"バローロボーイズ”ってだれ、なに?
Vol.056
1980年代から1990年代初頭、イタリアのワイン界を震撼させた改革が起きました。かつて、イタリアのジャーナリストは、新旧との闘い、あるいは、守旧派と改革派との確執といいましたが、北イタリア・ピエモンテ州が舞台となった、新しいワイン造りの闘争です。
改革のターゲットになったワインは、みなさんもご存じの、イタリアを代表する「バローロ」。イタリアワインの王様とも呼ばれ、いまも不動の地位を保っています。当時、この改革を機に、世界からイタリアワインに注目が集まり、さらにアメリカ市場開拓の道も歩み出したのです。
1983年、改革の発端となる事件が勃発しました。後に“バローロボーイズ”と呼ばれる主役格のひとりエリオ・アルターレが、あろうことか、自社のカンティーナ(ワイナリー)に並ぶ大樽を、チェーンソーで切り刻んでしまったのです。大樽といえば、バローロワインの長期熟成を象徴する樽です。
なぜ、エリオ・アルターレはこんな暴挙に出たのか。
ひとことでいえば、それまでの「バローロ」ワインの造り方に対する徹底的な反抗です。彼は、「バローロ」ワイン造りの後継者。20代半ばにフランス・ブルゴーニュを視察して、ぶどうの収量制限や短期マセラシオン、バリック(小樽)による熟成など、近代的な技法にいたく感銘を受けたのです。
勘の鋭い方は、もう想像できますよね。
帰国後、実家のワイナリーで同様の技法を導入しようとしたところ、父親が断固拒否。父親は、ピエモンテ州ラ・モッラの伝統的なワイン造りを重ねてきた大ベテラン。「バローロ」ワインの長期マセラシオンや大樽での熟成を守る造り手です。
なんと、エリオ・アルターレは、そんな父親の留守中に大樽を破壊したのでした。
さてこの事件は、なにを意味するのでしょうか。
象徴的な古いワイン造りとの決別といえるでしょうし、世界の流通を見据え新たな販売網を確立するため、ワールドワイドで通用する味わいの改変といってもいいでしょう。事件後、「バローロ」のワイン造りは、モダン派と伝統派に分かれました。
要点だけいえば、モダン派は、短い期間でタンニンをまろやかにする小樽(バリック)を使い、国際市場に受け入れられる飲みやすいワインを造りました。
一方、伝統派は、ネッビオーロ(「バローロ」の品種)の香りを存分に活かす大樽での熟成で、市場に迎合することなく、骨太のワインを造り続けています。
“バローロボーイズ”の話に戻りましょう。
エリオ・アルターレほかの主役格が、ルチアーノ・サンドローネ。彼らに追随する若き造り手が、ドメニコ・クレリコ、エンリコ・スカヴィーノ、キアラ・ボスキスといったメンバーです。
“バローロボーイズ”をビジネス側から仕掛けた人物が、ワイン商のマルク・デ・グラツィア。小規模の生産者を束ね、アメリカ市場でのブランド化と販路の開拓を実現したやり手です。名ワイン“バローロ”の近代化のタイミングを見逃さず、アメリカ市場という新しい売り先を確立した点で、際立った先見の明がありました。その後、“バローロボーイズ”のワインの格付けは、グイグイ上昇しました。
最後に余談ですが、“バローロボーイズ”という名称から、タイトルづけされた本があります。2010年発刊のノンフィクション『ウスケボーイズ』です。本の内容は、山梨、長野でワイン造りに人生をかけた、岡本英史さん、城戸亜紀人さん、曽我彰彦さん3人の物語です。
このところ、日本ワインがかなり注目されていますが、四半世紀遡ったあたりから、その素地を知りたい方にはお薦めの一冊。ちなみに『ウスケボーイズ』のウスケとは、彼らがワイン造りの師と仰いだ、先駆的な日本ワインの醸造家、麻井宇介(アサイ・ウスケ、2002年没)さんのこと。自然派と呼ばれる日本ワインの背景がバッチリつかめる面白い本ですよ。

第16回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
実は、主は、かつてウェブマガジンを
つくっていた頃に岡本さんと知り合い、
媒体に合わせた「ボーペイサージュ」のワインを
コラボすることになっていたんです。
いまとなっては懐かしい思い出です。

『比較ワイン文化考』1981年初版。
目次をみると、「風土のしくみ」
「ワインのかたち」「食べることと飲むこと」
「ワイン文化の周辺」といった章があります。
まだまだ日本に
ワインが根づいていなかった頃の
研究に裏打ちされた含蓄ある話に惹かれます。
次回の“ディアリオ ヴィーノサローネ”に続きます。
