見出し画像

まぶたに線があるかどうかなんて、考えたことなかった

まぶたの線が1本か2本かなんて、考えたこともなかった。
…という人が、たぶん世の中にはたくさんいる。

でも、私は違った。
人生のほとんどを、その“線”の数に囚われて生きてきた。



小学生のとき、クラスの女子たちがふざけながら「○○ちゃんって目がパッチリしててかわい〜」なんて騒いでいた。
何が“かわい〜”のか、その頃はまだわからなかったけれど、彼女たちの目にはちゃんと“線”があった。まぶたの線、いわゆる「二重」ってやつだ。

私の目は、線が1本もない。いわゆる一重。
そのときはまだ、引け目というより「違い」の認識だった。

でも、中学生、高校生と進むにつれて、その“違い”は少しずつ「劣等感」に変わっていった。
「眠そう」「怒ってる?」
言われるたびに、何かしら欠陥があるような気がした。

ティーン雑誌で紹介される“デカ目メイク”は、みんな「二重」が前提だった
アイシャドウがキレイに乗るとか、ラメがまぶたに映えてかわいいとか。
でも私のまぶたは、ラメなんて埋もれて終わる。



社会人になって、自由になるお金もできた。
同時に、メイクでの限界も感じるようになった。

朝、きっちりアイプチをしても、午後には外れて「片目だけ眠そうな人」になっている。
何度も人知れずトイレで直して、ため息をついた。

「これ、もうやるしかないな」
そう思って、いわゆる“ナチュラルライン形成”を受けた。

メスは使わず、糸で留めるタイプのもの。
「これでようやく、まぶたに線がつく」
そう思ってワクワクしたのも束の間、半年で片方の糸が外れた。



結果、私は今、“片目だけ二重”である。

右目はぱっちり。左目はいつもの眠たげなまま。
そのアンバランスさに最初は落ち込んだ。

けれど、ある日ふと思った。
爆笑問題の田中さんって、キンタマ1つしかないんだよな。

そんなふうに、ふいに自分を俯瞰して笑えてしまった。
人間、左右対称じゃなくても、生きていける。
むしろその不完全さが「その人らしさ」なのかもしれないと。



最近は、鏡を見てもため息は減った。
朝のメイクも、二重の方に合わせすぎず、どちらの目も「私の一部」と思うようにしている。

たまに「その目、色っぽいね」と言われる。
誰がどう言おうと、私は、私である。
そして何より、「私がこの顔を許してあげてる」ことが、少し嬉しい。



まぶたの線が1本でも2本でも、3本あっても。
どれも、その人を形づくるパーツだ。

完璧じゃない私が、ちょっとずつ好きになれている。
それは整形よりも、ずっと長持ちする“整い”なのかもしれない。



💬

あなたのまぶたには、どんな線がありますか?
どちらでもいい。でも、気づいてあげてください。
鏡の中のその人は、ずっとあなたと一緒に生きてきたのだから。

いいなと思ったら応援しよう!