濁った水は、あとから透明にならない。
その一言は、思いのほか静かだった。
「こちらの処理ですが、判断の根拠はどこにありますか?」
決して責める口調ではない。
淡々とした事実の確認。
それでも、胸の奥がひやりとする。
資料をめくる手が止まる。
頭の中で、過去の処理を必死にたどる。
前任者から引き継いだやり方だったこと。
ひどく忙しい時期だったこと。
「これまでもこれで問題なかったはず」という感覚。
でも、感覚は根拠にはならない。
今この場で、第三者に論理的に説明できるかどうか。
そこが問われている。
そのとき、わたしは痛感した。
濁った水は、あとから透明にはならない、ということに。
自分のデスクでたった一人、日々の判断の理由を静かに書き残す。
そのほんの少しの手間を惜しめば、記憶は時間とともに川底へ沈み、泥と同化していく。
いざすくい上げようとしても、後からでは決して透き通った根拠には戻らないのだ。
ただ―― 今回の指摘は、幸いにも修正可能な範囲だった。
金額も限定的で、対応も明確。
隠していたわけでも、悪意があったわけでもない。
足りなかったのは、記録と整理。
ただ、それだけだった。
拍子抜けするほど淡々と、そのやり取りは終わった。
けれど、わたしの中には小さな、でも確かな衝撃が残った。
「ああ、ここの流れが弱かったんだ」
それは、責められたという感覚ではない。気づかせてもらった感覚だった。
もし、この処理がこのまま積み重なっていたら。
もし、曖昧な判断が「うちの慣習」として定着してしまっていたら。
いつか、もっと大きな問題という濁流に育っていたかもしれない。
修正できるうちに見つかった。
それは決して不幸なことではない。
むしろ、会社の信用を守るための、静かな転換点だったのだと思う。
調査官は、こちらの川を理不尽に壊す人ではない。
流れが浅くなっている場所を、静かに示してくれただけだった。
税務調査は、川を濁らせるものではない。
致命的な濁りが広がる前に、それを教えてくれる時間なのかもしれない。
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