国際会議で初めて人種平等を主張した国の『人種差別撤廃案』に学ぶ「和の世界観」~時代によって変わる「人種」に対する考え方とは?~ー『和の国のかたち』46ー
こんばんは。高杉です。
日本人に「和の心」を取り戻すというスローガンのもと
『和だちプロジェクト』の代表として活動しています。
小学校の教員としても働かせていただいております。
先日、地域の奉仕活動に行ってまいりました。
早朝の活動だったので、行く前は少し億劫な思いも内心ありましたが、
いざ行って活動を始めると、だんだん楽しい気持ちが膨らんでいき、
約1時間、黙々と地域の清掃をしました。
早朝から汗をかいて気持ちがよいのと、
地域に対して感謝の気持ちが湧いてきて
非常に有意義な時間になりました。
大切なことは、
少し面倒だと思っていたとしても、
自分が誰かのために(まわりまわって自分のためにかもしれませんが…)
進んで働くことによって
自分自身が満たされていくという実感です。
愛する人のために
愛する地域のために
愛する国のために
明日も「ちょっとの」努力を積み重ねて邁進して参ります。
午後からは、
「新潟竹田研究会」に参加させていただき、
戦後や先の大戦について考えました。
先人から受け継いだ我が国を
どのように発展させて、
どのように次世代につないでいくか。
この命題にこれからも向き合い、
自分にできることを積み重ねて参ります。
さて、
近況報告が長くなりましたが、
今回からは令和7年度の最終章。
「大正時代」
に入ります。
今回も最後までお付き合いください。
よろしくお願いいたします。

1)「人種平等」が当たり前ではなかった時代

『人や国の不平等をなくそう』
これは、
平成27(2015)年に国際連合で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)という2030年までに持続可能でより良い世界を目指すための17の国際目標の一つに書かれている文言です。
今では、
世界のほとんどの人や国が「国や人種の差別をなくそう」と言っても誰も反対をしたり、疑ったりしないでしょう。

そもそも「差別」とは、
出身地、人種、性別、障がいなどの属性を理由に、
正当な根拠なく不利益を与えることです。
よく耳にする「区別」との違いは、
「区別」とは、
合理的な理由に基づいて人を分ける行為です。
例えば、
年齢や資格、能力による区分は状況により必要とされることがあります。明確な違いは、その判断に公平性や納得できる理由があるかどうかです。
「差別」がいけない理由は、
個人の尊厳を否定し、精神的・経済的な不利益を与える深刻な人権侵害だからです。
今の私たちは、はっきりとこのような正義を語ることができます。
先進国のほとんどの国は、共通の価値観を持っていることでしょう。

しかし、
それが世界の「当たり前」になってから
なんとまだ100年も経っていないのです。
もしかしたら、
未だに「当たり前」になってすらいないのかもしれません。
今から約100年前の世界は、
『帝国主義』の名のもと、
欧米列強をはじめとする国々がアジアとアフリカを中心に植民地化を進めており、「平等」とは程遠かったのです。
アジア諸国で植民地化を免れた国は日本とタイのわずか2カ国のみでした。
2)国際会議で初めて「人種平等」を提案した国

そのような世界情勢の中、
大正9(1920)年にアメリカのウィルソン大統領の提起により、
世界平和と国際協調を達成するための組織された「国際連盟」の設立に当たり、
日本国は
『人種差別をやめよう』
と言いました。
第一次世界大戦後のパリ講和会議の場で、
「国際連盟規約」に人種差別の撤廃を明記するように
日本が主張したのです。
これは、
国際会議における人種差別撤廃に関する世界初の提案でした。
当然。
この考えは採用されると思いますよね。
そんなこと、「当たり前」だ。
と。
しかし、
この提案は否決されました。
国際連盟では、「多数決」に議案の可否が委ねられていました。
賛成が11票。
日本国 2票
フランス 2票
イタリア 2票
ギリシャ 1票
ユーゴスラビア 1票
チェコスロバキア 1票
ポルトガル 1票
中華民国 1票
反対5票。
アメリカ 1票
イギリス 1票
ブラジル 1票
ポーランド 1票
ルーマニア 1票
賛成が過半数を超え、
可決されるはずでした。
しかし、
議長国のアメリカの大統領ウィルソンが
『この条文は内政干渉の危険がある。このようなじゅうような議題は、全会一致でなければならない。』
と言って否決されてしまうのです。
アメリカが否決した理由は明白です。
当時の認識では、
「人種差別」をすることは当然だ
というものだったからです。

そして、
この場で
『人種差別を止めようなどと、そのようなことを主張する日本という国は大変危険な国だ』
と思わせてしまったことが、
先の大戦につながっていく一つの要因となってしまうのです。
では、
「人種差別」をすることが当たり前とされていた国際情勢において、
あえて国際会議の場で日本国が「人種平等」を主張したのは、
どのような想いや考え方があったからなのでしょうか。
その想いや考え方にこそ、
未だ「差別」がなくならない現代においても事態を好転させていくための大変貴重な学びになると思うのです。
そして、
改めて我が国の歴史や国際情勢の移り変わりを知るための一つの見方を得ることにもつながると考えるのです。

今回は、
国際会議で初めて人種平等を主張した国の『人種差別撤廃案』に学ぶ「和の世界観」
という主題でお話をさせていただきます。
次回は、
日本国が世界のリーダーとして躍進し、世界会議の場で堂々と正義を主張するに至る「大正」とはどのような時代だったのか
について考えていきます。
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「和」とは、
周りに流されることのない主体性と信念を持ちながらも、周りの人々や自然と調和することを実践する道であり、我が国が建国されてからも2000年以上、受け継がれてきた価値観である。
日本が疲弊している。
日本人が疲弊している。
でも、日本を諦めたらいけません。
僕は諦めません。
日本人はまだまだやれる。
なぜなら、
僕たちが歩む道の後ろには先人たちが繋いでくれた
「我が国を遺したいという思い」がたしかにあったからです。
私たちが今できることは、
何よりもまず自分の国の神話、歴史、文化、そして精神性を学ぶこと。自分と先祖の歴史と生き方を学ぶことだと思うのです。
令和時代に、
「和の精神」を発揮して日本国を再び
よろこびあふれる感動する国へと取り戻す。
そのために、
皆様とともに学んで参りたいと存じます。
最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
今後とも、
『和だちプロジェクト』をよろしくお願いいたします。
