努力してないのに、前に進んでる
「頑張っているのに、報われない」
そう感じて、心がすり減っていく感覚。
社会の常識に照らせば、努力は美徳であり、頑張ることは正しいとされます。
でも、私の現実は少し違いました。
ここ数ヶ月、明確に「努力している」という感覚がないのです。
ただ、AIに聞きながら、淡々と手を動かしているだけ。
それなのに、数ヶ月前の自分から見れば、ありえないほど物事は前に進んでいます。
かつて、手が止まっていた日々
以前の私は、noteを書こうとしても、いつも手が止まっていました。
「このテーマ、ありきたりすぎるかな」 「もっとオリジナルなことを書かないと」
そんな思考が頭をめぐり、結局ひと文字も書けずに一日が終わる。
そんな日が、当たり前のように続いていました。
朝、通帳の数字を見ては、心が沈む。 体調と相談しながら単発のバイトをしても、頑張りが必ずしも報われるわけではない現実がありました。
「働いても働かなくても、手元に残るお金は結局同じ」
そんな状況の中で、何かを生み出そうとする気力は、少しずつ削られていきました。
頑張ろうとすればするほど、空回りする感覚だけが募っていく。
それが、ほんの数ヶ月前の私の日常でした。
変えたのは「頑張り方」ではなかった
転機は、AIを使い始めたことでした。
何か特別なスキルを身につけたわけでも、血の滲むような努力をしたわけでもありません。
ただ、これまで一人で抱え込んでいた思考の壁打ちを、AIに相手してもらうようにしただけです。
「こんなテーマ、どう思う?」 「この書き出しから、どう展開できる?」
まるで、隣にいるアシスタントに話しかけるように。
返ってくる答えが完璧でなくても、自分一人では出てこなかった視点や言葉が、そこにはありました。
思考の交通整理をしてもらう感覚。
それによって、あれほど重かった「書く」という行為へのハードルが、驚くほど下がっていったのです。
気づけば、「努力」や「根性」といった言葉とは無縁の場所で、私は再びキーボードを叩いていました。
日記5000日も、同じだった
私は日記を5000日以上書いています。
でも、これも「努力してる感覚」がありません。
朝起きて、顔を洗うのと同じレベルで、ただ書いてる。
noteも、同じになりつつあります。
AIに聞きながら、淡々と書く。
努力じゃなく、習慣。
そうなったとき、物事は勝手に前に進み始めました。
これは、努力の否定ではない
もちろん、AIがすべてを解決してくれる魔法の杖だと言うつもりはありません。
最終的に何を選び、どう表現するかを決めるのは自分自身です。
そこには、自分の意思と責任が伴います。
ただ、かつての私が囚われていた「努力の呪い」のようなものから、解放されたのは事実です。
頑張ることの量や熱量だけが、結果を決めるわけではない。
やり方や、使う道具ひとつで、見える景色はまったく変わってしまう。
数ヶ月前には想像もできなかった場所に、今、私は立っています。
それは、歯を食いしばって坂道を登りきった達成感とは、まったく質の違う、静かな実感です。
あなたは、どう感じますか?
努力している感覚がないのに、物事は前に進んでいる。
この不思議な現実を、私はただ、受け入れています。
あなたは、どう感じますか?
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