『フランスの最も美しい村』への旅【前編】 ドイツの温泉の都 バーデン・バーデン〜アルザスの宝石 ベルグハイム
Oによると、5月の連休2泊3日の旅行のテーマは、フランス北東部 アルザス地方の《『フランスの最も美しい村』への旅》だという。
この「最も」と最上級を作る副詞を使いながらも、村は1ヶ所ではなく、フランス国内で、基準を満たした村が『最も美しい村』として認定される。
現在(2026年5月時点)、公式の「フランスの最も美しい村(Les Plus Beaux Villages de France)」協会に認定されている村は、フランス全土で184ヶ所あります。
この認定を受けるには、非常に厳しい基準をクリアしなければなりません。
認定されるための主な条件
• 人口: 村の人口が2,000人以下であること。
• 歴史的建造物: 最低**2つ以上の保護対象(遺産)**があること。
• 自治体の意向: 村議会が認定を希望し、保存・活用の努力を継続すること。
つまり、大変美しい村であっても、大人の事情により、認定を受けられない村もあるということだ。
また[南仏の美しい村]と[北東部の美しい村]とでは、雰囲気がまるで違う。南仏はイタリアに近い雰囲気であり、北東部はほぼドイツである。同じフランスといえど、全くムードが違う。
今回行くアルザス地方は、ドイツ、スイスとの国境に接している地帯で、何世紀にもわたってドイツとフランスに代わる代わる統治されてきたため、両国の文化が混ざり合っている。
フランス語もドイツ語も当たり前のように使われるので、3年前は今自分がどこにいるのかわからなくなったのだった。
3年前にフランスに行った時は、テーマが
《ロワール川流域の城》だった。
ディズニーの「美女と野獣」の野獣の城のモデルなったシャンポール城など5ヶ所の城を巡り、帰りに主人公ベルの住む村のモデルとなった、アルザス地方のコルマールに立ち寄った。
(コルマールはジブリの「ハウルの動く城」の町のモデルとも言われている)



ジョウロを飾るのはオーナーの趣味とのことだった






今回の旅の2日目の目的地リクヴィルも、この《フランスで最も美しい村》の認定を受けている村であり、コルマールと共に「ベルの村」のモデルの一つとしても知られている。
✨🏰✨👑✨🏰✨👑✨🏰✨
フランスに行く前、1日目の宿泊地はドイツの有名な温泉保養地バーデン・バーデン。
家から遠くないし、行ってみたいとは思いつつ、これまでVはその名前を口に出したことがなかった。
Oがしばらく前から、
「連休はフランスに行くよ。初日は途中のバーデン・バーデンに一泊」
と言っていたのを聞いても、Vは「ふぅん」とだけしか返事をしなかった。
何故か‥‥それはOが旅先でのんびりすることなどあり得ないからである。
『バーデン・バーデンのような保養地ほど、Oに合わない場所はない』とVはよく知っている。
ああ、単にその日温泉に浸かりたいのだな、と理解する。
せっかちのOは温泉は好きでも、同じ場所に長く滞在したり、ゆったりした時間を過ごすことはできないのだ。
「この2泊3日は、バーデン・バーデンだけで静かに過ごしたい‥‥」
と、万が一Oが言うようなことがあったら、それこそ異常事態だ。逆に病院に連れていかねばならなくなる。
というわけで、我が家ではあり得ないものの、こうした温泉療養地に来る人は、2〜3週間滞在する人も多い。旅の途中で一泊するくらいでは、立ち寄り湯に寄ったようなもの。
しかしVは現実的に休みたかった‥‥
Vはこの4月後半、立て続けに7回ほど会議や行事が続き、更に自分の用事も重なり、出かけることばかりだった。何時間か出かけるので、帰ってから買い物や家の仕事、寄り道ばかりで早く歩かない犬の散歩に追われる。疲れ果てる。
会議では中心となって話さなくてはならないが、月末の2回の会では舌がもつれ、言葉が出にくくなっていた。ストレスが強くなると、唾液が出にくくなる為、人間はこうなるようだ。
頭の芯が疲れすぎて、考えようとしても考えられない。何か読もうとしても目が拒否する。脳が痺れて固まったような、痛みを伴う感覚がある。
困るのは、忘れるはずがないような固有名詞が出てこない。名前だけではなく、何か物を見てもその意味合いがわからなくなる。
「年を取って物忘れが酷い」というのとは違うのだけれど、場の雰囲気がまずくなりそうだったり、困った時はそう言っておけば済む。周囲は「私もですよ」と納得してくれる。
Vは、動き過ぎて身体と脳が疲れ切ってしまうとこうなる。仕事をしていた時代にも、働きすぎて何回か経験している。舌の異常だけではなく、瞼が重く持ち上げにくくなり、周囲がグレーに見えるのだ。
完全にストレスだ。危険だからこれ以上動いてはいけない、と脳が教えてくれているのだとわかる。
ある程度眠れば身体の疲れは取れるけれども、脳の疲れは治るまでに時間がかかる。
仕事をしていた頃は、勿論平日はずっと働いていたし、会合などで顔を合わす面識のない人ともいくらでも話していた。いわゆる社交の場での振る舞いは得意な方であったし、仕事絡みの話から発展させて様々な事柄を話すのは、寧ろ楽しいことだった。
しかし、今は「Oの妻」の立場で話さなければいけないので、ひたすら気を遣う。話してもいい内容は限定的であり、プライベートな話題は避ける。これはOの職務上仕方のないことと理解している。
ごく普通の、ごく一般的で常識的な奥さんらしく見えるように振る舞い、本音を語らず上っ面だけの会話をするのは、何と楽しくないのだろう。
けれどもそれがVの立場であり、業務なのだと割り切ってはいる。しかしそれがストレスになる。
Vとしては、もっと自由で良いと思うものの、仕事をしているのはOであり、そこに余計な波風を立てないように、穏当に済ませなければいけない。
Vの巻き髪だけでも、関わる日本人の間にさざ波くらいは立ててきたのだろうけれど(一度会ったことのある人に街で声をかけられた時、「覚えていてくださったのですね」と伝えると、わざわざ「そのお髪は他にいらっしゃらないので」と返された)、Vの服装や髪型に関しては、Oが全く何とも思わないらしいので、そこは気にしない。何十年もこの姿で生きてきたので、今更変えるつもりもない。
Vがノーブルなイメージを好むことが、日本人の間にさざ波を立てても、ヨーロッパでは受け入れられやすいのは幸いなことだ。
何とか4月の行事は全てやり終えて、一日休んですぐこの旅行だ。まだ脳は疲れたままで、舌がもつれているというのに。まぁ、Oと愛犬相手に話すのはそれでも問題ないけれど。
そんなVが休むには理想的な保養地バーデン・バーデン‥‥
『私だけそこに置いて行って頂戴』と心で思う。療養したい‥‥
さて、そのバーデン・バーデンの前に、世界遺産の場所に立ち寄る。
緑が溢れる車窓の風景、この時期は菜の花畑の黄色が目に鮮やかだ。


と家にある油の瓶の絵を思い出す。
最近オリーブオイルに少し飽きて、
炒め物、揚げ物などはRapsölを使っている。
ちなみにキャノーラ油も菜種油の一種。日本ではよく使った





🔸マウルブロン修道院
中世の姿をほぼ完璧に留める、世界遺産の修道院が旅の始まりだ。

中央の塔は「魔女の塔」と呼ばれる





ドイツのバーデン=ヴュルテンベルク州マウルブロン。
修道院は1147年、シトー会の修道士によって建設が始められ、その後、数世紀にわたって増築・改築が繰り返された為、ロマネスクから後期ゴシック建築の様式が各所に混在している。

修道院と周辺の関連施設


「しーっ!静かに」と資料に書いてある

ヘルマン・ヘッセの『知と愛』の舞台である「マリアブロン修道院付属神学校」は、ここがモデルとなっている。
ヘッセ自身もかつて神学校生として学んだ場所として知られており、半年で修道院を脱走した時の経験を元に書かれたのが『車輪の下』である。
天文学者ケプラーや詩人ヘルダーリンも同じく神学校の出身者だ。
Vは『知と愛』や『車輪の下』をドイツ文学に夢中だった小学校高学年の頃に読んだ。何度も読んで想像を膨らませた。
城壁に囲まれた修道院と葡萄畑、修道院の近くにある湖、そこを中心に広がる村のイメージは昔の想像通りだ。
修道院は、広場を中心に幾つもの建物と共に城壁と堀に囲まれた中にあり、小さな博物館が周辺に点々とある。また城壁に沿ってしばらく歩くと湖がある。ドイツ人は夏は湖で泳ぐのだ。
ここマウルブロンは、中世の修道院の姿をドイツで最もよく残しているといわれ、
[アルプス以北で、最も保存状態の良い修道院]
ぬとして、世界遺産に登録されている。
ロマネスク様式と、ゴシック様式が混在して見られる建物は大変興味深い。

移行期の特徴が見られる回廊。対角線上に交差する
天井の肋材リブ・ヴォールトはゴシックの技術


下の写真のような半円形のアーチよりも
重力が下に流れる為、壁への負担が減り、
壁を薄く、窓を大きくできるようになった


貯蔵庫としても使われた






1階は14世紀のゴシック様式。2階は17世紀に付け加えられたハーフティンバー(木組み)様式


修道士が手を清めた噴水盤
一番下の水盤のみ14世紀のもの

初期ゴシック様式 高さのある優美な空間
天井の赤いリブ・ヴォールトが美しい

マウルブロン修道院では、庭仕事や家畜の世話など主に労働を担う平修道士と、ラテン語の読み書きができた修道士の二つの階級があった。
食堂や寝室などは別で、全て二つずつあり、階級により生活は二分されていた。
修道士は私語が厳禁であり、1日7回のミサ、年間160日も断食の期間があるなど、非常に厳しい修道院としても有名だった。
修道院は壁と堀に囲まれ、外の世界と遮断されており、中世では俗世の人間が敷地内に立ち入ることは禁止されていた。
修道院では、敷地内の畑で収穫した葡萄でワインを醸造し、野菜や果物の栽培をし、パンやチーズを作り、自給自足の生活を送っていた。
こうした労働に従事する平修道士の方が食事の量は多かったという。

修道院の他の場所では私語が禁じられていた

修道士が毎朝会議を行った場所






ゴシック様式の天井、二つの様式が融合した教会内部
教会中央には仕切りがあり、かつては修道士の階級によって入れる場所が決まっていた。 仕切りより前方は、位が高い修道士のエリアで、15世紀に造られた聖歌隊席がある。

聖歌隊席に座らせてもらえて羨ましい
写真のような古いヨーロッパの教会の椅子には、「ミゼリコルディア(慈悲の椅子)」という計らいの板が付けられている。
長い儀式の間、聖職者や聖歌隊がずっと立っているのは大変なため、座面を跳ね上げた時に出てくる小さな棚のような部分にお尻を乗せて、立っているように見せかけて、そこに体重をかけられるようになっている。

十字架にかけられたキリスト像がある



教会中央に仕切りがある構造は珍しく、ロマネスクから後期ゴシックに移り変わる建築様式が各所で見られ、堪能できた。
修道士の清貧で厳格な暮らしを想像した。冬の寒さは相当なことだろうし、学ぶことも、働くことも、私語禁止も、食事の内容も何もかも大変そうだ。
昔はヘッセの物語の中の厳格な戒律の世界に憧れたものだが、この場に立ち修道院を眺めると、自己を律し、ストイックに生き、魂を磨くための試練に身を投じることなど考えられない。
『もし自分だったら、一日も我慢できないだろう』と思うのみである。
Oと交代で見学する間、広場のカフェで一休み。建物前の外の席、パラソルの下の日影の席は埋まっていたので、どうしようかと思ったところ、2階のテラスに空きがあった。そちらの方が雰囲気があるし、建物のお陰で日陰の涼しい席だ。







あっさりして大変美味
ここに来たからといって、マウルブロン修道院が発祥の地である郷土料理マウルタッシェンは食べない。別名「神様をだます小袋」。
修道士たちは「四旬節(復活祭前の期間)」や金曜日には、肉を食べるのは禁止されていた。
それでも肉をどうしても食べたくなり、
「細かく刻んで野菜と混ぜてしまえば、一見肉とは分からない。更にパスタ生地で包んでしまえば、天にいる神様からも見えないだろう」
という、精進料理に近い感覚のものだ。ちょっぴり細切れ肉が入っているのだから厳密には違うけれど。
栄養価の高いものを自由に食べられず、大変だっただろうとは思うが、試しに注文すらしないV。
思い出作りよりも、胃もたれしないようにする方が重要なのだ。
















この場所の世界観に合う絵の美しさだった


マウルブロンを出発。


🔸 Baden-Baden(バーデン・バーデン)
紀元80年頃からローマ人によって温泉施設が造られた、由緒ある温泉保養地バーデン・バーデン。
「ヨーロッパの大温泉保養都市群」の一つとして世界遺産に登録されている。
「世界のスパ•タウン」(The Great Spa Town)
これは2021年にユネスコ世界遺産に登録された際のキーワードだ。
「ヨーロッパの夏季の首都」とか、「ドイツの温泉の都」とか華やかな呼び名がいっぱいだ。
「バーデン」は入浴するという意味のドイツ語だけれど、2回くり返すのは「バーデン地方のバーデン」という意味らしい。またスイスやオーストリアの温泉地にもバーデンという地名がある為、区別の為にこの名前になったそうだ。
疲れたVとは全く関係なく、バーデン・バーデンが今回の旅行の日程に組み込まれたのは、前述の通り。
Oは歴史ある浴場に立ち寄るのを楽しみにしていたようだ。またOは、どうせVは行きたがる筈はないと踏んでおり、自分の分の水着やサンダルだけしっかり準備していた。
旅行初日、早起きして出発し、途中でマウルブロンの観光もし、到着してからバーデン・バーデンの街を歩き回った日の夜、Vがクタクタになるのは目に見えている。
誰が外の浴場に行きたいものか‥‥
さて、Oが行きたがっていた歴史的建造物のフリードリヒス浴場は、着替え室は男女別でも浴場は混浴、おまけに全裸が決まりだそうだ。冗談じゃない‥‥


正面入り口

フリードリヒス浴場の隣りは元々修道院だった建物で、現在はギムナジウムとなっている。歴史ある場所に囲まれた名門校である。

「聖墳墓修道院附属学校ギムナジウム」
日本の中高一貫のような私立の進学校で、地域の名門校
ギムナジウムの隣りは、近代的な施設に造り替えられたカラカラ浴場である。


この浴場は1985年創設。新しい建物である。「カラカラ浴場」という名前は、西暦200年頃にこの地の温泉施設を拡げたローマ皇帝カラカラにちなんだものだそうだ。
約2000年前にローマ人がこの地方に最初の温泉施設を造り、その後カラカラ帝がより立派な施設を造ったという。


近代的な建物の外観を眺めてみても、この地の2000年の長い歴史に思いを馳せることもできず、
「ここは水着着用」
というOの現実的な話しか頭に残らない。
カラカラ浴場入口のすぐ横にある聖クリストフォロス教会。
1958年に造り直されたもので、現代的でモダン。
建物の後ろ側に中世の建物が一部残されている。






記念碑的に残されている

忙しい観光客の我々は、ホテル到着後、さっさと名所に向かう。
「トリンクハレが夕方6時までだから」
とOが話していた。それ以上の説明なしで急ぎ足だ。“トリンク”だから飲泉所かな?
天気が良く、街は賑やかだ。





市庁舎から南西に数百メートル程行った場所は、美術館や劇場が集まる一帯だ。緑の庭園の中のクーアハウスのカジノには、見学の観光客が続々と訪れる。
Oは見学だけで、カジノで遊ぶ気は勿論ない。
「だって、フォーマル着用だよ?!」と。
別にフォーマルで良いじゃないのと思うが、勿論持ってきてはいない。そして、服装云々よりも、カジノには全く縁がないO。










女優マレーネ・ディートリヒがそう称賛したことで有名






日本で言うクーアハウスはスパなどを示すが、こちらではコンサートホールやレストランのある湯治客の社交場であり、カジノでの服装はフォーマル着用が求められる。
2〜3週間のんびり温泉に浸かり、夜はお洒落をしてコンサートやカジノを楽しむ、これぞ我が家には無縁の娯楽‥‥
このカジノにはドフトエフスキー、トルストイ、ブラームス、リスト、と錚々たる面々も訪れたそうだ。
(ブラームスはバーデン・バーデンのホテルで夏を二度過ごし、音楽家たちと交流したことがあり、その後10年間滞在した。その家はブラームスハウスとして残されている)
カジノを出て、クーアハウス前の庭園を横切ると、ギリシャ風の外観のトリンクハレの建物がある。













建物内にはかつて飲泉所だった場所が残されていて(現在は飲用温泉としては提供されていない)、蛇口から出ている温泉で手を洗える。
柱が印象的な通路の壁面には、黒い森伝説のフレスコ画が十数枚並ぶ。こうしたフレスコ画が外気に晒されているというのも珍しく、逆に贅沢なことだと思う。建物の出入り口は夜間施錠されるが、庭園側からは壁面が常に見えるのだ。







通路の柱の横に座り、一休みして美しい庭を眺める人が何人もいた。観光客なのか住人なのか。
日常の中にこの建物と静かな庭園が当たり前のようにあり、そこでしばし時を過ごす。なんて贅沢なのだろう。








忙しかった一日、帰りはホテル近くのアジアレストランで、お寿司を何種類か頼み、食べ比べて満足する。
食べるのに夢中で、下の2品以外は撮り忘れた。

アジアレストランでは、巻き寿司は揚げられがち。
「これこそが洒落た巻き寿司だ」と思われている節がある。

この店はうどんSuppe(スープ)。具として浮いていた。
優しい味わいで美味。もっとうどんを入れて頂戴
部屋に戻ると、Oは浴場に行きたくてソワソワし始める。どちらに行こうか迷っているようだ。
ホテルは両方の浴場のすぐ近くなので、
「両方行ってくればいいじゃないの」
とOを送り出した。
結局、Oはフリードリヒス浴場だけ行って戻って来た。ぬるめの温泉やミストタイプのぬるいサウナはせっかちのOにはお気に召さなかったらしい。
勿論建物は素晴らしかったようだ。Vも内部を見たかったけれど、いくら温泉利用者であってもOは内部の写真は撮れず(当然だ)。

[全裸での混浴]に抵抗がある人はやはり多いようで、大変空いていたそうだ(入浴には薄い布が貸し出されるが、それをまとったところで、濡れるので丸見えだそうだ。またこの浴場は女性限定の日もあるとのこと)。
「女の人いた?」と一応聞いてみた。
「おばちゃんが少しいた。何も気にしてない感じだったよ。文化の違いだね」
とのこと。
「文化の違い」が「全裸で混浴」を解決するとも思えず、やはり水着着用でなければ、この浴場の入場者は減り続けるのでは?と勝手に心配する。
女性限定の日を増やすべきではなかろうか。
翌日朝食の後、散歩に出たところ、フリードリヒス浴場に、中高年の女性が何人か入って行くのが見えた。嫌ではないのだろう。或いは混浴とは知らない可能性もある。
カラカラ浴場の横を通ると、9時頃既に大勢の人が入浴し、外で寛いでいるのが見えた。
ローマ時代からの長い歴史のある場所、といくら考えても、近代的な施設であるので、特に何も感じないが、しかし皆さん、とても楽しそうである。
朝っぱらから温泉‥‥ゆったり、のんびりの旅が羨ましい‥‥
ホテル近くのカフェや菓子店、土産物店を眺めると、品物が何かとお洒落である。可愛らしさ、甘さのある雰囲気が、いかにもフランス的だ。









ここはまだドイツであるけれど、フランスに近い場所になると、随分お洒落度に違いが出る。
Vは孫たちへのプレゼントを買い込み、Oはケーキや焼き菓子を買い込んだ。

旅の2日目は、バーデン・バーデンを出発し、南仏アルザス地方へ向かう。
🔸ベルグハイム
バーデン・バーデンから車で1時間ほど走って、ベルクハイムに到着。
ベルグハイムは、2022年にテレビ番組の企画で*「フランス人の好きな村(Le Village Préféré des Français)」の第1位という栄誉を獲得した。
また、同じく2022年には、冒頭で前述したように、厳しい審査で知られる「フランスの最も美しい村(Les Plus Beaux Villages de France)」にも正式に認定されている。
現地の観光局などでは、ベルグハイムを「宝石箱の中の宝石(un joyau dans un écrin)」と呼ぶという。
葡萄畑に囲まれたその景観を「宝石箱」に例え、その中に保存状態が良い美しい中世の街並みが残っていることから、そう呼び表されるようだ。






Oはバーデン・バーデンのパティスリーで、焼き菓子と一緒にケーキまで買っていた。どこで食べるつもりなのかと思っていたら、休憩がてら、公園のテーブルと椅子のところで食べようということに。
『であれば、パティスリーの外テーブルで食べて来ても良かったんじゃないの?』と思う。
誰も急かしていないのに、自らを常に急かすOは、『お茶を飲んでいる暇に、早く出発せねば』としか思っていないのだ。


ドイツの住んでいる街では、繊細な優しい味の柔らかいケーキになかなか出会えないので、Oがつい買ってしまうのも理解はできる。
『その条件のケーキは、日本ならコンビニで買えるのに』という言葉は出さないでおこう。
美しい風景の中で食べたバーデン・バーデンのパティスリーのケーキはとても美味しかった。

ポストまで可愛い💕













かつての建物の役割がレストランの名前になっている
この建物は、かつてベルクハイムを統治していた代官の館兼事務所だったもの。伝統的な木組み建築が美しいこの建物は、単なる住居ではなく、この地方の行政や裁判をする場所だったようだ。
庭の席が一杯なので半地下へ。このスペースは、執行官が徴収した年貢としてのワインや自家製ワインの貯蔵庫だった場所を改造してレストランにしたもの。
店内は石造りの壁や立派な木の梁がむき出しになっており、当時の様子が感じ取れる。
独特の重厚感と隠れ家のような落ち着いた雰囲気があるレストランだ。





美味しいのでまた食べる






ワイングラスを掲げる人物と葡萄の木のデザイン。
文字が読めない人でもわかるように、と作られたのが始まり
アルザス地方のワイン街道沿いの町では、至る所でこうした美しい看板が見られる。
こうした鉄製看板はアルザス地方の象徴的な風景だ。これを制作している有名な場所が、ベルクハイムから30分ほどのミュンスター。
ミュンスター周辺には、伝統的な技法を守る熟練の鉄工職人の工房が点在しており、その中でも、画家ジャン=ジャック・ヴァルツ(通称ハンジ)のデザインの看板は非常に有名で、とても可愛らしい。







観光客が集まっていた








玄関脇の薔薇の絡み具合が完璧🥀






3種類買ってみたが、どれも美味だった







こうしたつる植物は、歴史的な木組みの家々の壁を彩るのによく似合う
これだけ町が可愛らしいにも関わらず、全く観光地化されていないこのベルグハイムの町は、何とも言えない居心地の良さ。
「あ〜😮💨さっきの家を買って住みたい!」
と騒ぐVに、
「スーパーもドラッグストアも何もないけど、どこまで買いに行くんだろうね」
と現実的なO。
「ジャムは2軒隣に沢山ある! 卵も売ってた!」
とぼやくVだった。






🔸リボヴィレ〜アルザスの真珠〜
葡萄畑を眺めている間に、ベルクハイムから5分で着いてしまった。
こちらも『フランスで最も美しい村』と認定された町だ。
ここは城壁で囲まれておらず、現代的な町の内側に、中世の建物が集中している感じだ。そして駐車場が全然ない。路駐はぎっちり、近くの小さめの駐車場はどこも一杯。
ナビで別の駐車場の候補を探すと、数百メートル離れた場所にゆったりと停められる空きが沢山あった。ただし坂の上だった。なるほど。









街は美しいものの、ベルクハイムと違い、似たような土産物屋ばかりあり、観光地化され過ぎている感じで、やや興醒めだ。Vの好みとしては、もう少し村っぽく素朴であってもらいたい。
ここで気づいた‥‥Vは前の町ベルグハイムで写真を撮りすぎた。バッテリーに接続していたのだが、そちらは既に使い切ってしまっていて、ゼロになっている😱

電池は、ワイナリーの「樽と荷車」の写真で終わった。Oのスマホも残り僅かだ。前の町が可愛いかったせいで、うっかり使いすぎてしまった‥‥
こうした世界遺産の町には、カフェやレストラン、土産物屋、パン屋、チーズ、肉屋、ワイン専門店などはあっても、それ以外の店はない。
高速充電できるモバイルバッテリーの類を買えるような店はまず存在しない。電気店もなく、勿論ボーダフォンショップなどは郊外の大型店(近隣には見当たらなかった)や、大きい町に行かなければない。
車での充電もできるので、ケーブルを差しっぱなしで使っているけれど、残量の変化はごく僅かで充電できているのかどうかも怪しいレベル。
ケーブルを車から持って来て、どこかのカフェやレストランで充電を頼むことも考えたけれど、何となく断られそうな気配がある。
車に搭載されている早口のドイツ語のナビは、使いにくくてOは最初から諦めている。画像もわかりにくい。 写真は別にもう撮らなくていいけれど、スマホはナビとして、なくてはならないのだ。
この日の宿泊場所リクヴィアまで、どうにか辿り着かなければならない。何より、車の規制がある世界遺産の城壁の町、ホテルまではナビがないと運転は難しい。
さあ、どうする?!
あ、Oのスマホも切れたって‥‥
後編に続く
