他者へ思いを馳せる余白
インフルエンザによる高熱で喉や関節が痛い時、大きな課題の締め切りに追われて身動きが取れない時など、自分の中に他者へ思いを馳せる余白が少なくなることがある。
揉めごとに巻き込まれ、今年は心の動きを感じにくい時期があった。感情は取り戻したものの、つい最近まで自分の中の余白は減ったままだった。具体的には、困っている人を見かけて身体が動くまで、ちょっとしたタイムラグがあった。加えて、身体は動いても心がついてこないこともあった。
ここ数日、マイクロアグレッションに関する本を数冊読み進めている。マイクロアグレッションとは、「その意図の有無にかかわらず、特定の人や集団に対する偏見から生まれる、否定的な表現」を指す。
例えば、以下のようなものがある。
・(男の子を見て)「男の子だから遊び方が乱暴だ」
子どもの行動を性別によって自然なものと見なす一方で、「男の子=乱暴」「女の子=おとなしい」といった固定的な性別役割を無意識に強化している見方です。結果的に乱暴な行動が容認される素地にもなります。
・(正社員に対して)「そんなことは派遣社員にやらせておけばいい」
業務の効率化や分担の一環としての言葉に見えて、無意識のうちに派遣社員を「正社員よりも下の存在」とみなし、責任のない雑務を任せる対象とする、偏った視線が含まれています。
・(年配者に対して)「ご高齢なのに一人で買い物できてえらいですね」
「高齢者=支援が必要」という先入観からくる発言です。本人はふつうに暮らしているのに、一方的に「できない人」と見なされ、幼児をほめるように評価されています。
今日も書籍を読んでいたら、「なんだこれ」という小さな怒りが湧いた。示されていた具体例は、属性で判断される、ましてや勝手に作られた属性の枠に入れられることを好まない私にとって不愉快なものだった。そして、「何とかしたい」という気持ちが湧いた。
これは何事か、と驚いた。ここしばらくは、自分の困りごとばかりに目が向いていたのに。もしや自分の中に余白が戻りつつあるのかもしれないと感じ、もう一度驚いた。今の自分が困っていることではないのに、「何とかしたい」と思うだなんて。自然に湧き上がるこの感覚は、いつぶりだろう。
さて、この「何とかしたい」はどうしたものか。
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