正義は一つなのか?という問いを起こしたい。|一方向だけの正義の危険性
「〇〇しないとダメだ」
「これはおかしいのではないか」
そんな言葉を、私たちは日常の中で何度も耳にする。
その背景にあるのは、多くの場合「正義感」だ。
正義とは、正しいこと。
そう教わってきたし、それ自体は間違っていない。
ただ、ひとつ気になることがある。
それは、
自分の目線だけで生まれた正義が、他者への攻撃に変わってしまう瞬間がある
ということだ。
正義感から生まれる行動は、本来は善意のはずだ。
しかし現実には、
批判
攻撃
無視
といった形で、他者を傷つけることもある。
しかも、それをしている本人はこう思っている。
「正しいことをしているのだから問題ない」と。
ここで一度、立ち止まって考えてみたい。
正義とは、本当にひとつなのだろうか。
次のような問いを置いてみる。
正義の反対は、不正義なのか。
私は、こう考えている。
正義の反対は、別の正義である。
例えば、貧困に苦しんでいる国があるとする。
自分の国は比較的豊かで、余剰の物資がある。
そのとき、
「物資を提供して、貧困から解放してあげるべきだ」
という考え方がある。
これは明らかに、正義の側にある考えだろう。
一方で、こういう意見もある。
「一時的な物資の支援では、本質的な解決にはならない」
「仕事を生み出し、自立できる状態をつくることこそ重要だ」
「むしろ物資支援は、自立の妨げになる可能性がある」
短期的な救済ではなく、長期的な自立を重視する考え方だ。
この二つの意見は対立している。
しかし、どちらも「正義」をベースにしている。
物資を支援しないことは不正義なのか。
それとも、物資を支援することが不正義なのか。
そうではない。
どちらも正義であり、見ている視点が違うだけである。
にもかかわらず、
「自分の考えこそが正義である」
と確信した瞬間に、
他者への攻撃が始まる。
本来であれば、
「なぜその人はそう考えるのか」
「どの視点に立っているのか」
といった問いが必要なはずだ。
しかし、正義という言葉は強い。
自分の正しさを、簡単に正当化できてしまう。
だからこそ、
正義はときに危険になる。
自分が「これは正しい」と感じたとき。
その瞬間にこそ、もう一つ問いを置いてみたい。
その正義は、
他者の目線から見たときにも正義なのか。
自分が不正義だと思った行動を、
別の立場から見たことはあるのか。
正義を持つこと自体は、悪いことではない。
むしろ、必要なものだと思う。
ただ、
自分の正義だけが唯一の正解であると思い込んだとき、
それは他者を傷つける力に変わる。
正義を語るときに必要なのは、
強さではなく、視点の広さなのかもしれない。
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