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競争社会を自ら下りる。「一番を目指しなさい」の弊害と副作用

今年ももう上半期が終わり、暑い夏がやってきそうです。

上半期、下半期に分けて考える必要はまったくありませんが、一応区切りのタイミング、自分の仕事についてちょっと振り返ってみるのもいいかもしれません。

今日は、みなさんは何を目指してがんばっているのかというお話を。

「一番はいいことです」の刷り込み

みなさんは一番になりたいですか?

学校のテスト、かけっこ、部活、習い事、私たちは幼い頃から、ずっと「一番」が素晴らしく、誰もが目指すべきものとして当たり前に受け入れてきました。

自分がそこに到達できるかどうかは別として、一番を目指すことを疑うことなく、自分の親や先生、周りの大人たちもそれを「いいこと」として奨励してきました。

一番=成功。一番だけが成功でありそれ以外は失敗という考え方は果たして正しいのでしょうか?

一番=成功ではない

クラスの中での一番、学年、学校での一番、地域、県内、全国と他者との比較による競争はずっと続いていき、「どこかの一番」はやがて二番になり、十番になり、ほとんどの場合ついに順位を数えるのをやめてしまいます。

それをドロップアウトと呼ぶ風潮もありますが、究極的には一番は世界に一人しか存在せず、「一番=成功」、No.1だけが勝者であるという考え方には無理があることに気づきます。

目標を持つ意味、努力は否定しないが・・・・・・

たしかに、一番になること、どんな世界、領域でもNo.1になることは素晴らしいことです。

たとえ叶わなくても、頂点を目指して努力することには意味がありますし、初めから「二番でいい」とか「どうせ自分なんか」と思っていては最終到達点は自分の本来の能力よりはるか下方になってしまうことでしょう。

問題は、たとえNo.1になれたとしてもその価値、意義は限定的で、持続力がないということだと思います。

持続力、普遍性のない「No.1」の称号

一番を目指し、No.1を勝ち得た瞬間は、社会から大きな称賛が得られ、自分自身も満たされるでしょう。

しかし、30年、50年、いや変化の激しい現代では、5年、1年でもその座を守り続けることはほとんど不可能に近いでしょう。

ビジネスの場でも、No.1に最も価値があるという風潮は否めません。
圧倒的な寡占状態をつくり出してしまえば、二番手、三番手は入り込む余地も、逆転する芽もなくなる。

周りを見渡せば、圧倒的No.1戦略は、たしかに正しいように思えます。

さらにいえば、多くのNo.1企業は「一番を目指したから」いまのポジションにいるのでしょうか?

「一番争い」は終わりなきチキンレース

価格や機能をひたすら追求し、一番を目指す競争に資本を投入してNo.1になっている企業もあるでしょう。それを間違っているというつもりはありませんが、機能的価値だけを追求するレースは終わりがありません

何度か触れているように、機能的価値は模倣されやすく、やがて過当競争になります。

ある時点で必ずレースを走る本人たちでさえ「これって不毛なんじゃ」と思うようなチキンレースになっていくのです。

それならば初めから一番を目指すのではなく、他と違う頂を目指す方が長く走り続けられ、他者に煽られ仕方なく始めた競争で見えるものとは違う景色を見ることができます。

立ち止まって考え、レースから下りてみる

No.1よりオンリーワン。

どこかで聞いた言葉ですが、単なる“キレイゴト”、多様性にかこつけた無責任な個人主義ではなく、オンリーワンを目指した先にあるものの方が、企業にとって、そしてそこで働くメンバー、あなた個人にとっても、その後の人生に役立つ意義深いものになるはずです。

企業でも、業界でも、自分の仕事でも、勉強でもスポーツでも、「無理なレースに引き込まれているな」と感じたら、一度立ち止まってまずは「自分は何を目指しているのか?」を考えてみましょう。

目指すものを整理したとき、「一番」「No.1」「競争に勝つこと」という他者との比較による価値しか出てこない場合は、目標の再設定を。

道から逸れることに勇気は必要かもしれませんが、自分たちにしかできないこと、自分にできることに目を向けて、No.1を目指すレースから下りてみることで開ける新たな道があるかもしれません。

No.1よりオンリーワンについて、少し話を続けます。

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