ほっこり顔のこだまさん(50)が教えてくれた
物心ついた頃にはすでにプラレールの洪水の中にいた。
鉄道好きの兄がいたからだろう。
裕福なおじさんちに、鉄道好きの従兄弟がいたのも大きい。
大量のプラレールを持っていた従兄弟は、小1で鉄道模型(Nゲージ)に移行し、一畳ほどもある大きなレイアウトを作ってNゲージを走らせた。
僕もNゲージに移りたかったが、親の経済力の差が如実に出る。
そうしてうちは従兄弟が不要になったプラレールの受け皿となった。
最盛期には8畳間にくまなく線路を張り巡らしてもまだなお余るほどのプラレールの洪水。
駅を作り、町を作り、道を作ってトミカを置いた。
プラレールは電池を入れれば自動で動くが、それはしなかった。
兄と作った時刻表に従って、手で動かすのが楽しかったからだ。
そんなプラレールも遊びすぎてボロボロになり、次第に数は減っていった。
一時は絶滅寸前までいったが、30年の時を経て、長男と次男が鉄道に目覚め、また徐々にプラレールが充実していった。
でもほんの少しだけ、僕が遊んでいたプラレールの生き残りが今もいる。
指折り数えてみれば、もう50年の骨董品ということになる。
おもちゃ箱から引っ張り出したのは、151系ビジネス特急〈こだま〉だ。

座席もなければ、窓も枠だけ、そして車輪も黄色。
現代版のプラレールが可能な限りリアリティを追求しているのに対し、50年前のものはそんな意識のかけらもない。
でもそれでよかったのだと思う。
子供がプラレールに求めるのは現実? いや、途方もない夢だ。
ならリアリティなんて鉄道模型に委ねてしまえばいい。
息子たちはその後プラレールを卒業し、Nゲージに移行した。
余ったNゲージの線路を少しもらって作ったのが、以前も紹介したことのあるジオラマだ。

タイトルは〈鉄道建設で敷地の一部を削られた屋敷〉。
社会が手に入れた便利に潜む「影」を描きたくて、たった3cmほどの線路に現実を語らせた。
ジオラマの完成度はまずまずだが、風刺効かせすぎでない?
プラレールで育んだ夢も大事――
ほっこり顔のこだまさん(50)が教えてくれた。
ちなみにこのジオラマの製作工程はこちらの記事に詳しい。
(2022/9/12記)
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