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タイムレスという名の虚構、二次流通市場にみる「クラシック」の正体

Vol.065
今回は、ワインの話から離れて、メンズファッションのセカンダリーマーケット(二次流通市場)で直面した”事件”を綴ります。現場となったのは、古着の聖地、高円寺に数店舗を構えるかなり名のとおったお店です。

メンズファッションの歴史や美学に触れたことがある人なら、「クラシックなスタイルは普遍的で、時代を超えて愛されるもの」といった意味を信じたいと思いますよね。イギリスの伝統的な仕立てや、イタリアの熟練の職人技。そこには流行に左右されない、絶対的な価値があるはずだ、というのが、主の基本的な考えです。

ところが、古着店の扉をたたいてみると、切ない現実が転がっていたのです。店では、若手の店長とこんなやり取りがありました。

「いま、『ドレイクス』のジャケットは、生地が必ずしも上質でなくてもよく売れます。トレンドですね。でも一方で、マシンメイドの最高峰と呼ばれる『ベルヴェスト』の、スーパー180sという極上ウールを使ったダークグレーのスーツは、20年前ぐらいのものだと驚くほど安い値段しかつかないんです」

なにか不思議だと思いませんか。
普遍的なはずのクラシックの世界で、巧みな仕立てや生地の質よりも「いまっぽいブランド」がチヤホヤされ、職人たちが手がける最高のスーツが値崩れを起こしている。ここに、現代のセカンダリーマーケットが抱える、深い歪みが見え隠れします。

なぜこんな現象が起きてしまうか。
理由はとてもシンプルで、セカンダリーマーケットが何よりも「流動性」を一番に考えているからです。
これは、中古時計の市場でも同じです。


お店のビジネスとして考えれば、いつ売れるか分からない「20年前の最高級スーツ」を大切に扱い続けるよりも、SNSにポストした商品をどんどん回した方が効率が良いわけです。その結果、市場の評価軸は、服の「クオリティ」から「トレンド」へと、クラシックなファッションにおいても急激にシフトしてします。そもそも『ドレイクス』ってクラシックをベースにしたスタイルなんですけどね。

いまの消費者たちが買い求めているのは、クラシック本来のクオリティのよさというよりも、「ラグジュアリーブランド」の服に通じるようなトレンドを主張する、外見性にとらわれた実に表面的な感覚ではないだろうか。生地の目付けや職人の丁寧な手仕事をじっくりと吟味する代わりに、「これを着ていれば、手っ取り早くいまっぽくてお洒落な人に見える」という、表面的な安心感を「秒」で欲しがっているようです。

一方、およそ20年前の『ベルヴェスト』はあまりにも不遇です。どれほど素晴らしい生地を使い、立体的な美しいドレープを描いていても、現代の消費者で見分けられるひとがあまりにも少ないのかもしれません。服の背景にある歴史的な意味を理解し、自分の身体に合わせて少し直してでも着るような、時間と手間を楽しむ心のゆとりを持つひとは、いまや“絶滅危惧種”になってしまったのかもしれません。

ちょっと意地悪な問いを立ててみよう。

「では、いまファッションに夢中になっているひとたちに、ヨーロッパにある本質的な服飾文化を丁寧に伝えていけば、彼らの美意識は変わり、『ベルヴェスト』の価値を理解してくれるのだろうか?」

結論から少し冷徹にいうと、彼らは、本質的な文化なんてこれっぽっちも享受したがってはいないのです。といったら、さすがに短絡的かもしれません。しかし、これが現代の消費者のリアルな本音に近い気がします。彼らが本当に欲しがっているのは、文化そのものが持つ深い味わいではなく、見栄えのいい服にしか過ぎない。

自分の体に馴染ませて、クタクタになるまで愛情を注ぐというヨーロッパ的な「服を育てる文化」は、彼らにとっては、やがてメルカリなどを通じて販売する考えもあり「リセールバリュー(再販価値)を下げるもったいない行為」でしかないのです。

自ら進んで面倒な文化を学ぼうとはしない消費者。そして、流動性を追うあまり、服の凄みを語ることを諦めかけているマーケットやお店。これこそが、現在の日本のセカンダリーマーケットが直面している大きな課題です。

しかし、主は絶望にまではいたっていません。なぜなら彼らは、自分から学びに行くことはしなくても、「本物が持つ圧倒的な凄み」に偶然出会ったとき、言葉を失うほどの仕事に見惚れることがあるからです。

ファストファッションや、3年で使い捨てられるトレンドに、どこか虚無感を抱き始めた若者が、ふとした拍手に20年前の『ベルヴェスト』に袖を通してしまう。その瞬間、狂気すら感じる丁寧な手仕事の重みと、極上ウールが肌を滑る感覚に、脳天を殴られるような衝撃を受ける――そんな体験を仕掛けるチャンスが、まだまだ残されているからです。

セカンダリーマーケットのショップスタッフたちが、単に古着を右から左へ流すだけの、効率的な「転売のプラットフォーム」になってしまうのは、あまりにももったいない。売れ線のジャケットで上手にお店を回しつつも、ときには棚の奥の一等地には「二度と手に入らない、一生モノの狂気」を潜ませておく。「古いんじゃない、もう二度と作れないんだよ」と。

売り手側が諦めずに、興味深く、かつ情熱的に語り続けていくこと。それこそが、短絡的な消費社会を少しずつ成熟させ、クラシックなファッションを、「表面的なスタイル」から「本質的な文化」へと変えるきっかけになることは間違いないでしょう。なぜなら、彼らが最も近くにいるセカンダリーマーケットの当事者だからです。

次回の“ディアリオ ヴィーノサローネ”に続きます。


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