【難解】幸福論【学術考察】
はじめに
幸福論はなぜ生まれるのだろうか? これを書き終えた時に、それは人間が最も理解が出来ない概念だからに他ならないという事に気が付いた。人は新しい概念が生れた時に、言葉を駆使して既存のものに例えて理解する。初めて電気を知った人は「電気とは水のようなものだ」と例えた。言い得て妙である。しかし様々な要素が『当てはまりすぎるもの』や『人によって答えの変わるもの』を正しく理解することは難しい。電気は水のようなものでもあるし、お金のようでもあるとある人は言う。またある人は、電気とは光だと言っている。これでは電気とは何かを理解することは出来ないだろう。幸福という概念にも同じようなことが起こっているのだ。その為過去の賢者は「私の考えた幸福」を世に発表し続け今日に至る。
私の幸福論は素人ながら科学的でありたいと願いながら創っている。幸福を『人間の欲求』という形で本質を表現した心理学者がいる。アメリカの偉大なる心理学者アブラハム・マズローである。彼の提唱した理論は「マズローの5段階欲求」と呼ばれ現代でも人生の羅針盤にする人は少なくない。彼は著書『人間性の心理学』でこのような事を述べていた。
「私の主張は否定されなければならない。なぜならこれは科学だからだ」
これは、心理学がまだ科学としての地位を十分に得られていないという時代背景があった故の発言だ。科学とは、観察と実証を経て成立する。再現性は科学にとって重要だ。人類への貢献という感覚を科学者は少なからず持っている。再現性を高めるという事は、過去の説を否定する事でもある。そのような経緯があり、初めて社会に対し役割を果たすことが出来るからである。
今の私も時を越えて同じような気持ちになっているという事を、マズローに伝えたい。幸福を理解しやすい概念まで押し上げることは非常に重要である。定義するということは、つまり単純化するということと同義であり、また幸福を単純化するという事は『人間の本質』を単純化することでもある。
今回この『幸福について』で参考にしたものはあまりに膨大な量の判断材料であった為、最終的に導き出した結論は完全な単純化からはまだ遠く、実は自分自身『至っていない』という直感がある。それは純粋に能力の限界なのかもしれないし、科学的検証がまだ不十分な領域が存在する可能性も否定できない。もしかしたら、今後科学で新しい発見があった際、この幸福と呼ばれる概念を表すために必要なパズルのピースが十分に揃い、「幸福とは○○である」という表現が可能な真理が生まれることが起こりえるかもしれない。
私のこの完成品は、かつてのマズローが願ったように科学的な進歩の一部でありたいと切に願う。次の時代の懸け橋となるためこの幸福論は否定されなければならない。それが科学だからである。
幸福の歴史
先人たちが幸福をどのように捉えてきたのか。その歴史を知る必要がある。紀元前の哲学者、アリストテレスの著書『ニコマコス倫理学』が現代の幸福論に今でも影響を及ぼしている。人は幸福になるために生きていると考え、その中でよく生き、そして道徳的に生きることを『中庸』という言葉を用いて表した。『よく生きる』とは現代の私たちにはあまりなじみがない。幸福に生きるための要素として、規律や秩序、自制などの社会性をあり方として説く。それは時代に求められていた考え方であった。
また、アリストテレスは『運』や『人間関係』も非常に重要であると考えており、家族が死んだらそれは不運であり、また不幸であると位置づけた。彼は師匠のプラトンとは真逆の現実主義的な思想で幸福を捉えていたために、至った結論であり実にアリストテレスらしい。
幸福の歴史を考察するうえでこの『運』という観測できない第3の要素が人生において決して無視できない点であることは、現代でも十分通用する核心的部分である。
同じ時代背景を持つ哲学者のプラトンは、家族の死のような外的要因は幸福と関係ないと考え、知性とともに良く生きたら、それは幸福であると主張した、古代ギリシャにおいてはしばらくそれが主流となった。しかし、シカゴ大学の哲学者 マーサ・ナスバームはアリストテレスの研究で『幸運は幸福で生きるのに必要である』と結論を出した。私も幸福を研究するうえで不幸への理解は避けて通れない道であったため、このアリストテレスの現実的思想は大きな指針であった。
有り方の倫理学としてはカントの義務論が代表的だ。義務論とは『善行を行え』『感謝しろ』『他人を傷付けるな』といった、理性の有り方を示したものだ。18世紀ごろ時代では、まだ社会的な環境、それは法整備や公平さという倫理概念がインフラとして必ずしも機能しておらず、『秩序に重要性を持たせるということ』に対する価値が高かったと考える。つまり社会的役割として個人が持ち得る『あり方、生き方』という秩序の最大化が狙いとしてあったのではないかと推測できるのだ。これがカントの義務論が義務論たるゆえんであるのではないだろうか。彼はこの義務論になぜ従わなければならないのかという問いに対し「それが理性だからだ」以外の言葉を持たなかった。もし現代にカントが居たとした場合、このような根拠のない思想は嘲りの対象となってしまうかもしれない。しかし、このような熟慮された主観は時代の価値観に大きく依存しており、最適化された理論であるという考えが、最も整合性を保つことができる。逆説的に、時代の価値観にとらわれない現実的なアリストテレスの倫理学の方がより根源的で普遍的であると言える。
幸福論は様々な変遷を辿る。同じく古代ギリシャの哲学者、アリスティッポスの肉体的快楽が最大の善であるという快楽主義。ヘレニズム期の哲学者エピキュロスは、これに反するように家族との団らんなどに代表される穏やかな幸福こそが善であるという主張をした。
しかし、そのような主張が大きく一つの結論を迎えたのは、カントの生まれた24年後に誕生したジェレミー・ベンサムという男の時代である。
ジェレミー・ベンサムは『功利主義』と呼ばれる「最大多数個人の最大幸福」という思想を提唱し、それが現代の幸福感や倫理観の元となっている。カントの幸福感である『義務論』は保守主義であり伝統や文化、道徳(美徳)に高い価値を置くものである。それに対しベンサムの主張はリベラリズムに代表される自由主義の基本となっている。人権をまもり、自由で平等な世の中を目指す一つの原則として、後世の国際法学に大きな影響を与えた。この功利主義は後に門弟のジョン・スチュワート・ミルによって、修正、拡張される事となる。修正された部分は公平さと言われており、挙げられる例の一つとして拷問に対する考え方がある。ベンサムの功利主義では拷問される個人の不幸よりも、それによって幸福な人物が増えれば、それは道徳的となってしまうという批判が生まれたのだ。弁護するわけではないが後のベンサム研究において彼は多数の幸福のために少数を犠牲にすることを支持しない正義論を持っていたことが分かる。
しかし、この拷問の例も、切り取り方を変えればやはり道徳的なのではないかと考える。これは視点のスケールが異なると、最適な幸福も異なる為である。ルネサンス期のフィレンツェ外交官であるニッコロ・マキャベリが書いた『君主論』も彼なりの幸福論が元となっている。政治という広いスケールで考える『幸福』を現実主義的に考えるのであれば、加害も行う必要はあると考えた。結果生まれる犠牲はやむをえない。彼が考える正義とは、だからこそ『痛みは一瞬で』『後に生まれる恩恵を長期でしっかりと』という設計として表現される。このような視点であれば、初期の誤解を生んだ功利主義であっても、また一つの幸福観であると言えるのではないだろうか。
哲学者であるエドモンド・ピンコフスはカントの義務論、ベンサムの功利主義の違いをこう表現している。カントの義務論は『人物』に焦点を当てているがベンサムの功利主義は『行為』に焦点を当てていると述べた。ベンサムの功利主義は帰結主義と呼ばれる考えがもとになっている。帰結主義とは「評価をする際結果もしっかり見る事」である。この延長線上で生まれた『誰がみても正しい正義』のようなものが『能力主義』というまた別の苦しみを現代に生む結果になってしまったのは何とも皮肉な話である。
では、時代が流れなぜこのような思想の変化が生まれるのか。それは過去と現代の幸福を探る一つのヒントになるだろう。
ベンサムの合理的とも言える功利主義は現代と特に相性が良い。法治国家においては個人のモラルを十分に醸成せずとも、秩序を約束できる社会システム確立されていることが一つの理由として挙げられる。罪を犯した人間は、おおむね治安維持を目的とした各組織から然るべきペナルティを受ける。ベンサムの功利主義が生まれたきっかけもまさに未成熟な法政会に対する不満や矛盾がきっかけである。このような法機関のインフラ維持コストは時代とともに低くなり、また品質を上げてきた。結果、おそらく18世紀中ごろには人は『ありよう』から自由になり始めたのではないだろうか。功利主義の最大の功績は、その主義に反して幸福の総量の増加ではないと考える。それまで個人の感覚に依存していた秩序によって生み出された、矛盾や理不尽からの解放がこの主義の根本にはある。そのように捉えると功利主義の功績は悲しみの総量を減らしたことなのかもしれない。
この文脈で考えるとカントの義務論はすでに必要のないかというと、そうではない。功利主義一辺倒では失うものも大きい。それは、共同的幻想である。
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