めて気付くことができた。誇張でなく、やがてこれが自他一体感に結び付いていく予感が私にはある。
とは言え、オオスズメバチを自宅で営巣させるという目標には達していないのだから、まだまだ蜂には教えを請わなくてはならない。
スズメバチが恐くなくなるだけでも、世の中の見方はかなり変わるのである。多くの人がスズメバチに関心を持ち、駆除一辺倒の風潮が無くなってくれることを切に願うものである。
以上、スズメバチ飼育七年目にして振り返った学びと感想である。もはやスズメバチ自体が私の人生の一部になっており、私はそれに支えられている。スズメバチという種全体に私は感謝の念を贈らざるを得ない。
