逆風のなかの果実 ~第二十章~
最終回: 逆風のなかの果実

果樹園は、まるで生命の息吹に満ちた楽園のようだった。
しかし、その美しさの裏には、厳しい自然環境という過酷な試練が潜んでいる。
耐え忍ぶ作物たちは、生命の力強さとたくましさを秘めているが、そこに抗いようもない強風が突如として襲いかかってきた。まるで自然が怒りを爆発させるかのように、樹木は揺れ動き、果実たちは風に翻弄されながら、必死にその存在を主張していた。
私たちは、果実を守るために力を合わせ、手を伸ばし、心をひとつにして、樹木を支え続けた。
果実たちの未来を信じ、何としてでも守り抜くという決意が、荒れ狂う風の中で響き渡った。
樹木自身も、力強く根を張り、強風に立ち向かった。まさに生命の力強さそのものだった。
それは、見る者の心を打ち、私たちの思いが一つになった瞬間だった。
強風が去った後、静寂が訪れた。
樹木は見事に実を結び、その実りは、樹木自身の生きようとする意志の強さと、それを支えた多くの人々の力の結晶であった。
しかし、その甘美な実の裏には、散り落ちた葉や折れた枝が、樹木に深い傷を残していた。
目に見えない無数の傷は、次の年に静かに忍び寄るダメージの予兆であった。
次の春、再び花が咲く時、果樹たちがその美しさを取り戻すことができるのか。
自然の厳しさに抗い、再生の力を信じて、私たちはその瞬間を待ち望む。
果樹たちの強い意志と、私たちの支え合いが、再び新たな希望の芽を育むことを願って。
取り戻した「緑農祭」
11月のある晴れた日、生徒会長の谷口は特別な決意を胸に登校した。
その日、教育委員会から取り戻した「緑農祭」が開催される日だった。
オープン前から、地域の人々は生徒たちが実習で育てた野菜や加工品を求めて長い行列を作っていた。
農業研究部のあかね、ゆうな、さくらの三人は、待ち望んだ新入部員である1年生5人と共に忙しく準備に追われていた。
畜産科の横瀬も朝の搾乳作業を終え、ミニ動物園で園児たちを迎える準備に余念がなかった。
各学科の販売ブースは、中央のステージを囲むように配置され、祭りの雰囲気が一層高まった。そして、待ちに待った9時、オープニングセレモニーがスタートした。
通常、農業の指導主事である津田が来賓として挨拶をするのが慣例だったが、今回は農産物販売禁止騒動の影響で出席できるはずもなく、教育委員長の八木が代理で臨席した。
上席が代理で出席するのは異例中の異例であった。
和田校長と八木教育委員長の挨拶の後、いよいよ谷口が生徒を代表してマイクの前に立った。
手には、農場長の磐田がチェックした原稿がしっかりと握りしめられている。谷口は、まず「緑農祭」が無事に開催できたことへの感謝の言葉を述べ、来賓や来場者への歓迎の気持ちを伝えた。
谷口の想い

そして、彼は深呼吸をし、こう言った。
「ここまでが先生から教わった挨拶です。しかし、ここからは私の思いを自分の言葉でお話しさせていただきます」
そう言って、原稿をポケットにしまった。
「私たちは、今年の4月からの3ヶ月間、未曾有の事態に直面しました。その時、私たちが学んだのは、自分の気持ちを自分の言葉で伝えることの大切さです」
谷口の言葉が会場に響き渡ると、ざわついていた空気が一瞬静まり返った。
続けて彼は、
「将来、農業に携わる者として重要なのは、社会的な実践力です。そして、食料を生産すること、つまりは人々の生活を支えるためには、高い倫理観と正義を貫く強い意志が求められます。今回の騒動を通じて、私たちはそれらを学ぶことができました」
谷口の力強い言葉に、会場からは大きな拍手が沸き起こった。
八木はその様子を見て、少しばつが悪そうに汗を拭った。
大騒ぎの「緑農祭」
感動的な瞬間はここまでで、そこからはいつものドンチャン騒ぎの喧しい「緑農祭」が始まった。
生徒たちは大声で笑い、教師たちも生徒と一緒に走り回っていた。
この様子を本部席で眺めていた磐田は、農産物販売禁止の方針撤回が実現できたことに安堵しつつ、少し感傷的な気持ちになっていた。

2日間にわたる「緑農祭」は大成功のうちに終わった。
しかし、磐田たちの本当の忙しさはこれからだった。
県の財務規定に従い、販売で得た収入はその日のうちに集計し、所定の書類を提出しなければならない。
最後の来場者を見送った後、すぐに会場の片付けを始め、生徒たちは解散した。
生徒が下校したのを確認した後、磐田は各部門の担当者を集め、売上の集計作業が始まった。
野菜は100円単位で販売されていたため、大量の小銭を数えるのは大変だったが、心地よい疲れを感じていた。
必要な書類を作成し、あとは校長の決裁印をもらうだけとなった。
しかし、和田校長をつかまえられなかった。
応接室に灯りがついていたので、おそらく、来場者の誰かと打ち合わせをしているのだろう。
緑農祭の日に来客なんて、と思ったが、磐田は事務処理を早く済ませたかったため、太田教頭を探し出し、代決をお願いすることにした。
農産物販売における会計処理は即日処理が原則であるため、緑野農業では校長が不在の際には教頭が代決できることになっていた。
財務課の狙い
太田教頭の印をもらって書類を事務に提出した磐田は、ふとあることに気づき、資料室へと急いだ。
「前川さん、ちょっと手伝ってくれ」と声をかけた。
「えーっ、まだ働かされるんですか」
と言いつつも、彼女はまんざらでもない表情でついてきた。
「やっぱりそうだ」と磐田がつぶやく。
「やっぱりって、何がやっぱりなんですか?」
「前川さん、これを見て」と言いながら、資料を指さした。
「食品加工科のパンの販売会の書類、こっちはジャムの販売の書類。どちらも起案者は楠木で、決裁者は太田教頭。きっと二人はグルで、パンやジャムを販売したとき、販売数を過少申告して、太田教頭が決裁をする。ああ見えて和田校長は細かいから、小麦の量に対してパンの数が少ないことに気づいてしまう。ましてや、計画にない販売会ならなおさらだ。でも、太田教頭がグルなら、バレずに書類を回せるんだよ。」
「たぶん財務課は、俺たちよりも早く、この不正に気づいていたのかもしれない。ただ、公になるといろいろと面倒だから、教育委員会に便乗して、明るみに出る前に予算をカットして、そもそも販売できないようにしようとしたんじゃないかな。そして、この件をうやむやにしてしまおうと。でも、俺たちが農産物販売禁止の方針撤回を勝ち取ったことで、この計画がながれてしまった。そして、これから大変になるよ、ってあの発言につながったんだよ。」
前川が、
「たしかに、あれだけ販売実習の意義を声高らかに発信しといて、当の本人たちが、実はその販売した収入を着服していたって聞いたら、世の中は黙ってないですよね」
「でも、谷口の昨日のあいさつを聞いたでしょ」
「高い倫理観と正義を貫く強い意志ってやつですよね」
「そう、だから、どんなに困難があろうとも、やっぱり俺たちは正しいことをしなきゃいけないんだよね。今回のこともしっかりと調べて、正すべきところは正さなくっちゃ。たとえ、どんなに批判されてもね。だから、しっかり証拠を探そう。探せば、もっと出てくるかもしれない。ただ、ここにある書類は保存期間5年だから、知られると、書類を破棄される可能性がある。ある程度証拠が固まるまで口外しないようにしよう」
この言葉に、前川は真剣な表情になり、二人は書類の山から小さな証拠を探し始めた。

11月に不正を疑い、調査をはじめた磐田と前川だったが、通常業務をこなしながらの証拠集めは、以外と時間がかかった。1月になると入試や成績作成、卒業式の準備と忙しくなり、ある程度、証拠が揃ったのが、高校入試が終わった三月下旬だった。
緑野農業高校の闇に光を当てる時がついに来た。
磐田と前川は集めた資料を手に校長室へと向かう。
最後の訴え

「校長、この資料を見てください。太田教頭と楠木が農産物販売の売り上げを着服していた証拠です。1回の金額は小さいかもしれませんが、チリも積もればで、総額は結構な額になりますよ。これはれっきとした犯罪であり、生徒への裏切り行為です。」
校長は眉をひそめる。
「確かに、それは深刻だね。でも、私はこの資料を見たことがない。」
「そうなんです。校長が見ると、すぐにバレてしまいますから。だから、校長が出張や不在の時に、太田教頭が代決をする仕組みなんです。もともと計画にない販売会ですから、書類をいつ回しても気づかれないのです。」
「でも、本人たちから聴取し、報告し、生徒にも説明するとなると、かなりの時間がかかるね。彼らが簡単に認めるとも思えないし、今回の件を利用して『冷蔵庫の電源が落ちていたので、安全を考慮して小麦は廃棄しました』なんて言い出すかもしれないしね」
磐田が
「えぇ、私たちには時間がありません。だから和田校長が。」
といって、和田に迫った。
しかし、和田は、
「実は、私にはこの問題に向き合う時間がないんだ。この原乳出荷事故で県に損害を与えたことは間違いないし、誰かが責任を取らなければならない。だから、退職まであと1年残っているけれど、辞めることにした。この件は次の校長に引き継いでおくから、新しい校長に取り組んでもらおう。それについては…」
和田は何か言おうとしたが、言葉を飲み込んで、
「頼りない校長だったけど、本当にありがとう。」
とだけ言った。
新たなスタート、そして入学式
4月、磐田は白衣をまとい、実験室にいた。異動した学校では、生物工学や植物バイオテクノロジーを教えることになった。
後藤や前川もそれぞれ異動先で新たな挑戦を始めていた。
そして、緑野農業高校の入学式。今年も希望に満ちた新入生たちが、目を輝かせながら式に臨んでいた。
「新入生のみなさん、ごにゅうが…ごにゅうがっ!」
「カミカミじゃない。もうちょっとリラックスしたら」
と、ゆうなとさくらが笑って冷やかす。
緑農祭での谷口のあいさつに感動したあかりは、新生徒会長になった。
彼女は歓迎のあいさつを自分の言葉で伝えようと必死だった。
入学式が始まり、新しい校長が壇上に立った。
「みなさん、ご入学おめでとうございます!保護者の皆さまにも心よりお祝い申し上げます。私は、4月から、この伝統ある緑野農業高校に赴任しました、校長の川端です。」

