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視覚障害者が一番困っているのは、実は「人の目」かもしれない

視覚障害のある方が外出するとき、何が一番大変だと思いますか。

段差。点字ブロックの上の障害物。音の鳴らない信号機。そういった物理的なバリアを想像する方が多いと思います。私もこの仕事を始める前はそうでした。

でも、利用者さんと一緒に街を歩く中で、何度も聞いた言葉があります。

「街の構造よりも、人の目が怖い。」

「じろじろ見られる」という体験。

白杖を持って歩いていると、視線を感じることがあると、多くの利用者さんが話します。

好奇の目。哀れみの目。「何かしなくていいのかな」という戸惑いの目。あるいは、関わりたくないという気持ちが滲み出た、目を逸らす動作。

「見られている」という感覚は、外出への心理的なハードルを確実に上げます。目が見えなくても、人の視線は空気感として伝わってくる。周囲がざわつく感じ、自分に注目が集まる感じ——それがわかるからこそ、外に出ることが怖くなっていく方がいます。

ある利用者さんはこう話してくれました。「電車に乗ると、隣の席が空いていても誰も座らないことが多い。白杖を持っているから、関わると面倒だと思われているのかもしれない。それがじわじわとつらい」と。

悪意があるわけではない。でもその積み重ねが、外出への意欲を削っていく。

「助けてもらえない」という体験。

視線を感じるのに、いざ困ったときには誰も声をかけてくれない——そういう矛盾した体験も、よく聞きます。

見ていることはわかる。でも動いてくれない。「助けようか迷っているんだろうな」という空気は伝わってくる。でも誰も来ない。結果として自分でなんとかするしかない。

「じっと見られながら、誰にも助けてもらえない状況が一番きつい」という言葉が、私の中に残っています。

これは見ている側を責めたいわけではありません。「どう声をかけていいかわからない」「迷惑かもしれない」という気持ちが、行動を止めているんだと思います。でも結果として、視覚障害のある方は「見られているのに、透明人間のようだ」という感覚を持つことがある。

「かわいそう」と思われることへの複雑な気持ち。

助けてもらえないことの逆に、「過度に助けようとされる」という体験もあります。

何でもかんでも手を出される。「これもやりましょうか」「あれも大変でしょう」と先回りされる。本人がやろうとしていることを取り上げられてしまう。

善意からの行動であることはわかる。でも「自分ではできない人」として扱われることへの違和感は、積み重なっていく。

「かわいそうな人」として見られることと、「普通の人」として接してもらえることの間に、大きな差があります。視覚障害のある方が求めているのは、多くの場合「特別扱い」ではなく「必要なときに必要なサポートをしてもらえること」です。

ある利用者さんが印象的なことを言っていました。「目が見えないこと以外は、普通の人間なんです。でも白杖を持った瞬間に、全部ひっくるめて『障害者』になる感じがする」と。

「迷惑をかけている」という感覚との闘い。

外出することへの心理的なハードルは、周囲の目線だけではありません。視覚障害のある方の内側にも、葛藤があります。

「周りに迷惑をかけているんじゃないか」という感覚です。

混雑した駅で立ち止まることで後ろの流れを止めてしまう。店員さんに余計な手間をかけさせてしまう。ガイドヘルパーに時間を使わせてしまう。そういった「申し訳なさ」が、外出への意欲を内側から削っていきます。

「本当は出かけたいけど、自分のせいで誰かが不便になるかもしれないと思うと、家にいた方がいいかなという気持ちになる」——この言葉を聞いたとき、私は深く考え込みました。

制度があって、使えるはずで、支援する人もいる。それでも外に出ることをためらわせる「気持ちのバリア」が、確かに存在している。

心理的バリアは、物理的バリアより根が深い。

段差はなくせる。点字ブロックは整備できる。音響式信号機は設置できる。物理的なバリアは、お金と意志があれば変えられます。

でも「人の目」は、すぐには変えられません。社会の意識が変わるには時間がかかる。一人ひとりの中にある無意識の偏見や戸惑いは、制度や設備では解決できない。

だからこそ、「知ること」が大事なんだと思っています。

じろじろ見てしまうのは、知らないからです。どう接していいかわからないのは、学んでいないからです。距離を置いてしまうのは、慣れていないからです。

知れば、変わる。慣れれば、自然に動ける。

では、どう接すればいいか。

難しく考える必要はありません。ポイントはひとつだけです。

「視覚障害がある人」として見るのではなく、「困っているかもしれない人」として見る。

これだけで、行動が変わります。

白杖を持っているから特別扱いするのではなく、困っていそうなら声をかける。普通に歩いているなら普通に接する。それだけでいい。

声をかけるときは「何かお手伝いしましょうか」の一言で十分です。断られたら「失礼しました」と引けばいい。助けを求められたら、腕を差し出して「どうぞ」と言えばいい。

「うまくやらなければいけない」と思う必要はありません。完璧な対応より、声をかけようとする気持ちの方がずっと大事です。

「普通に話しかけてほしい」という、シンプルな願い。

ある利用者さんが、最後にこんなことを言ってくれました。

「特別に優しくしてほしいわけじゃないんです。普通に話しかけてほしい。普通に笑いかけてほしい。視覚障害があるというだけで、人が変な距離をとることが一番しんどい。」

この言葉が、全てを表していると思います。

街のバリアフリーを整えることも大事。制度を広めることも大事。でも最終的に視覚障害のある方が「外に出てよかった」と思えるかどうかは、街の構造よりも、そこにいる人たちの接し方で決まる部分が大きい。

あなたが今日から変えられることがあるとすれば、建物でも制度でもなく、視覚障害のある方への自分自身の「目線」です。

じろじろ見るのではなく、必要なときに自然に声をかけられる人が増えること。それが、視覚障害のある方が「また外に出たい」と思える社会への、一番の近道だと私は思っています。

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