【連結経理課・和服ちゃん】(PMI編20営業日)社長
もうだめかもしれない。私なりに頑張ってきたけど……
頭の中はそんな考えでいっぱいだった。
いえ――まだ神谷監査役はあきらめてはいないはず。一縷の望みをかけ神谷監査役を見ると、神谷監査役も眉をひそめ苦い顔をしていた。
そんな監査役をよそに頭に血が上った社長は止まらなかった。
「もういい。東集には期待をしない。株を全て買い戻してこのM&Aを白紙にしてもらう。今ならまだやり直せるし、うちもまだ立て直せる。その方がお互いのためだ」
そう言って社長は椅子へドカッと座り、腕組みをした。
神谷監査役は何とかなだめようとしていた。
「三枝社長、落ち着いてください。感情に任せた経営判断では何も生まれない。それに、この会社の技術力があれば一緒にまだまだ立て直せる。我々を信じてください」
あまりの状況に、ここまで沈黙を守っていた小暮専務も口を開いた。
「三枝社長、いや、陽太郎君。少し落ち着きなさい。
先ほど『俺達がこの会社を守ってきた』と言っていたが、君のやってきたことは気が向いたときに営業部でハッパをかけるという名目で怒鳴っていたくらいだ。それに、部課長や営業の退職の原因を作ったのは、そのハッパとやらの影響だって、本当は分かっているだろう」
小暮専務の言葉に、三枝社長は苦虫をつぶしたような顔をしている。
売り言葉に買い言葉、三枝社長は振り切るように小暮専務にも言い返した。
「小暮さんは少し黙っていてくれ。これは社長としての判断なんだ。
俺は、この会社を、親父から引き継いだ会社をどうしても守り抜きたいんだ。もう、M&Aを白紙にするくらいしか方法は無いんだよ!」
そこからは、首を横に振る三枝社長、三枝社長をなだめる小暮専務、一緒にまだやれると手を差し伸べる神谷監査役が押し問答を繰り返した。
そんな三人を見て、少し焚きつけ過ぎたとばかりに肩をすぼめて成り行きを見ている佐伯取締役と、あきらめ果てた顔をしている山口主任は、声すら出せないでいた。
私は、言い合う三人、いや正確には「親父から引き継いだ会社を守るため」と言っている三枝社長が、お父さんの背中を一生懸命追いかけている子供の姿のように見えた。
そう思うと、少し微笑ましい。
――いや、しっかりしないと。
ここで頑張らないと、私は何のために毎朝頑張ってこの会社に来ているのかわからない。それに三枝社長がM&Aを白紙に戻そうとしているのは確か。何とかしないと。
でも私にここから何ができるだろう?
そう考えていると、急に会議室の内線が鳴った。
私は反射的に2コール目で受話器をとっていた。電話口からは聞きなれた声がした。
「あ、あの藤川です。ええっと、山口主任か、和服さん、おられますか?」
藤川さんがここまで要領を得ない言葉を口にするのは珍しかった。落ち着くように言いながら要件を聞き出すと、こんな時に来客らしい。
どうしても、三枝社長に会いたいという。
「藤川さん、いま、会議中で面会は――」
私が断ろうとした時、受話器の先の声が変わった。
「よぉ、和服ちゃん。ピンチなんだろ? 恩を返しに来た」
少し前まで何度も聞いたこの声、忘れるはずもない。
会社を辞めたはずの伊原さんの声がした。
「そう、伊原だ。じゃ、入るね」
私が何も返せずにいると、伊原さんは内線を切ってしまった。
ツーツーという音だけが聞こえる。
内線に出た私に、会議室中の視線が集まっていた。山口主任や佐伯取締役だけじゃなく、さっきまで押し問答していた三人まで。
今の私、どんな顔をしているのだろう。
先ほどまでが嘘のように静まり返った会議室に、ガチャっと受話器を置く音が響いた。そして程なく、会議室の扉を叩く音がして、四人が入ってきた。
藤川さんと、藤川さんが押す車イスに乗った初老の男性。そして、相変わらず派手なスーツの伊原さんに――田端部長。
田端部長は少しやせただろうか。スーツも少し皺がある。
会議室の誰もが驚いて声を出せない。さっきまで騒いでいた三人も、勿論私も。
そんな中、伊原さんがおどけた笑顔で話し出した。
「これはまたとてもいいタイミングだったかな? 和服ちゃん、ピンチだったでしょ? さっきも言ったけど、恩を返しに来た。
……では先代、お願いします。」
*
伊原さんが頭を下げ「先代」と呼ばれた車イスの初老の男性は複雑な表情をしていた。
「陽太郎。今日はお前を叱ろうと思って来たんだが――
今しがた、そんな気もなくなった。どうしてかわかるか?」
三枝社長は硬直したまま、かつての社長、つまり自分の父の姿をじっと見つめていた。かつて経営の厳しさを背中で教えてくれた、あの大きな存在。
だが今は、車イスに座り、痩せ細った父であった。
「……わからないよ、親父。俺は必死だったんだ。必死にこの会社を守ろうとして、でも上手くいかなくて。親父の真似なんか、俺にはできなかっんだ。」
三枝社長の声は震えていた。絞り出すようなその声を、先代は静かに聞き、静かに答えた。
「当然だ。お前に儂の真似はできん。
だがな、それでいいんだ。お前は儂じゃない。経営者というのは、誰かのコピーである必要はない。だが経営者として同じくするものはある。会社を守りたいというその思いだ。ただ、その思いもやり方を間違えればそれは誰かを傷つけることにもなる」
三枝社長は言葉を失っていた。先代はゆっくり続けた。
「実は最近の会社のことを、ここにいる伊原と田端君から聞いた。二人とも、申し訳ない、と儂のところに来た。この一人ではもう歩くことすらままならないこの老骨のところにな。二人とも、とても後悔しておった。伊原は、嘘をついてしまったこと、田端君は任された会社を守り切れなかったことに。
で、二人の話をよくよく聞くと、ある共通点が見えてきた。三和さんと言う女性だ。数字を必死に追い、話を聞き、伊原にすら心を開かせた。しかも東集さんから来たばかりの人間だという。この子はいわば他人なのに、会社の未来を背負おう奮闘しているとな。お前はどうだ?」
三枝社長は下を向いて、頭を抱えている。
「……もう何が正しいのか、何すればいいか分からないんだよ」
そんな三枝社長を、まだまだ幼い子供を見るような顔で先代は見ていた。
「人のせいにするな。経営者が真に責任を持つというのは、最後に自分が一番重たい荷物を背負う覚悟があるかどうかだ。
間違えたなら、直せばいい。部下を責めるのではなく、寄り添ってやれ。もう一度、この会社の未来を語れる社長になってみろ」
先代の声を聞きながら、三枝社長は肩を震わせ、静かに泣いていた。
沈黙が続いていた。誰も三枝社長を慰めることができなかった。
そんな中、この沈黙を破ったのは、以外にも伊原さんだった。
「三枝社長。俺も色々間違えました。でも、和服ちゃんに会って、最後の最後でまともになれた気がしてます。社長もこれからまだ変われますよ。そうでしょう?」
しばらくして、三枝社長は思い切って顔を上げた。目は赤くなり僅かに腫れている。傍から見れば情けない姿に見えるのかもしれない。けれど三枝社長を笑う人はこの会議室には誰一人としていなかった。若くしてこの会社を背負う覚悟を持った社長を誰しもが認めようとしていた。
その姿を見て、車イスの上の痩せこけた姿からは想像つかない張りのある声を先代は出した。
「小暮、佐伯。三年前、不肖の息子に突然会社を任せることになり本当にすまなかった。
神谷さん、こんな状況の会社を買ってもらい本当に申し訳ない。
虫のいいことはわかっている。だが、今しばらく温かく息子を、この会社を見守っていただけないだろうか」
先代は車イスから会議室の全員に向かって深々と頭を下げた。
三枝社長の目の奥にはほんの僅かな光があった。その目を会議室にいた神谷監査役と私に向けて話し始めた。
「神谷さん、三和さん……いや和服ちゃん。すまなかった。俺は、この会社をもう一度立て直す。今度こそ、本当に守れるようにする。だから、もう少しだけ、力を貸してくれないか?」
神谷監査役を見ると笑顔で頷いた。
私も、今できる精いっぱいの笑顔をした。
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
会議室の空気は、ようやく、わずかに和らいだ。
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