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ENFJ+最後の恋人の人生。



「なーんていい人生なんだ」



30歳が近づいてきて、そんなことを考える時間が増えた。

昔は、幸せなんて簡単に
"手に入れるもの"だと思っていた

もっと稼げたら。
もっと認められたら。
もっと理想の自分になれたら。

その先で、ようやく幸せ掴める!
なんて簡単に思っちゃってた

でも、25歳超えたあたりから

少しずつ考え方が変わってきた。

ENFJという性格は、
よく「人のために動ける」と言われる。

もちろん、それは一つの性格傾向にすぎない。

だけど確かに僕は、自分だけが満たされることより
誰かが笑ってくれることのほうが、ずっと心に残る。

不思議なものですよね

高価なものを買った日の記憶よりも
誰かと笑い合った夜のほうが鮮明に思い出せる。

心理学には
**ヘドニック・アダプテーション(快楽順応)**
なんてありますが

人は大きな成功や高価な買い物をしても
その喜びには少しずつ慣れてしまう。

一方で、
「誰かと食べたご飯」「何気ない会話」「安心して眠れた夜」

のような、小さな幸せは、
繰り返し心を満たしてくれることが分かっている。



だから最近は、特に思う。

人生は、でっかい花火を一発打ち上げるより

線香花火が綺麗にぱちぱち続く方がいいや、って

そして、それを一緒に眺めてくれる人がいること。

それが何より幸せなんだと思う。

恋愛もそうだった。

前までは「運命の人」にさえ出会えれば
なんやかんや、幸せになれると思っていた。

でも、多分違うような気がする

運命の人が人生を変えてくれるんじゃなくて

”お互いが"運命の人になろう"と努力を重ねた時間
が、お互いの人生を特別なものにしていく。”

心理学者のジョン・ゴットマンは、
何十年にもわたって夫婦を研究していて

長く良い関係を築く人たちには共通点があることを
見つけてくれたんですけど

それは、大きなサプライズじゃなくて
日常の小さな応答を大切にしていること。

「今日こんなことがあったよ。」

「お疲れさま。」

「寒くない?」

そんな何気ないやり取りを
何気なくできる関係性、いいですよね

幸せは特別なイベントではなく
こうした日常の積み重ねから生まれる。

人生も同じなのかもしれないですよね



僕たち人間は、つい誰かの人生を見て焦ること

ありますよね。

SNSには成功が並び、比べようと思わなくても比べてしまう。

でも、桜が夏に咲かないことを誰も責めない。

ひまわりが冬に咲けないことを失敗だとは言わない。

それぞれに、咲く季節があるじゃないですか

人もきっと同じだと思うんですよね

誰かより早く咲くことに意味なんてなくて

自分の季節に、自分らしく咲けた方が
よくないですか?

だから、今日うまくいかなかったとしても

何にも問題ない。


ENFJの僕は、たぶんこれからも誰かの笑顔を見ると

自分のことのように嬉しくなるし
大切な人が幸せならそれだけで少し幸せになれる。

効率だけを考えれば
不器用な生き方なのかもしれん

でも、その方がいいや〜って
今はそう思えてる

人生最後に思い出すのは
通帳の残高とか、後のこととか

そんなことじゃなくて

今まで散々一緒に笑ってくれた
人たちの顔だと思うし

泣こうが、苦しかろうが
信じようとして裏切られようが

ぜ〜んぶひっくるめて

今の僕という人生になっている

あんだけしんどい思いしたのに

それでも時間は進んでいって

気づいたら忘れてるもん

なんていい人生だ。

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