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Our Song/Grapevine #読むバイン vol.71


 Grapevine9枚目のシングル『Our Song』は2001年の1月31日に発売された。僕は18歳。ちょうど受験シーズンの真っ只中だった。勉学というものに全くというほど打ち込めなかった僕でさえ、当時は博多駅の近くの東進の予備校に通っていて、この曲を聴くとその寒い冬に着込んでいた学校指定のダッフルコートと、西鉄バスから見える冬の福岡の街並み、そしてCDウォークマンと当時流行ったソニーの耳掛け型ヘッドフォンを思い出す。

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 親友だと思っていた友達と僕の恋人が街を捨てて共に暮らし始め、半年くらい経った頃だった。彼らは高校もやめ、家も飛び出し、おまけに赤ん坊まで産もうとしていた。なんでそんなややこしいことになってしまったんだろうと思うのだけれど、当時はそれが現実だった。おまけに(と言ってはいけないが)、44歳になって間もない父は膵臓癌で死の淵にあった。ラグビーで鳴らした頑強な肉体は見る影もなく、刃物のように尖った骨と皮だけの存在となり果て、意識は混濁し、黄疸の発症した目は蝿の動きさえ捉えようとしなかった。

ぼくらはねえ
何が見たくて
全てを欲しがって
きたんだっけ
意味などなくて
ただそれだけでいいんだよなあ?
どうして 涙流してる?
これじゃまるでありふれた
日常で

『Our Song』田中和将/Grapevine

 喪失という日常。ずっと同じままではいられない、という当たり前のこと。大人になった今は、ただ緩やかに老いていく日々を、水槽の中の水のように受け入れてしまっているけれど、十代の終わりから二十代の初めの日々は、目まぐるしく日常が変わり、身近なものが明日にはない、自分の足場は仮初のもの、という状態が、もっと切実なものだった。

誰の言う事も 君の優しさも 慣れた もう慣れた
頬を刺す冷たさも 灰色の景色も 慣れた つもりさ

 当たり前でないことに慣れる。それが、この歌詞の中で一際異彩を放つ【日常】と言う言葉が指すものに違いない。誰かの言う事、君の優しさ、それは、本当は当たり前じゃないこと。頬を刺す冷たさも灰色の景色も、本当は、痛みのある異常な事なのだ。けれど、その中にいると気が付くことが出来ない。それが、【日常】という霧だ。でも、ある時、その【日常】の霧を俄かに晴らし、ほんとうに気付かせる瞬間がある。そのきっかけが『Our Songうた』だ。

立ち止まった 人波の中 不意に気付かされた
「君を泣かしてたのは 僕だったりして」って

 まるで僕のことなんて知るはずもない、遠くの寵児ロックスターが、何故、まるで自分が歌っているかのように心の中を描くことが出来るのか。その魔法を、何度も#読むバイン で書いて来たし、実際、掛けられてきた。多分、これからもずっと。そしてそれが、何かをこじつけて解釈せずには居られないという、ヒトの性分のせいだ、と言うことを確かめてきた。何度も。分かってるよそんなこと。それでもその魔法は、何度だって起こる。

君や家族を/傍にいる彼等を/あの夏を そういう街を/愛せる事に今更気付いて

『here』田中和将/Grapevine

 僕の額に赤い印を付けて、敬虔な信徒にさせてしまったのは、たぶん3rdアルバムの表題曲でもある『here』だ。あの曲を浴びてから、僕は田中和将が描く物語の上に自分を重ねて生きるしか出来なくなってしまった気がする。それはもう、魔法、いや魔術と呼ぶしかないものだと思う。

 ところで、

君を失くすくらいなら 死んだ方がマシ

 『Our Song』の中で、いや、田中和将の一切の作詞の中で、余りにも毛色が違って見えるこの直接的な愛情表現。でも、その直前に見える

立ち止まったんだ 人波の中 ふいに聴こえたメロディー

を、併せて鑑みると、仮説だが、この「君を失くすくらいなら 死んだ方がマシ」という一文は、何かの歌のワンフレーズなのではないだろうか。25年ぶりにこの曲と向き合って、今更ながらそんな事に気が付いた。あれほど何度もしゃぶるように聴いた曲なのに、当時はそんなこと思いもしなかった。

I’d Rather Go Blind

 直接そのままの訳にはならないが、田中和将が愛したソウル/ブルースの定番曲に、そんな題名の歌を見つけた。前回に続き、一部をちょっと私訳してみようかと思う。

I would rather, I would rather go blind girl
than to see you walk away from me child
(君を失くすくらいなら、めくらになった方がマシ)
So you see I love you so much
(君をどれほど愛してるかなんて、分かってるくせに)
I don't want to see you leave me baby
most of all I just don't
I just don't want to be free
(自由なんて求めちゃいなかった。ただ君がいれば、それでよかった)

『I’d Rather Go Blind』Etta James/私訳

 似てるといえば似てる。こじつけてるといえばこじつけてる。いいんだ、どっちでも。

ぼくらはねえ
何が見たくて
全てを欲しがって
きたんだっけ
意味などなくて
ただそれだけでいいんだよなあ?
どうして 涙流してる?
ひとりじゃまるで見えないのが 日常で

 何がふつうで、何が真っ当かなんて、その只中にいる者には分からない。僕らはイデアの水槽の中で、ずっと暮らし続けている。水槽の中で生まれて暮らして死んでいく魚には、そこが異常で奇妙な場所だなんて知る由もない。水槽の中こそが、【日常】なのだ。そんな奇妙、言い換えれば物語を、俯瞰で気付かせてくれるものこそが、【Our Songうた】なのだ。僕らは意味のない物語を生きている。けれど意味はあると信じざるを得ない。そして物語は美しいと、感じずに生きることなど出来はしない。そうでなければ、何故誰かのことを何物にも変えて愛おしいと感じたり、痛みを感じて涙を流したり、両手を広げて強く抱擁したい衝動に駆られたり、するだろう。心が何かに震えるという呪いを持ち続ける限り、僕らは人間であり、物語を生き続けるしかないのだ。僕らの歌を、口ずさむしかないのだ。
 遥か昔、アルカイックのような彼と彼女。達者にしてるだろうか。君たちは今、どんな物語を生きてるのだろう。まるでもう、フィクションのように遠く感じるけれど、僕らはそこを生きていた。意味などなくて、ただそれだけで、いいんだよ、なあ。

 だろう?


【著作権について】
 本記事では、日本のロックバンドGrapevineの音楽、主にその歌詞を考察していきます。Grapevineは、歌詞については、ギターとボーカルを担当する田中和将氏が書いています。そのため、歌詞の一切については著作権者は田中和将氏にあるものと考えております。ただ、日本の著作権法には以下のような一文があります。

第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。

著作権法(昭和四十五年法律第四十八号)

 本記事は、公表された著作物について、引用して批評・研究しようとするものであり、著作権者の権利を侵害するものではないと考えています。また、その意思はありません。万一、引用の仕方や分量について、著作権を侵害するような部分があると感じられた場合、ご指摘いただければ改善に努めます。
 なお、本記事の文につきましては、先に述べました著作者Grapevine及び田中和将氏の権利を害さない限り、転用して構いません。その際、ご一報頂けると嬉しく思います。


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