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中世フランス 〜王国の誕生と百年戦争〜

フランスを歩いていると、重厚な石の城、空を突き刺すような尖塔の大聖堂、入り組んだ小道に出会うことがあります。そこには、中世という時代の痕跡が静かに残っています。

ローマ帝国の終わりからルネサンスが始まるまで、およそ1000年にわたる長い時代。フランスはその中で、王国という形を模索し、揺れながらも少しずつ“ひとつの国”として形を整えていきました。

この章では、中世フランスのはじまりから百年戦争の終わりまでを、旅するようにたどっていきます。


1: 王国のはじまり-カール大帝とユーグ・カペー

5世紀末の西ローマ帝国崩壊のあと、フランク王国が誕生します。800年にはカール大帝(シャルルマーニュ)がローマ皇帝として戴冠し、西ヨーロッパに広がる大帝国を築き上げました。
しかし、その王国はすぐに三分割され、西フランク王国が現在のフランスの原型になります。
やがて987年、ユーグ・カペーが王に即位。この即位が、いわゆる「フランス王国」の始まりとして記憶されています。彼の血統はカペー朝として続き、のちのヴァロワ朝、ブルボン朝へと繋がっていきます。

2: 王様なのに、力がない? 中世初期のフランス

フィリップ2世が整備したパリの城壁跡

ユーグ・カペーが王になったといっても、その支配はごく限られたものでした。王の直轄地はパリとその周辺程度で、フランスのほとんどの土地は、ノルマンディー公やブルゴーニュ公、トゥールーズ伯などの強大な貴族たちが実質的に治めていたのです。
そんな中で登場するのが、12世紀末のフィリップ2世(フィリップ・オーギュスト)。イングランド王ジョンとの戦いに勝ち、多くの領土を取り戻すことで、フランス王の実力を一段と高めました。
フィリップ2世が整備したパリの城壁跡や、かつてのルーヴル城砦は、今も当時の面影を残しています。

3: 教会の力と、知の広がり

中世のフランスでは、カトリック教会が政治や経済だけでなく、文化や教育の中心でもありました。
ブルゴーニュ地方のクリュニー修道院は修道運動の中心として名を馳せ、シトー会は質素さと労働を重んじる精神でヨーロッパ中に影響を与えました。
12世紀には大学が誕生し、特にパリ大学は神学・哲学・法学の中心地として、多くの知識人を育てます。ここではトマス・アクィナスらがスコラ哲学を体系化し、知の体系が築かれていきました。
パリのソルボンヌ大学旧校舎やクリュニー修道院跡を訪れると、そうした知の風景を今でも感じ取ることができます。

4: 空へと伸びる信仰-ゴシック建築の誕生

12世紀以降、中世フランスを代表する建築様式「ゴシック」が誕生します。
高く尖ったアーチ、光あふれるステンドグラス、空に向かってせり上がるような塔。ゴシック建築は、人々の信仰心をそのまま建物に写し取ったような存在でした。
代表的なのがシャルトル大聖堂、アミアン大聖堂、そしてノートルダム・ド・パリ。どの大聖堂も、信仰と王権の象徴として、都市の中心にそびえ立っています。

5: 騎士と十字軍の時代

11世紀後半、フランスは十字軍運動の中心となりました。
1095年、クレルモン公会議で教皇ウルバヌス2世が第一回十字軍を提唱。聖地奪還を目指し、多くのフランスの騎士たちが戦地へと向かいました。
この頃には「騎士道」という概念も広がり、勇気・忠誠・信仰が理想とされました。しかしその裏には、信仰だけでなく経済や領土をめぐる現実的な思惑も渦巻いていたのです。
クレルモン=フェランやモン=サン=ミシェルは、当時の精神世界を今に伝える土地です。

6: 王権の絶頂と、運命の分岐点

13世紀、ルイ9世(聖王ルイ)の時代には、王権は中世において最も力強くなりました
彼は聖人としても称えられ、十字軍に参加する一方で国内統治を整え、王法と裁判権を拡充し、国家としての骨格を固めていきました。
しかし1328年、カペー家の男系が断絶し、王位はヴァロワ家へこれがイングランドとの王位継承問題を引き起こし、百年戦争の引き金となります
サン=ドニ大聖堂(歴代王の墓所)やポワシー(ルイ9世の生誕地)は、王たちの記憶が今も宿る場所です。

7: 百年戦争の幕開け(1337年〜)

1337年、イングランド王エドワード3世がフランス王位継承を主張し、フランスとの戦争を開始します。ここから116年間にわたる断続的な戦争、「百年戦争」が始まりました。
初期はイングランド軍が優勢で、クレシーの戦い(1346年)やポワティエの戦い(1356年)では、長弓兵を中心とした戦術でフランス軍に大打撃を与えました。
この時期、フランスはまさに試練のときを迎えます。

8: 黒死病と民衆の不安

戦争と並んで中世を襲ったもう一つの大災厄が、黒死病(ペスト)です。
14世紀中頃、フランスを含むヨーロッパ各地で大流行し、人口の3分の1が命を落としたとも言われています。
農村は荒廃し、都市では物価高騰や失業が相次ぎ、暴動や反乱が多発しました。
1358年には北フランスで農民反乱「ジャックリーの乱」が発生し、フランス王国は内外から崩れかける状態に陥りました。

9:ジャンヌ・ダルク-奇跡の光

ジャンヌ・ダルク像

暗闇のなかで現れたひとすじの光、それがジャンヌ・ダルクという存在です。
1429年、ロレーヌの農村出身の少女ジャンヌは「神の声を聞いた」と語り、王太子シャルルのもとに現れます。彼女の導きにより、オルレアンを解放し、シャルルは正式にランスで戴冠しました。
ジャンヌはのちに捕らえられ、1431年にルーアンで火刑に処されますが、その姿は殉教者として、そしてフランス再生の象徴として今も語られています。
オルレアンのジャンヌ記念館や、ルーアンの裁判跡は、彼女の人生を今に伝える場所です。

10: 百年戦争の終結と、王国の再建へ

ジャンヌ・ダルクの死から20年後、1453年にカスティヨンの戦いでイングランド軍を撃破。百年戦争はフランスの勝利に終わります
戦後、シャルル7世とその後継者ルイ11世によって、国内の再建と王権の強化が進められ、封建制から中央集権国家への歩みが本格化していきます。
この歩みこそが、やがて近世フランス、そして現代の共和国へと続く道を開いていきました。

さいごに: 中世を歩くということ

中世フランスとは、王と民、信仰と理性、戦争と文化が入り混じった時代。
今でもフランス各地には、石畳や聖堂の影にその面影が残されています。
ただの過去ではなく、今のフランスの礎となった時代。
そこには、物語として生き続けるフランスの姿があります。


皆さんのフランス滞在が、記憶に残る素敵な時間となりますように。
Bon voyage!

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