「ヤングケアラーの現実➖第1話 子どもが背負う責任と必要な支援ー小さな手で握るおにぎりの物語」
全て経験したことを書いています。
離婚に伴い子どもがヤングケアラーにならざるを得なかった話しです。
15年以上も前の話しですが、どこに、助けを求めていたのか、当時のことを書いています。
私たち親子と同じように苦しんでいる方、支援する方々の参考になれば幸いです。
「はい。ママこれ作ったよ。」
当時、小学4年生の長女が小さな手で握ったおにぎり2個。
ハンカチに包んで渡してくれました。
おにぎりはワカメとシソのふりかけ。
それと、冷たい桃の紅茶も水筒に入れて。
これは、
私が大学に行く時に、お昼ごはんにいつも持って行っているものでした。
長女はそれを見ていたようです。
その日は、大学に行く最後のスクーリングと決めていました。
大学には、地域に必要な居場所づくりをするために、勉強して資格を取るために通っていました。
離婚をするので、通信とはいえ一旦諦めることにしたのです。
その日最後の大学では、長女の作ってくれたおにぎりが私のお守り。
お昼に子ども達の顔を思い浮かべながら、大切に食べました。
それからです。
長女は、5歳年下の次女のお世話を進んでするようになりました。
お風呂に一緒に入って、髪の毛を乾かして、パジャマにお着替え。
仕上げみがきもしてくれました。
朝になると、次女と一緒にご飯を食べて、着替えて、歯磨きをして、次女の髪の毛を可愛く結んでくれていました。
幼稚園では、
長女は先生方から「小さなママ」と呼ばれるようになりました。
その頃約15年前には、「ヤングケアラー」という言葉はありませんでした。
幼稚園の先生方も知りません。
私は、先生方のその言葉に違和感しかありませんでした。
「もし、気がついたならなぜ私たち親子を助けてくれないの?娘は小さなママになりたいわけじゃない。」
そんなふうに、心の中で世の中との感覚のギャップに益々疎外感を感じました。
「あー、かつていた世界とは、今は、全く違う世界に生きている。」そう思いました。
次女が通うのは、長女も卒園した同じ幼稚園。しっかり者で大人っぽく優しいお姉さん的存在の長女が、妹のお世話をすることに、先生方には全く違和感はなかったのです。
でも、今は違う。
そんな余裕のある生活ではない。
親子3人とも生きることに不安を抱えて、生きることに必死。
私は離婚調停と職場の理不尽で、既に限界を超えていました。
私のエネルギーは、離婚調停と、職場のパワハラ対応以外に使うことができなくなりました。
家にいる時は、ほとんど寝たきりのようになりました。
髪の毛も抜けてしまいました。
起き上がって家事をしたり、子どもの幼稚園の送り迎えもできなくなりました。
長女が当時抱えた重荷、
そして、強さと思いやり、
本当は甘えたり遊んだり楽しいことがしたい子どもらしさ、
それらを全てまるごと包み込んで、
本来の長女らしい生活を保障するものが必要でした。
長女は次女のお世話をし、自分の支度もしてから学校へ行っていました。
そんな長女もいずれ限界になり、私の元から飛び出して、私の実家で合計して約2年間家出状態で過ごすことになったのです。
そうなる前から様々な助けを求めていました。
ようやく見つかった社会資源(ひと、場所、こと、制度など)、そのうちたった一つだけ、それから8年間つながることができました。
次回【実体験2話】に続きます。
当時の離婚については、よろしければこちらをご覧ください。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
私が目指しているのは、孤立のない共生社会の実現です。
