🌸早春のヴェネツィア⑤🌸〜ヴェネツィアを去る日〜
ヴェネツィア最終日となった。嘆いても仕方がない。黙々と荷物を整理する。
帰る前に、もう一度サルーテ教会に行きたいとOに話してあった。
ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅まで行く1番のヴァポレットのルートの途中であるので、寄るにも都合が良い。






目の前の船着場に荷物を置いて、Oと交代で再び見学する。


サルーテ教会内部に足を踏み入れると、静謐な空間が広がる。
この大きな円形(八角形)の空間は、ロトンダ(Rotonda)と呼ばれ、円形建築を意味する。
サルーテ聖堂の大きな特徴である。
幾何学模様の大理石の床に目をやると、主祭壇の方向へ導かれる。


ジュスト・ル・クール『ペストからの救済』
主祭壇中央の彫刻は、サルーテ教会の建立の理由を象徴する。
ここは、ヴェネツィアで猛威を振るったペストが1630年に収束した際に、共和国は神への感謝を込めて、この聖堂を建立したと言われる。

中央のキリストを抱いた聖母マリアは、《ヴェネツィアの守護者》として、ヴェネツィアを救う力強い姿が表現されている。
向かって左側は、《ヴェネツィア共和国》が貴婦人の姿に擬人化され、跪いて祈っている。
向かって右側の逃げ出す老婆は、《ペスト(黒死病)》が擬人化された姿。聖母の救済の力に恐れをなして、追い払われたペストの象徴だ。

聖堂に入って右側の祭壇に、聖母マリアの生涯をテーマにした、ルカ・ジョルダーノの3枚の連作が並ぶ。

光に包まれて、天に昇っていく聖母マリア



聖堂入り口から左側の祭壇には、ティツィアーノのドラマチックな『聖霊降臨』がある。


『パドヴァの聖アントニオに祈るヴェネツィア』

このサルーテ教会でも、ティツィアーノの「聖霊降臨」や天井画は有名である。
しかし、連作が並ぶルカ・ジョルダーノの絵画の多さを眺めると、彼が祭壇を飾るのに相応しい画家として、いかに重要な位置を占めていたかがわかる。教会からの求めに応じて、数多くの絵画を完成させていたのだろう。
ティツィアーノが生きていた間は絶対的な権力があったが、その後の時代、ルカ・ジョルダーノのような速く描ける画家たちが重宝される時代が来る。
ルカ・ジョルダーノはLuca Fapresto 「早描きのルカ」と呼ばれていたという。
彼の父親が「ルカ、早く描け(Luca, fa presto!)」と急かし続けていたことが由来で、父親は息子に次々と作品を仕上げさせ、稼ぎを増やそうとしていたそうだ。
ヴェネツィアの教会は巨大で、画家が祭壇画だけでなく天井画や壁一面をぎっしりと埋める為には、相当に長い年月が必要となる。
「上手く描く」のは勿論であるが、「速く描く」というのも、画家の重要な要素であったのだろう。
絵の具が乾くのを長い期間待っていた、という逸話があるティツィアーノのようなタイプは、絶対的な実力者であると同時に、いつ完成するかわからない画家、というリスクも孕む。
Vが二日目に訪れたサン・ロッコ大聖堂の壁画を描くのに、ティツィアーノは20年の歳月をかけている。
慎重に製作を進める巨匠ティツィアーノに対して、「速く描けて上手い」ルカ・ジョルダーノはさぞかし重宝されたことだろう。コスパが最高だ。
また速いだけではなく、ルーベンスやデューラーらの模倣も上手かったという。
Vは、巨匠ティツィアーノのこだわり抜いた歳月と、その後の時代のルカ・ジョルダーノの圧倒的な生産性、というものを想像する。
それらが渾然一体となって、サルーテ聖堂の空間に、ヴェネツィア美術のダイナミズムを創り出している。





ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅に到着する。
去りがたい気持ちは大きいものの、いかんせん荷物が重すぎる。早く車に積んで身軽になりたい方が先で、悲しんでいる余裕がない。



メストレの駐車場に到着して、駐車場のおじさんにお礼を言い、重い荷物を積み込み、清々とした心持ちになる。
パドヴァに向けて出発して、変わりゆく車窓の風景を眺めながら、Vはヴェネツィアを去るのだと実感し、悲しみに襲われる。
メストレの風景はいつもグレーに霞んでいる。
ヴェネツィア編 —完—
「番外編 パドヴァ郊外の街 ピアッツオーラ・スル・ブレンタの蚤の市 ①」に続く
【あとがき】
完成間近であったヴェネツィア編④、⑤が消える、というトラブルに見舞われ、先に気楽に仕上げてあった、番外編パドヴァ①②を先に投稿致しました。
順番が変わり、読みにくく大変申し訳ありません。
それぞれが長く、お読みいただいた方々、大変お疲れ様でした。
書き直して、消えたものよりも多少丁寧に書き込んでみました。
ヨーロッパ旅行をなさる方々、是非ヴェネツィアまで足を伸ばしてみてください。
普遍的な魅力のある街です。
