300日書き続けて気づいたこと|記事を書いていたつもりが、自分を書き換えていた
300日、毎日投稿を続けてきた。
振り返ってみると、一番変わったのは文章力ではなかった。
世界の見え方そのものだった。
最初は「発信」だと思っていた
300日前。
何か人の役に立てばいい。
そんな軽い気持ちで書き始めた。
もちろん最初から哲学的なことを書こうと思っていたわけではない。
日々感じた違和感。
職場で起きた出来事。
部下との会話。
人間関係。
そんな小さな出来事を、自分なりに整理していただけだった。
ところが、不思議なことが起こる。
書けば書くほど、「出来事」よりも「なぜそれが起こるのか」が気になり始めたのである。
問いが問いを生む|問いの連鎖
一つの記事を書く。
すると、その記事を書き終えた瞬間に、新しい問いが生まれる。
「では、これはどういうことなのだろう。」
「そもそも○○とは何だろう。」
その繰り返しだった。
気付けば300日。
毎日、自分で自分に問いを投げ続けていた。
そして今では、日常のほとんど全てが問いの材料になっている。
誰かとの会話。
ニュース。
読書。
部下との面談。
何気ない違和感。
以前なら通り過ぎていた出来事が、「なぜ」という入口になった。
そして一番変わったのは「認知」だった
昔の私は、目の前の問題を解決しようとしていた。
しかし今は違う。
問題を見ると、
「本当の問題は何だろう。」
「その前提は正しいのだろうか。」
「別の見え方はないだろうか。」
そんな思考になっている。
出来事をそのまま見ることが少なくなった。
現象の裏側にある構造を見る癖がついた。
この変化は、自分でも驚いている。
300日書き続けたことで、自分の思考回路そのものが少しずつ書き換わっていったのだと思う。
書くことは思考を固定することではなかった
文章を書くと、自分の考えが固まると思っていた。
しかし実際は逆だった。
書くことで、自分の考えの曖昧さに気付く。
言語化できない部分が見える。
その違和感を埋めるために調べる。
また考える。
また書く。
すると、以前の記事とは違うことを書いている自分がいる。
価値観は変わる。
認知は更新される。
だから過去の記事を読み返して、「今ならこう書く」と思うことも少なくない。
でも、それでいい。
むしろ変わらない方が怖い。
書くことは、自分の考えを固定する作業ではなく、自分自身を更新し続ける作業だったのである。
読者は答えは求めていなかった
意外だったことがある。
よく読まれる記事は、「答え」を書いた記事ではなかった。
問いを書いた記事だった。
「自分も同じことを考えていました。」
「言葉にできなかった違和感でした。」
そんなコメントをいただくことが増えた。
その時に気付いた。
読者は答えを探しているのではない。
自分の中にある違和感を「言語化」したいのだ。
私の記事は、そのための補助線になっていたのかもしれない。
この気付きは、私自身の発信のあり方も変えてくれた。
AIとの対話も思考を深めてくれた
この300日の後半は、AIとの対話も欠かせない時間になった。
AIは答えをくれる存在ではない。
私にとっては、問いを深める対話相手である。
思考を整理してくれる。
論点を因数分解してくれる。
自分では思い付かなかった補助線を引いてくれる。
しかし、最後に考えるのは自分である。
だからAIに思考を任せた感覚はない。
むしろ、自分一人では辿り着けなかった場所まで思考を連れて行ってくれる存在だった。
書き続けた結果、景色が変わった
300日で得られたものは、フォロワー、スキだけではない。
もちろん、それらは大きな励みになった。
それでも、一番の財産は別にある。
世界の見え方が変わったことである。
人を見る視点。
組織を見る視点。
言葉を見る視点。
人生を見る視点。
300日前と比べると、同じ景色を見ていても感じることが全く違う。
毎日問い続けたことが、自分自身の認知を書き換えていたのである。
301日目も問い続ける
300日だから完成したわけではない。
むしろ、分からないことは増えている。
人間とは何か。
価値観とは何か。
成長とは何か。
正しさとは何か。
問いは終わらない。
だから301日目も、きっとまた一つの違和感を書く。
その記事を書き終えた頃には、また新しい問いが生まれているだろう。
この300日で私が手に入れたもの。
それは「答え」ではない。
問い続けるという習慣であり、世界を別の角度から見続ける視点である。
そして、その視点こそが、これからも自分自身を成長させてくれるのだと思う。
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