フィギュア/Grapevine #読むバイン vol.73
【figure】という言葉の語源はラテン語の【fingere】/「形作る、(泥などで)こねて作る、形を捏造する」が転じて、古語フランス語で「姿、顔、形」の意味を持つようになったようだ。
日本語で「フィギュア」というときは、主に「形」の意味の延長にあるフィギュア・スケートを指す場合(フィギュア・スケートは如何に正確に氷上に円を描けるか、という競技に由来している)や、2000年当時は秋葉原で興隆した「姿」の意味の延長にある美少女フィギュアを頭に浮かべることがほとんどだと思う。当然、Grapevine4作目のアルバム『Circlulat∞r』が意味する【フィギュア】は、偶像としての、命を持たない歪な愛の対象としてのフィギュアがモチーフになっている。

2000年当時、ITバブルの崩壊により秋葉原は家電の街からオタクの街に変身を遂げた。
手にしてはいつも またいつもの夢
愛していたのはきっと
プラスチックの宮殿
安全な我が虚構の上に
永遠は訪れる
ほら震えていないで
痛いことなんてしないよ
in my eyes
揺れる髪が狂わせる
あの日の少女は僕を変にする
いっそ この手で殺してしまおう
耽美で狂気的な田中和将の言葉からは、アキバのフィギュアよりもホラー映画で少女が抱きしめていそうなビスク・ドールが似つかわしく思えるが、それはあくまで【doll】だ。

ビスク・ドールの「ビスク」とはビスケット(2度焼き)のこと。磁器の頭部を作る際、一度生焼き(素焼き)した後に彩色し、もう一度焼き付ける(合計2回焼く)工法。
このようないわゆる「フランス人形」は、少女が持つためのものだった。そのため、男性が玩具として人形を持つ時に、女性的な【doll】という単語はあえて避け、GIジョーのような男児用玩具は、アクション・フィギュアという名前で販売された。

このように、日本で【フィギュア】という名詞が、性的な関心を高める玩具として使われるようになったのは、改めて奇妙な道筋である。
何の話かって? これが小生「#読むバイン」の作法でありまして、この奇妙な話、まだ続けます。
秋葉原からアムステルダムへ。
水車で有名なオランダは、17世紀にその黄金期を迎え、首都アムステルダムはヨーロッパにおけるオートマタ(機械人形)の先進都市だった。何もないところに人を造り、愛を捧げる捌け口にするという物語は、2026年にチャッピーと結婚するという出来事が人類にとって特に目新しいストーリーでないことを教えてくれる。

Grapevineの『フィギュア』は、珍しく、あからさまに田中和将が主人公でない、要するに反自伝的な奇想文学であるけれど、テーマはしっかり田中和将がずっと描き続けてきたものだ。つまり、「本当の君などもう何処にもいない。僕が愛し続けているのは、自分が自前で造り上げた、血の通わない幻想の女だ」というストーリー。
あの日の少女は僕を変にする
いっそ この手で殺してしまおう
自分で物語を創り、自分でそれを終わらせる。それはまごう事なき人形遊びだ。言ってしまえば、人間の執着は全て人形遊びに過ぎない。あなたが愛したあの女は、勿論生きているにせよ、もうこの世の何処にも存在しない。さらに言ってしまえば、この世の全ての文学も、音楽も、芸術も、思想も、全て血肉を持たないニューロン上のオートマタに過ぎない。いや、創作や過去の女に限った話ではない。一体人は、目の前の誰かをどれほど正確に把握していると言えるだろう。はたまた自分自身のことを分かっていると言えるだろう。僕らが見ている【彼】や【彼女】、そして【僕】は、全て実態とは別物のフィギュアだ。人は、自分が都合のいい世界を常に投影し続けながら生きている。どんな話だって描けるし、どんな風に終わらせるかも決めることができる。
マトリックスの有名なセリフ。モーフィアスはネオに対して、二つのカプセルを提示する。

これは最後のチャンスだ。先に進めば、もう戻れない。青いカプセルを飲めば、すべては終わる。ベッドで目を覚まし、好きなように生きればいい。赤いカプセルを飲めば、不思議の国にとどまり、ウサギの穴がどこまで深いか教えてやろう。私が約束するのは真実だけだ。それ以上は何もいらない
一つは信じ難い真実に目覚めさせるためのカプセル。もう一つはこれまで通りの平々凡々なる虚構の世界で眠り続けるためのカプセル。
カプセルをひとつ喉へ
旅に出られるさ
アムステルダムにでも行ける
我々は、何を思う事も、何を疑うことも、何を信じる事も出来る。その全てが真実かどうかは別として。今日は「#読むバイン」の種明かしだ。僕のフィギュアはGrapevineと田中和将の詞がそれで、かれこれ一年以上、好きに人形遊び。いや、四半世紀以上か。カプセルは、ずっと常用し続けている。
え、副作用? 言わずもがなじゃないですか。うぐぅ。
【著作権について】
本記事では、日本のロックバンドGrapevineの音楽、主にその歌詞を考察していきます。Grapevineは、歌詞については、ギターとボーカルを担当する田中和将氏が書いています。そのため、歌詞の一切については著作権者は田中和将氏にあるものと考えております。ただ、日本の著作権法には以下のような一文があります。
第三十二条 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。
本記事は、公表された著作物について、引用して批評・研究しようとするものであり、著作権者の権利を侵害するものではないと考えています。また、その意思はありません。万一、引用の仕方や分量について、著作権を侵害するような部分があると感じられた場合、ご指摘いただければ改善に努めます。
なお、本記事の文につきましては、先に述べました著作者Grapevine及び田中和将氏の権利を害さない限り、転用して構いません。その際、ご一報頂けると嬉しく思います。
