バイト代を稼いだら、支給額が14,000円になった
「働けるなら、少しでも働いたほうがいい」
社会の常識に照らせば、それはぐうの音も出ない正論です。
でも、その正論が通用しない現実が、生活保護という制度の中にはあります。
「働いても働かなくても、手元に残るお金は結局同じ」
この矛盾に直面したとき、人はどう動くのが正解なのでしょうか。
バイト代を引いたら、支給額が14,000円になった
以前、無理をして単発のバイトをしたことがありました。
体調と相談しながら、なんとか稼いだお金。
でも、その後の生活保護支給日に通帳を見て、言葉を失いました。
振り込まれた金額は、わずか14,000円。
働いて稼いだ分が、そのまま支給額から差し引かれた結果です。
もちろん、制度として「収入があればその分を引く」のは理解しています。
でも、汗を流して働いた結果、手元に残る合計額が「全く働かなかったとき」とほぼ変わらない。
この現実に直面したとき、「じゃあ、何のために無理をして働いたんだろう」という虚しさが、波のように押し寄せてきました。
「働かないほうが合理的」という歪んだ正解
私の住んでいる北海道では、支給額は月に10万円程度です。
冬は暖房費などで少し上がりますが、今の時代、10万円で生活するのは正直いっぱいいっぱいです。
無駄遣いをしていなくても、月末には通帳の残高が心細くなります。
そんな中で、無理をして働いても手元に残るお金が増えない。
それどころか、無理をしたせいで体調を崩し、寝込んでしまうリスクもあります。
そうなると、頭の中では一つの「合理的な答え」が出てしまいます。
「無理をして働かないほうが、体力的にも精神的にも得ではないか」と。
社会からは「働けるなら働け」と言われます。
でも、制度は「働いても報われない」構造になっている。
この巨大な矛盾の板挟みになって、動けなくなっている人は私だけではないはずです。
外食一回ですら「贅沢」と言われる視線
「生活保護なんだから、贅沢するな」
「働いている人のほうが、もっときつい思いをしている」
そんな声も、痛いほどよく分かります。
たまに外食を一回するだけでも、「それは贅沢だ」と言われる。
そんな視線を浴び続けると、自分の存在そのものが社会の重荷であるかのような錯覚に陥ります。
生活保護を受けて最初の半年は、毎日が暇で、でも体は動かず、熱も下がらない。
「自分はもう、何もできない人間なんだ」
そう思って、ただ時間が過ぎるのを眺めていました。
今は「妄想を現実に変えるための期間」
でも、最近は少し考え方が変わってきました。
今も熱はあるし、体のだるさも消えてはいません。
それでも、家でPCに向かい、AIと対話しながらアプリを開発したり、こうしてnoteを書いたりすることはできるようになりました。
今の私にとって、この活動は「仕事」のようなものです。
すぐにお金にはならないけれど、未来の自分を救うための投資です。
「この活動で、いつか生活保護を脱却できるくらい稼げたら」
そんな妄想を、現実に変えるための準備期間。
そう割り切ることで、ようやく前を向けるようになりました。
制度の矛盾を、どう乗り越えるか
働いても手元に残るお金が変わらないなら、今は「目先のお金」を稼ぐために無理をするのではなく、「将来の稼ぐ力」を蓄えるために時間を使う。
それが、この矛盾だらけの制度の中で私が見つけた、唯一の抵抗策です。
24時間自由に使える生活は、正直に言えば最高です。
でも同時に、社会から取り残されていくような、底知れない恐怖も常に隣り合わせにあります。
この自由を、ただの「暇つぶし」で終わらせるのか。
それとも、未来を変えるための「武器」に変えるのか。
あなたは、もし「頑張っても報われない」制度の中にいたら、どんな選択をしますか?
今の生活を維持することに必死になりますか。
それとも、見えない未来に投資をしますか。
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