戦争が終わっても、終わらないもの
初めてベトナムを訪れたのは、もう随分前のことになる。
ベトナム南部最大の都市、一般的には「ホーチミン」と呼ばれる場所。
けれど私は、ベトナム建国の父であるホー・チ・ミン氏への敬意を込めて、今でも「ホーチミンシティ」と呼びたいと思っている。
その旅で、どうしても気になっていた場所があった。
戦争証跡博物館だ。
ここは、旅人の間でも「行くべきかどうか」が分かれる場所かもしれない。
重すぎる、つらすぎる、気分が沈む――そんな感想も少なくない。
だから、ひとりで行くつもりでいた。
ところが旅仲間たちに話すと、
「私も行きたい」
「せっかくだから一緒に行こう」
となり、3人で向かうことになった。
館内には、戦争の記録が並んでいる。
私たちは戦争を体験していない世代だ。
だから、記録で辿るしかない。
写真。
文章。
兵器。
そして、人々の傷跡。
そこにあったのは、単なる過去の“歴史資料”ではなかった。
日本ではおそらく一般公開されないほど、生々しい展示も多い。
目を背けたくなるような現実もある。
それでも、見なければならないものがある、と感じた。
偶然、日本人写真家による企画展も開催されていた。
写真の前で静かに涙を流す人がいる一方で、なぜか大笑いしている集団もいた。
同じ展示を前にしても、人の受け取り方はこれほど違うのかと、人間の持つ複雑さに不思議な気持ちになった。
順路を進んでいくと、テーブルの上にノートが置かれていた。
来館者がメッセージを残す場所らしく、横にはスタッフらしきおじさんが座っている。
私が平和への願いを書くと、そのおじさんは私を見て、静かに話しかけてきた。
「あなた、日本人でしょう」
そして、こう続けた。
「日本も我々と同じです。広島、長崎で苦しみを経験した」
責めるでもなく、感情的になるでもなく。
ただ静かに、事実として語る声だった。
館外へ出ると、片腕を失った男性がお金を無心してきた。
戦争は、終われば終わりではない。
傷は残る。
人の身体にも、暮らしにも、記憶にも。
何十年という歳月が流れても、日常の中に組み込まれたまま、今もどこかで確実に続いているのだ。
旅先で見た景色は数え切れないほどある。
美しい街並みも、美味しい食事も、楽しい思い出もたくさんある。
それでも、あの日の空気と重みは今でも忘れられない。
本当の意味で、誰もが平穏を取り戻せる日が来ることを。
ただ、願わずにはいられない。
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